《近似のパースペクティブ》③

「ともかく! この議題については、近日中に充分に吟味した上で沙汰を下します。それまでは保留という形にしますが、いずれにせよ校内の風紀を乱すような行為は認められません! 以上、何か質問は? ありませんね? では、私はこれで失礼します」


 質問させる気がない感じだった。会長は踵を返して、さっさと部室を出て行ってしまう。

 前向きに考えるのなら、部長のウンチクで多少お茶を濁せたから、今ここで判決が出なかったのだろう。学校内で卑猥なアニメを観るな――一理あるといえばある。以前の咲宮会長だったら、問答無用でぼくらを切り捨てたに違いない。

 しばらく呆然としているぼくらだったが、やがて部長が大きく鼻を鳴らしてリモコンを握った。


「忙しない女だな。新入部員らしく、あと一本ぐらいアニメを観ていけばいいものを」

「あの……田中的に疑問があるのですが、部長先輩は会長先輩を最近ずっと新入部員として扱ってますよね? それって何故なのでしょう?」

「届け……。会長、まだ」

「だよね。部長、ぼくも前から気になっていたのですが」


 先に言っておくと、岩根さんは「生徒会長は入部届をまだ出していない」と言いたいらしい。そのニュアンスが部長に伝わったのかは謎だけど……。

 会長は最近律儀にここへ顔を出すが、本人が言うように部員になったわけではない。あくまで本人曰くの監視目的なのだが――当の部長は完全に新入部員として見ている。二人のこの意識のズレは、ぼくも気にしているところだった。


「何だ、随分とどうでもいいことを気にしているな」

「まあ……どうでもよくはないので……」


 ぼくはちらりと横目で馬越先輩の方を見た。文庫本を読んでいるはずの先輩だが、その視線は刃物の如く研ぎ澄まされて部長に注がれている。頁が進んでない。

うん、正直に言うと、その辺りをハッキリさせておかないと、馬越先輩が時折死ぬほど怖いのである。生徒会長のことを泥棒猫と言うと言葉が悪いが、部長があの人を気に掛けているのは紛れもない事実だし、馬越先輩のモヤモヤした気持ちも分からなくもない。

多分ツンデレ的に気が気でないのだろう。ああ、こんなこと言うと制裁されてしまうな……。

ぼくと岩根さんと田中さんは若干ハラハラしているが、そんなことは全く気にせず、部長はアニメを観ながら答えた。


「理由は複数ある。一つ、あの女をウチに取り込むと色々と融通が利く。一つ、アニメに対する奴の認識が俺は気に食わん。一つ――ああ、まあ別にこれはいいか」

「いや良くないから。早く言いなさいよ」

「ぶ、ぶぶ、部長先輩! 言葉を選んではいかがでしょう!?」

「思います。田中さんと……わたしも。九太郎くんも」

「は? 言葉を選ぶ必要なぞ無いだろう。まあ、言っても吝かではないが――」


 まさかとは思うが、部長は素で「あの女が気になるから」とでも言いそうだから困る。そうなった場合、誰が馬越先輩を宥められるというのだろうか。間違いなくぼくでは無理だ。

 田中さんと岩根さんの危惧に全く気付かず、部長は言わずにおいた理由を述べてくれた。


「――義理、というか約束だな。咲宮の祖母、つまりは弥刀野女史への」


「弥刀野先生への、ですか?」

「何かあったの?」


 ぶっきらぼうに馬越先輩が訊ねる。文庫本には栞が挟まれ、既に畳まれていた。


「……。孫を頼む、とだけだ。そこに氏がどんな意味を込めたのかは、最早窺い知れん。ならば、俺は昇陽高校アニメーション研究部現部長として、ヤツと接する。氏が守り続けたこの部の中に、かつてアニメ嫌いだった孫が居れば――向こうで氏の話の種にでもなるだろう」


 ――以上だ。部長はそう付け加えて、アニメ視聴に戻った。

 ぼくらはぽかんと口を開けて呆けていた。少なくともぼくは、部長の何ともぎこちない優しさに、かなり胸を打たれていたのである。

 多分、部長は停学中の間に、個人的に生前の弥刀野先生と会ったのだろう。そこで交わした会話がどのようなものかは分からないけど、部長は部長なりに、弥刀野先生に感謝と敬意を表している。それが、咲宮会長へのあの態度というわけだ。部長が校舎裏で会長の手を握り、無理矢理部室に連れて行ったその理由が、少しだけ理解出来た。


「優しいね。部長……坂井くん」

「いや、優しさの比較にぼくを出すのはちょっとアレだけど……そうだね」

「でも肝心のあの子が、ここに馴染むつもりはないみたいだけど?」

「た、確かに!」

「それは知るか。本当に興味が無いなら、ここに顔を出すはずもあるまい。ああクソ、湿っぽい空気になるからあまり言いたくなかったんだ。さっさとアニメを観るぞ」


 照れ隠しなのか、それとも本当に面倒に思ったのか、それは分からないけど、部長はさっさとテレビの方に顔を向けてしまった。ここで赤面の一つでもすれば分かりやすいのだが、流石というべきか何というべきか、部長に限ってそんなことはなかった。

 ぼくは馬越先輩の方を確認してみると、目が合ってしまった。そして、先輩は溜め息混じりに首を横に振る。


「昔から素直じゃないのよ、伊之は。アニメ好きの人間が増えて欲しいって、そう言えばいいのに」

「入部……生徒会長。どう思う?」

「すればいいな、とは思うよ。無理強いは出来ないけど……部長の気持ちも分かるしね」

「九太郎先輩がナチュラルに美弥美先輩の意図を理解しすぎてて、さっきからたまにお二人の会話が分からない時があるのですが……」

「慣れすぎるのも問題よね……」

「静かに観ろ。礼儀がなってないぞ」

「アンタに礼儀のことだけは言われたくない!」


 弥刀野先生の一件は、ぼくや岩根さんだけじゃなく、部長にも大きな何かを与えたのだろう。

 この人の考えは読めないことだらけだが――馬越先輩と並んで、部長もある意味素直じゃないから、いわばツンデレなのかもしれない。まあ、デレが来るかどうかは全くもって分からないけど……。

 こうして、ぼくらの部活は、少しずつ変化しながらも穏やかに過ぎていく。



 ――故に今回の事件は、そんな変化の始まりと言えるものとなった。



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