《始点のディフュージョン》⑧

「こちらのDVDで間違いありませんか?」


 もう自由時間も残り僅かだが、伊之はアニメーション研究部の部室に戻るや否や、正針部長へとハンカチに包んだそれの中身を見せた。

 当然中身は、『妄想代理人』のDVDだ。


 ざわ、とにわかに部室内の空気が変わる。

 伊之が言っていた通り、本当にこのDVDを見付けるとは思っていなかったのだろう。

 正針部長も、一路副部長も、津臣先輩も、新地先輩も、塚井先輩も、誰一人として。


「わわわわわわわ……ま、間違いない、けど。でも、どこで……」

「本当に見付けてくるとはね。いや、全く、何者なんだ、君は」

「パねぇー。アニタンマジパねぇー」

「……信じられない」

「ご苦労様、ってところね。部長、もう結構いい時間です。解散の運びでいいのでは」


 塚井先輩が、早々に話を切り上げようとした。

 伊之曰く、この人は犯人かもしれないとのことだったが、それを前提に考えると、妙な行動だと言える。薄っぺらいねぎらいの言葉だし。


「あ、えーっと、それもそうかなーって。阿仁田くん、本当にありがとうなんだけど、このお礼をどうやればいいのか自分には全く分からないので、とりあえず現ナマで……」


 正針部長が財布を取り出そうとしたが、伊之は素早く「いりません」と短く返した。

 部室に入ってから、伊之の表情は厳しくなっている。

 このアニメーション研究部内にある、

 それがどういうものなのか、伊之は答えが出ないと言っていた。

 でも、答えが出ないだけで、伊之にとってそれは、好ましいものではないのかもしれない。


「あくまで俺の一方的な善意でやったことです。お礼なんて必要ありません。ただ、少しだけ話を聞いて下さい。自由時間は、まだ少し残っているので」

「それは構わないが――」


 一路副部長が、正針部長の方をちらりと窺う。正針部長は、こくりと頷いていた。


「では、まず今回の一件ですが、間違いなく盗難です。理由は……言わずとも皆さん分かっていると思いますので、省略します。そして、盗難であるからには、必ず犯人が存在する。そうですね――最初は俺がこのDVDをどこで見付けたのか、からいきましょうか。場所は職員室に隣接する会議室。


 DVDの隠し場所。会議室ということは分かったが、更に詳細な箇所は、ノートパソコンの中だった。

 その辺りの話を、あたしは既に、ここへ向かうがてら伊之から教えてもらっている。


「そもそもの話、今回の一件は事前に仕組まれたもの――ではなく、全くのな犯行です。理由は単純で、DVDを盗み出す大前提に、正針部長が昼休み以降の部室の施錠を忘れる、というものがあるから。仮に施錠がされていれば、恐らくこの盗難は発生しなかった。俺はこの学校について全く詳しくありませんが、それでも分かることはある。部室を開けるスペアキーを借りる場合、職員室で借りるのでしょうが、帳簿か何かで管理していますね。さっき職員室に行った時、それらしきものがありました。で、スペアキーを借りたら、当然ながら足がつく。鍵を借りた後に盗難が発生すれば、自分が盗みました、と言うようなものですからね。そうなった場合、学校側はすぐに盗難として扱い、そして犯人に厳罰を下すでしょう。一方、鍵が掛かっていないのであれば、どのタイミングで誰が入ったかなど、全く分かりません。正針部長の不注意は叱られると思いますが、それでも紛失か盗難かは、学校側はすぐには判断出来ないでしょう。何より、正針部長が紛失だと主張していたわけですし」


 職員室でキョロキョロしていると思ったら、そんなところまで見てたのね。

 抜け目がないというか……ちゃっかりしている。

 明朗に語る伊之に対し、アニメーション研究部の方達は、黙って聞いていた。何か反論を差し挟む、ということもしない。


「昼休み以降、部室に入った犯人は、プレーヤーの中にある『妄想代理人』のDVDだけを盗み出しました。これも妙です。何故、パッケージは盗まなかったのか? この段階で、売却目的は否定されます。更に、嫌がらせ目的であれば、DVDを物理的に破壊して、どこか人目のつかないところへ破棄すればいい。しかし、犯人はそれもせず、会議室のパソコンへこのDVDを隠していた。嫌がらせ目的にしては、中途半端過ぎる。逆説的に俺はこう考えました。犯人はまず間違いなく、であり――当然ながら、それはアニメーション研究部の部員である、と。まあ、これはDVDの隠している場所が、俺の予想通りだったからこそ言える結果論ですけど。で、俺なりに考えた犯人の思考は二つ。『DVDに極力傷を付けたくなかった』のと、『後日DVDを回収し、持ち主の元へ返すつもりだった』こと。前者はアニメ好きならば当たり前の考えです。後者は、この一件を盗難ではなく紛失であったと確定させる為……でしょうかね」


 これはあたしの予想だが――伊之はかなり早い段階で、アニメーション研究部の人達を疑っていた。

 ほとんどこの人達の誰かが犯人だと決め込んだ上で、質問をしていた。

 こいつは結論を最初から出した上で、確認作業的な感じで、ずっと動いていたのだろう。


「では――――どうしてそんなことをしたのですか? 新地先輩」

「…………」

「分かっていると思いますが、職員室の隣にある会議室は、外から入ることが出来ません。入るなら、職員室を通って入る必要がある。ただ、職員室は常に教師が居ますし、わけもなくバレずに会議室へ入るのならば、複数人の協力と教師が少ない時間帯という条件が必要になる。それを満たさずに入ることが出来るのは、しかありません。新地先輩は、職員室の担当なんですよね? 職員室の掃除が、どういう形式で行われているのかは知りませんが、会議室に立ち入っても問題はないのでしょう。今日は昼休み後、必ず全校生徒が清掃を行う。あなたはまず部室でDVDを取り出し、すぐに職員室に向かい、掃除するフリをして会議室のパソコンにそれを隠した。円盤は意外と大きいから、ポケットには入りませんし、肌身離さず持っているのは中々に面倒です。しかしカバンに入れておけば、先輩方のチェックの際にバレるかもしれないし、教室とかに隠しておいたら、誰かに見付かってしまうかもしれない。何より、DVDを抜き身のまま放置するのは良くない。では隠し場所として最適なのは、DVDが丁度収まり、その上で人目につかないところ。俺も幾つか考えましたが、その中であなたが選んだのが、会議室のノートパソコンだった。今日から明日にかけて、会議室で職員会議が行われないことを、あなたは知っていたのでしょうね。色々と穴がある方法ですが――そもそも、今回の一件は突発的なものだから、仕方がない」


 噛まずに、ハッキリとした口調で、堂々と。

 伊之は、まるでようにして、自分の考えを述べた。

 犯人……新地先輩は、俯いたまま黙っている。言い訳や、それに似た反論をするつもりは、どうやらないようだった。


「犯人探しをお願いしたつもりは無かったんだけど」


 しかし、伊之に言い返したのは、塚井先輩の方だった。


「ご自慢の推理が当たって、それで自分と関係ない高校生達を言い負かして、満足? ならもう充分だから、この部と関係ない中学生は帰ってくれないかしら」

「誤解されているようですが――」

「何が? そんなつもりはありませんよって、今更言うつもり?」

「――真逆だ、阿呆が。


 敬語をかなぐり捨てて、唸るようにして伊之が牙を剥いた。

 それでも冷ややかな目で、塚井先輩は伊之を睨んでいる。


「どうしてこんな真似をした。円盤それは、コンビニのジュースや菓子みたいに、帰宅途中で気まぐれに買えるようなものじゃない。一枚買うのにも勇気がいる、高価なものだ。それを、形はどうあれ盗み――そして、自分の所属する部に迷惑を掛けた。俺にその権限が無いのは承知の上で言うが……断罪されるべきだろう、お前達二人は」

「……ああ。私も一枚噛んでるって、やっぱ分かってたんだ」

「勘だ。理由はない」

「ふーん、そう」

「お前達は――」

「あ、阿仁田くんっ!!」


 遮るように、正針部長が大声を出す。

 これは呆気に取られたようで、伊之も口をつぐんだ。


「もう……いいよね。これ以上、自分の後輩を責めるのは、やめてほしいかな、って」

「それも――俺には分かりません。どうして、庇い立てるのですか。最初から、あなた方は」

「参ったな。多分、君は勉強とかを抜きに、とんでもなく優秀な人間なんだろうね。本当に、今日出会ってからずっと、驚かされているよ。でも……」

「突っ走るってーか、眩しすぎて見てらんねー感じ。アニタンさー、友達居ないっしょ? あー、答え言わなくても分かっからー」


 伊之が分からなかった、この人達の抱えている歪み。それに対して、今まさに面と向かっている。


 ――きっと、あたしも伊之も、行き過ぎたのだ。


 薄ぼんやりとだけど、あたしはそのことを、少しずつ理解し始めていた。


「…………。わたしは、静かで目立たなくて、日陰者なこの部が好き」

「愛子。別に、言わなくてもいいわ」

「ううん……阿仁田くんが正しいのは、分かり切ったことだから。それに、先輩達にも、ちゃんと伝えなくちゃダメだよ。わたし……そもそも、部活紹介に出るのは、反対でした」


 新地先輩が、ぽつぽつと語り始める。


「どうして、そんなものに出るのか、理解が出来ません。わたし達が目立ったって、良いことなんて一つもないじゃないですか」

「…………」

「目立たなければならない理由があった、とは考えられないのか」

「考えたよ……」

「なら、それを何故尊重しなかった」

「それは……」

「阿仁田くん!」


 また、遮るように正針部長が横槍を入れた。

 そして、部室の壁掛け時計を指差す。


「……じ、時間だよ。もう、自由時間は終わり。戻らなくちゃダメなんじゃ……?」

「俺は、まだ納得していません」

「なら、後で隣の彼女に訊けばいいっしょ。そっちはわりかし読めてんじゃねー?」

「え、あ、あたしはそんな特に」


 読めた、というほどでもない。

 ただ、その辺りの人間関係の機微は、伊之よりかは分かっているつもりだが――


 もう自由時間が終了間際なのは事実である。戻らなかったら、先生にどれだけ怒られるか分かったものではない。

 あたしは動こうとしない伊之の袖を引っ掴み、立ち上がるように促した。

 渋々と言った風に伊之は立ち上がって、アニメーション研究部の五人を見回す。


「……俺は」

「阿仁田くん。僕らは大したお土産なんて用意出来ない。けど、これを君に受け取って欲しい」


 一路副部長が、伊之に近寄って、何かを直接手渡す。

 それは、一枚のプリントだった。手にした伊之が、ぼそりと声を漏らす。


「入部……届」

「きっと、僕らも彼女らも、間違っているんだ。君が正しいものを見極め、そしてそれに向かって真っ直ぐ突き進めるような力があるのは分かった。その力は、僕らにとって必要なものだと思う。来年、その力を貸して欲しい」

「…………」


 入部届を受け取り、伊之は言葉を噛み潰したまま、黙礼した。

 そのまま部室を出ていったあいつの背中を、あたしは慌てて追いかけようとする。

 が、その前に、頬杖をつきながら津臣先輩が語りかけてきた。


「アニタンはさー。手綱握っとかないとやべータイプっぽいしー。それ出来んの、多分ウマコだけだから、面倒見てやってなー」

「あ……はい。その、今日は色々とごめんなさい。これで失礼します」


 ウマコ……ってアダ名は初めて言われたな……。

 アニメーション研究部の方達に一礼して、あたしも部室を出た。


 あいつの手綱を握るつもりはあんまりないけど――今だけは、手綱に手を添えるぐらいは、してやるべきだと思った。

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