《始点のディフュージョン》②


「行く」


 ――で、自信は秒で粉々に打ち砕かれた。


「なんで!?」

「誘っておいてそれはおかしいだろう。行かない方がいいのか」

「そういうわけじゃないけど……だってほら、あんた進学のこととか全然考えてないって、この前あんたのお母さんから聞いたってママが言ってたし」


 あたしがらっことわちゃわちゃしている間に、とっくに伊之は帰宅していた。

 なので、わざわざこいつをあたしの家の前まで呼び出し訊ねたのだが、意外な返答であたしは戸惑っていた。

 せいぜい「行くわけないだろうが」とか「一人で行け」という返事が関の山だと思っていたのに、ここに来てあたしの予想を裏切ってくるとは。


 何かしら伊之にも心境の変化があった……のかも。

 さすがに受験生としての自覚が芽生えた、とか?


「余計なことを……。当たり前だが、俺だって別に行きたくて行くわけじゃない」

「それ当たり前じゃないから」

「単に、最近親がうるさいだけだ。アニメを観ているのに、横から茶々を入れられるとイライラする。言うなれば『やっている』というポーズだな。別に見学する高校はどこでも良かったのだが、丁度良いからそのなんたら高校でいい」

「昇陽高校! そのパンフに書いてるでしょ! 何の興味も無いの!?」

「あるわけないだろうが」


 残念ながら心境の変化は一切無く、むしろ今まで通りに過ごす為に、わざわざ学校見学に行くことにしたらしい。

 こいつには関係ないけど、あたしの塾の先生が聞いたら卒倒しそうなくらいにアレな理由だった。らっことは別の意味で、ある意味こいつもセンスで生きている。

 絶対に見習ってはいけない、淀んだセンスで。


 でも参加理由はどうあれ、らっこにとっては朗報になるだろう。

 あー、一方であたしはあんまり行きたくなくなってきた。当日、どういう立ち位置で動けばいいんだろう……。


「とはいえ、この学校見学は平日の午後にある。授業を堂々と抜け出せるというのは、これ以上無いメリットだろう。これも決め手と言えば決め手だな」

「そんな理由で高校の見学に行くやつ初めて見た……」


 こいつのお母さんが聞いたら涙するであろう理由だ。別に告げ口するつもりはないけどさ。

 伊之は、あたしがらっこから帰りがてら借りた、昇陽高校のパンフレットにほぼ目を通さず、あたしへと突っ返してくる。

 こいつにとっては教科書並みに興味のない代物なのだろう。こんな態度の受験生が、果たして存在していていいのか。


 あたしはどことなく呆れたような表情を作り、伊之を上から下まで眺める。

 らっこは一体、こいつのどこを気に入ったというのか。

 大してセットもしていない、ちょっと癖のある黒髪。銀縁のメガネの奥に鋭く光る瞳。全体的に線が細く、背も……何か見るたびに伸びてる。

 この前まで、あたしより少し高いくらいだった気がするのに、いつの間にかもうあたしを見下ろせるくらいになってるし。


 …………割と男前と言えなくもないのが、悔しい。


「急に黙るな。まだ何か用があるのか」

「……一応。当日、あたしは友達と一緒に回るつもりなんだけど」

「そうか」

「あんたも一緒に来ない? っていうか来ること」

「は?」


 今度は伊之が素っ頓狂な声を出した。

 これはさすがに不意打ちだったのだろう。

 恐らく伊之としては、自分一人で適当に見回るフリをしつつ、校内のどこかでアニメを観ようとでも思っていたに違いない。

 あたしの命令に対し、露骨な嫌そうな顔をしていた。


「どういう風の吹き回しかは知らんが――阿呆あほうかお前は」

「う、うるさい。どうせ一人で寂しく回るつもりなんでしょ? それなら別にいいじゃない」

「いいかどうかを決めるのは俺だろうが。何が悲しくて、お前とその知人と一緒に回らなければならないんだ。他を当たれ」

「知人じゃなくて友達なんだけど! ああもう、つべこべ言わずに来い! じゃないと、あんたが邪な気持ちで見学に行くこと、あんたのお母さんに言うぞ!」

「昔からその脅しが好きだな……」


 そりゃ当然、このフレーズは意外と効果がある、ということをあたしは知っているからだ。

 なので使ったのだが、やはり伊之には効いたようだ。

 もっとも、さっき言ったように、本当に告げ口するわけじゃない。

 が、『されるかもしれない』及び『こいつならやりかねない』と伊之が考えるので、伊之はとんでもなく嫌そうな顔をしたまま、深く息をついた。


「……はあ。その場に居るだけだぞ。下手に馴れ合えだの何だの言うのなら、すぐに抜ける」

「どうしてあんたってそう、人付き合いを嫌がるの……」

「嫌がっているわけじゃない。面倒なだけだ」


 何だっけこれ。中二病って言うんだっけ。中三のくせに。

 あえて言う必要があるかは疑問だけど、伊之は小学校の頃からずーっと友達が居ない。

 もしかしたら、あたしが知らないだけかもしれないが、少なくともあたしが見て来た限りは、学校内で楽しく同性の友達とお喋りしている場面はほぼ無かった。

 体育の授業で二人組を作れって言われたら、ほぼ確実に余るか、もしくは余り者同士でくっつけられていた程だ。


 そして何より一番厄介なのは、その孤独を伊之が望んでいるという部分である。

 孤独な自分に酔っていると思わなくもない。実際は、一人が一番気楽で、そして自分の好きなことが出来るからなんだろうけど。


 らっこの言っていた伊之の変な噂とは、言ってしまえばだ。

 表立っていじめられたりはしていないみたいだけど、裏ではいろいろ言われていることを、あたしは知っている。(どうしてそんなことを言われるようになったのかは、知らないし知りたくもない)


 学校ってものは、変わり者に対して非常に厳しい場所だ。『みんないっしょ』、『みんなおなじ』、それを徹底しているくせに、『』だけは徹底しない。

 『和』、或いは『輪』からちょっとでもはみ出たら、もうだめ。

 それなのに伊之は、小学校の時から今まで、ずーっとそこからはみ出ている。


「……辛くない? そんな生き方で」

「別に」


 とはいえ――仮に『みんな』からはみ出たところで、特にブレない伊之のこの異常なまでの強靭さは、正直結構カッコいいと思ったりする。

 いや、哀れだと思うし、友達出来ろって思うし、なんとかしてあげたいなーとは思ったりもするんだけど。でも、これぞ伊之だなって思ってしまうのも、事実である。

 一人で過ごしているのを見慣れすぎたから、そんなことを思ってしまうのかも。それはちょっと、こいつに対して失礼かな……。


 ……あたし達は多分、別々の高校に進学するだろう。(互いの成績的に)

 そうなったら、今以上にあたしはこいつと接点がなくなることになる。

 その時果たして、伊之はまともな生活を送っているのだろうか。そもそも、高校に行くことが出来ているのだろうか。疑問と不安は尽きない。


「話は終わりか? ならもう俺は部屋に戻るぞ。今期アニメの消化に忙しいのでな」

「あー、うん。じゃあね」


 あたし達はそう言い合って、そして伊之はくるりと背を向けた。

 よもや、互いに手を振るようなことはしない。仮にあたしが振ったとしても、こいつが振り返してくれる確率はゼロだし。

 が、伊之は思い出したかのように、こっちに向き直ると――


「莉嘉。最近冷えてきたから、風邪に気を付けろよ。じゃあな」


 ――そんなことをサラッと言ってのけて、去っていった。


「…………」


 そういうのをもっとこう、前面に押し出せばいいのに。

 なんて言ってやりたかったが、伊之が色んな人に愛想良く振る舞う姿を想像したら、やっぱり何だかモヤモヤしたので、何も言わずにあたしも家に戻った。


 ついでなので、今日からパジャマをあったかい冬用のものに替えたけど、アイツは別に関係ないとだけ、付け加えておく。

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