《始点のディフュージョン》④
暴れ馬を落ち着かせた経験はないけど、何だかそんな感じの伊之を座らせる。
今日一番どころか、近年で一番興奮しているらしく、座ってもなお前のめりだった。前の席の女の子がびっくりしたのか、ちらっとこちらを振り返った。
当たり前だが、アニメーション研究部という名前を聞いてテンションが爆上げされたのは、伊之だけである。他の見学者達はしらーっとしている。
っていうか、部活紹介でそんな興奮する要素なんて、普通はないだろう。
「ちょっと……! 落ち着きなさいって……!」
「これが落ち着いていられるか! アニメーション研究部だと? そんな部活があることを、どうして俺に黙っていたんだ!」
「いやあんな部のことなんて知らないし……。パンフの部活動紹介ページには載ってなかったもの」
っつーか、何であたしがあんたに教える前提なの。自分で調べろっつーの。
言うまでもなく、伊之は筋金入りの帰宅部だ。あたし達の中学に、アニメーション研究部みたいなマイナー寄りの文化部は存在しない。
そしてこいつは、半端に部活動をするくらいなら、さっさと帰ってアニメを観る。
よって、一切の部活動に興味が無いと、中学に入った頃は言っていたんだけど――
「そうか――高校によっては、そういう部活もあるのか。盲点だった!」
「水を得た魚ね……」
「ちょっと。静かにして頂けます?」
「あ、ごめんなさい」
前の席の子が、顔をしかめながらあたし達を注意した。
反射的にあたしは頭を下げる。
「おい、紹介はまだか! 何をもたついているんだ?」
が、伊之はその子の顔も言葉も全く意識の外にあるのか、ひたすら輝いた瞳を壇上へ一心不乱に向けていた。前の子の表情が、完全な渋面になる。
今この状況で騒いでいるのは伊之だけだから、どう考えてもあたし達が悪い。
言っても無駄だったことが癪に障ったのか、渋面のまま前の子は背筋を正して前に向き直る。
あんまりこっちと絡みたくないと思ったのかもしれない。けっこー申し訳ない……。
「な、何か……バタバタしてないかな? トラブルの気配がビビッと……ゲホッ」
ぼーっと静観していたらっこが、ふと壇上を指差す。伊之に気を取られていたあたしも、改めて前をちゃんと見た。
生徒の一人――恐らくはアニメーション研究部の部長と思しき人が、司会の先生に対して弁明のようなものをしているのだ。
その表情は遠くてよく見えないが、緊張とはまた別の、焦りのようなものが窺えた。確かに、紹介は一向に始まる気配がない。
明らかに進行に異常が出た――視聴覚室内が途端にざわめく。
「何かあったっぽい?」
「機材トラブルのようだな」
「え? 何で分かんの?」
「見たら分かるだろう」
さっきまで興奮していたくせに、伊之は一気に冷めていた。
皆が静かな時に騒ぎ、皆が騒いでいる時に落ち着いている――わざと真逆な態度を取っているんじゃないだろうな、と思う。
でも……あたしは知っている。
伊之は、何かすごい、ということを。
運動も勉強も人付き合いもやる気がないくせに、トラブルに対しては妙に強いのだ。それも、昔っから。
肝が据わっているのか、それとも単に鈍感なだけなのかは分かんないけど――あたしも今まで何度か、伊之に助けてもらったことがある。
今のこいつの横顔は、その時のものに似ていた。
気まぐれでやる気を出した時の、可愛げのない横顔――
「壇上にはスクリーンが下りている。さっき司会の教師も使っていたが、あれをそのままにしているということは、部活紹介でも一部の部活がプロジェクターを使うつもりだったのだろう。少なくとも、アニ研は使う予定だった。で、隅の方に待機していたアニ研と思しき部員の一人が、少し前に慌てた様子で舞台袖に走っていくのが見えた」
「えっと……プロジェクターって、あれよね?」
あたしは見上げるようにして天井を仰ぐ。
一台の平べったいカメラみたいな機械が、壇上の中央にレンズを向けているのが見えた。多分、あれがプロジェクターとやらだ。
「そうだ。吊り下げ型のようだな。ウチの中学は未だにビデオデッキとテレビだと言うのに」
「あれもう骨董品ってみんな言ってるからね……。って、だから何で機材トラブルなの? さっき普通に、先生があれで映像見せてなかったっけ?」
「全く印象に残っていないが、そうだな。あの演台の上に置いてあるノートパソコンで操作していたのだろう」
「じゃあ、そのノートパソコンが急におかしくなったってこと?」
「違う。隅の方に居た部員が持っていたノートパソコンの方だ」
「…………。あたし機械って苦手なのよね。何が何だか」
「知っている」
「ならもっと優しく丁寧に言え!」
自分は全部分かってますよ、みたいな顔をされると腹が立つ。
別に、伊之と同じところに立ちたいわけじゃないけど、あたしだけ分かっていないというのは悔しい。アニメの知識とかなら、どうだっていいのに。
面倒くせえ……みたいな顔をわざわざ作って、伊之はプロジェクターと演台のパソコンを交互に指差した。
「まず、プロジェクターとPCは有線で接続する。が、見たところケーブルの類は見当たらない。そも、天井に吊り下がっている時点で、ケーブルを繋ぎ辛い。となれば、ワイヤレスで接続しているのだろう。ここまでは分かるか」
「技術の進歩ってすごい」
「……阿呆かお前は」
「冗談だっての。あの演台のパソコンと、天井のプロジェクターが無線で繋がっていた。一方で、そのアニ研の人が持っていたノートパソコンと、あのプロジェクターは無線で接続されていなかった! だから機材トラブルってわけね!」
分かったような、分からないような、まあ半々ぐらいの理解度だけど、あたしはそう結論付けた。個人的には、正解をビシッと指摘したつもり。
が、伊之は無表情で腕組みし、特に反応を示さない。めっちゃムカつく。
「一台のプロジェクターに、複数のPCで接続することは可能だ。そして、このような部外者に向けた発表の場で、よもや機材チェックをしていないわけがない。ぶっつけ本番でやるとは考えられんからな。当日か前日かは知らんが、リハーサルでは何も問題が無かったはずだろう」
「ちょっと。あたしの考えについて何か触れてよ」
「単に接続されていないだけなら、接続し直せば済む話だろう。やり方が分からなかったら、教師に聞くかやってもらえばいい。だが、それでも一向に解決の気配は無い。つまり、接続の問題などではなく、もっと他のトラブルだ――とは考えられんのか、お前は」
…………あー、こいつの眼鏡に思いっきり指紋を刷り込んでやりたい。
マジでベッタベタにして、アニメが観れないようにしてやりたい。
「悪かったわね、考えが足りなくて!」
「全くだ。分かっているなら改善しろ」
あたしは人差し指で、伊之の眼鏡のレンズに漢字の『一』を書いた。反射的に。
「…………」
無言で眼鏡を外し、懐から取り出したメガネ拭きで、伊之は眼鏡を拭く。
「眼鏡外した方がイケメンに見えるし、高校入ったらコンタクトにしたらどうですかー」
「まああんたが高校に入れるか分かんないけど、だろう」
「まああんたが高校に……ああもうムカつく! 何よそれ!?」
「先程から随分と楽しそうですが、大声でお喋りがしたいのなら、外でされては?」
「う……」
また前の子に注意された。視聴覚室内はざわついているものの、みんな小声で喋っている。
そんな中で、声を荒げたのはあたしだけだ。自分の顔が熱を帯びていくのを自覚する。
すいません……と小声で俯きながら謝ったら、「次は先生方に言いますから」と、ピシャリと釘を差された。多分だけど、絶対委員長か何かやってる、この子。
「話を戻すが、機材のトラブルの詳細までは俺も分からん。ただ、この後の展開については分かり切ったことだが」
「あんたの精神って合金製か何かなの……?」
「……呆れた人ですね」
注意されても伊之が普通に喋ったので、前の子がまたこっちを振り向く。
別に伊之は大声を出してはいないものの、小声で喋るわけでもないので、やっぱり比較的うるさいのだ。前の子からすれば、それが不愉快なのかもしれない。
「誰だお前は。いきなり話に交じるな。友達居ないのか」
「…………」
ビキィ、という音が前の子から聞こえた気がした。
ごめんなさいこいつ無礼を極めようとしているんです――と弁明したら許してくれるだろうか。んなわけないか。
伊之の挑発的な態度に、前の子は多少ペースを乱されたものの、こほんと咳払いした。
こっちに絡むのをやめればいいのにと思ったが、ここで絡むのをやめたら伊之に負けたように見えなくもない。
少なくともあたしはそう考えたので、前の子も同じだとしたら……結構な負けず嫌いな性格なのかも。あたしと似てるかもしれない。
「……あなた、随分とアニメーション研究部にご執心のようですけど。あのような低俗な部活、来年度は廃部になっていると思いますよ」
「知った風な口振りだな。アニメが低俗ならば、それ以外の部活も全て低俗だろう」
「いやその理屈は意味わかんない……って、伊之! 落ち着きなさいってば!」
よりにもよって前の子は、アニメに対して否定的なことを言ってしまった。
大体何を言われても無表情で無視出来る伊之だが、アニメが絡むとそういうわけにもいかない。
同校の相手ならともかく、知らない中学の女の子と口喧嘩するなど、先生にバレたら何を言われるか分かったものではない。
相手の子も、クールなようでいてすぐに熱くなるタイプっぽいし……やっぱりあたしに似てるんじゃないか、って思った。
いやいや、んなこと考えてる場合じゃない。伊之を宥めなければ。
「理解不可能な価値観です。もっとも――この後の展開ならば、私も予見可能ですが」
「…………」
冷ややかな目で、前の子はあたし達を睨み付けた。
結構な喧嘩腰なのは、あたし達が不愉快だったから……だけではなさそうだけど。伊之が生理的に無理なのかも。
それには一定の理解を示してもいいが、あたしもこの子のことはちょっと苦手だった。同族嫌悪……って、冷静に考えたらそんな似てないか。
単に、こういう真面目で堅物なタイプがダメなだけだ。
伊之も負けじと睨み付けているが、黙ったので良しとしよう。あたしが一息つこうとしたら、司会の先生がマイクを持って全員に呼び掛けた。
「えー、ちょっとトラブルが起こってしまったので、アニメーション研究部の紹介は見送らせて頂きます。楽しみにしていた方も居たようですが、申し訳ない。では気を取り直して、次に紹介するのは、囲碁部――」
結局機材トラブルは解決しなかったらしく、アニメーション研究部の出番はそのまま終了となったようだった。
何事も無かったかのように、さらりと流されてしまう。
ちら、と前の子がこちらを振り向く。
「残念でしたね」
で、小声でそう呟き、そしてまた前を向いてしまった。
うわー……きっつ。
別にあたしはアニメーション研究部の紹介なんてどうでもいいんだけど、伊之にここまでストレートに言葉のパンチを打ち込める人はそう多くない。
ちらりと横目で、あたしは伊之の様子を窺ってみる。
久々に、激怒した幼馴染が見られるかもしれない――
「……………………」
――が、思っていた以上に伊之は冷静だった。
そう言えば、この後の展開がどうのこうのと、さっき自分で言っていた。
ならばアニメーション研究部の発表がお流れになることは、伊之も予想済みだったのだろう。だからあんまり怒ってないのかも。
いや、怒って欲しかったわけじゃないし、怒らなくて良かったんだけどさ。
「莉嘉」
「なに?」
短く静かに、伊之があたしを呼ぶ。怒った方が、多分マシだったやつだ、これ。
長年の付き合いだからこそ、分かる。こいつは本当に、怒ってない。
でも、可愛げのないその横顔は、もっと他の何かを示している。
これは、多分――
「この後アニ研に行くぞ。ついてこい」
「やっぱり……」
――やる気から、本気になった。そういうスイッチが入った、ってこと。
あーあ。今日は一緒に回るという約束など、させなければよかった。
この約束が無かったら、「やだ」って言ってやったのに。
また居眠りしていた、らっこの「ふが」という寝言を、あたしは返事の代わりにしておいた――
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