《始点のディフュージョン》⑦


「ねえ! まぁーったく理解が出来ないんだけど!?」

「何がだ」

「大体全部よ!」

「具体的に言え。場合によっては教える」


 こいつ……。せっっっかく文句言わずに付き合ってやってるのに……。

 あたしの貴重な学校見学の時間を消費してるって自覚とかあるの?

 ……いやない。絶対ない。間違いない。


 部室を出た伊之は、さっさと部室棟を出てしまった。いつもより早足なのは、残り時間がそう多くないからだろう。

 自由時間は90分だが、もう40分近く使ってしまっている。あと一時間も残っていないのは、伊之としても焦りに繋がっているのかもしれない。


「もうこの際、あんたの暴走については何も言わないでおく。DVDを探すって、どこにあるか見当とか付いてるの? 闇雲に探すつもりじゃないでしょうね」

「阿呆かお前は。そんな不誠実な行動が取れるか」

「不誠実な生き方してるくせに……」


 大体どんな嫌味を言ったところで、こいつには全く通用しない。

 眼鏡のブリッジを指で押し上げつつ、伊之は急に立ち止まる。緩急の差が激しいので、あたしは思わず転びそうになった。


「急になんなの!」

「……道が分からん」

「は?」

「莉嘉。お前、この学校に詳しいか?」

「詳しいと思う? 条件的にはあたしらほぼ一緒なんだけど」

「それもそうか。校内見学など漫然と歩く作業だからな。各教室の場所など覚えてられん。しかし、時間がそうないのも事実。どうするか」

「どうするか、って……」


 逆に何でここまで適当に歩いてたのよ。そう言いたかったが、やめておいた。

 伊之は手近な壁に背を預け、腕を組む。

 時間が無いと言いながらも、動くのをやめてしまったので、あたしもこいつにならって隣に並んだ。


「――DVDの在り処についてだが、ポイントはいくつか絞っている。恐らくだが、そこのポイントのいずれかにDVDはあるはずだ」

「…………。あんたのことだから、そう言うとは思ってた」

「何だそれは。闇雲に探していると思っていたんじゃなかったのか?」

「あんたって、考えなしに行動することがほとんどないじゃない。道が分からないとか、そういう考えなしなのはあるけど、結局誰にも何も言わないうちに、DVDの場所だって目星がついてるみたいだし。でもこうやって足を止めるってことは、他に気になることがあるんじゃない? 一応あんたの幼馴染としての勘だけど」


 急いで行動したり、急に立ち止まったり、傍から見ればわけの分からない行動を取っている伊之だが、付き合いが長いあたしから言わせれば、それは何か悩んでいるからである。

 まあ、悩みがあったところで他人には言わないだろうし、悩んでいると白状することもないんだろうけど、あたしの指摘に多少は思うところがあったらしい。

 伊之は「ふん」と鼻を鳴らして、また眼鏡のブリッジに指を添えた。


「気になる、と言うよりかは答えが出ない。まあいい。少し話に付き合え」

「そんな暇あるの? 別にいいけどさ」

「多少なら問題ない。では大前提として――今回の一件は紛失か盗難、どちらだと思う?」

「盗難」


 淀みなくあたしは伊之の問いに返答した。

 正針部長や一路副部長の話を聞いて、紛失と考えるような人は居ないだろう。

 正針部長は紛失と主張していたけど、DVDの中身だけを失くすはずがない。パッケージを落とした、とかなら分からなくもないけど。

 なので、その『妄想代理人』とかいうアニメのDVDは、誰かの手によって盗まれたと考えるのが普通だ。

 伊之も頷いた。


「自明だな。莉嘉でも分かるほどに」

「言っとくけど、あたしこの前の実力テストの点数、あんたの倍以上あるからね?」

「だからどうした。じゃあ次だ。盗難ならば――

「……っ」


 思わず、あたしは息を呑んだ。こいつの目付きが鋭いのはいつものことだが、この質問をした瞬間、震え上がるぐらいに冷たい目になったからだ。

 質問の中身も、あたしは冷や汗が出るぐらいに嫌なものだった。


「……内部犯、でしょ?」


 しかし、あたしだってこいつが思っているほどのバカじゃない。ゆっくりとだが、自分の答えを伊之に述べた。

 この事件は、内部犯――つまり、アニメーション研究部の五人のうち、誰かがやったとしか考えられないのだ。

 その根拠はいくつかあるが、先んじて伊之がまた頷いた。


「そうだ。それ以外考えられない。外部犯ならば、目的が必ずある。仮に金銭目的ならば、DVD一枚だけを盗るはずがない。他の部の嫌がらせだとしても、『妄想代理人』のDVDをパッケージごと盗めばいい。だが、実際に盗られたのは、プレーヤーの中に入っていたDVDそのもの一枚だけだ。第一、いくら施錠管理が杜撰だとは言っても、部室に鍵が掛かっていないことの方が稀だろうし、プレーヤーの中に目当てのDVDが入っていると知っているはずがない。裏を返せば、昼休み以降に部室の鍵が空いていると知っているのも、プレーヤーの中身に目当てのDVDが入っていると知っているのも、アニメーション研究部の人間以外は居ないんだ。これで外部犯と考える方が無茶苦茶だな。小学生でも内部犯だと分かるだろう」


「それは、話を聞いてる時、あたしも何となく分かった」


 そもそもが不自然な事件なのだ。

 伊之の言うように、犯人――そう呼ぶしかないのが残念だが――は、明らかに内部犯であるような行為に及んでいる。


 なのに……どうして、正針部長は紛失であると主張し続けたのだろう。

 盗難という言葉を、極力使わないようにしていたのだろう。

 部外者のあたし達ですら分かったことだ。当事者であるあの人達が、


「答えが出ないのはそこだ。あの人達は恐らく、誰がやったのか薄々分かっている。しかしその上で、分かっていないフリをしている。或いは、無関心でいる。つまり、庇っているんだ。その理由が分からん。ああ、先に言っておくと、。個人的には後者だと思うが、些細なことだな」

「塚井先輩と新地先輩……」


 何でもないように、伊之は犯人をスパッと断言した。

 あたしとしては、津臣先輩以外は全員怪しく思っていたんだけど……。


「理由聞いてもいい? まさかあんたに辛く当たってきたから、とかじゃないでしょうね」

「そんなわけがあるか。理由は、DVDを見付けたら話す。十中八九犯人は間違ってはないだろうが、仮に外していたら単なる中傷になるからな」

「あんたでもそういうの気にするんだ……」

「仮にも先輩だろう。もっとも、向こうは俺がDVDを見付けてくるとは思っていないが」

「え? そうなの?」


 アニメーション研究部の人達からすれば、伊之は果たしてどういう風に見えているのか、ふと考えてみる。

 テストの点数が、昇陽高校の受験資格が無いレベルで低く、しかしそれでいて妙に冴えた部分がある、中学生アニメオタク。


 そのアニメオタクが、どこまでやれるのか――恐らく、侮っているのではないか。

 実力テストは確かにしょっぱいけれど……こいつの実力そのものは、勉強では全然測れないってことに。


「時間制限があるからな。漫然と探せばタイムオーバーになる。それが分かっているからこそ、特に何も言わず俺を行かせたんだろう」


 あたしは、内部犯であることは薄々分かっていたものの、DVDがどこにあるのかは全く見当が付いていない。

 アニメーション研究部の人達は、恐らく伊之もあたしと同じぐらいの状態だと思っているのかも。分かってないのに虚勢を張っている、みたいな。


「いずれにせよ――そろそろ動くが、莉嘉だけでは足りないな。あと一人か二人欲しい」

「……何が?」

「人手だ」

「あー、人海戦術ってやつ?」


 伊之が目星を付けたところを、分散して探してくる。そのつもりなのだろうか。

 が、あたしの人海戦術という答えに対しては、伊之は露骨に呆れた顔をした。


「時間があるから人海戦術をやるのであって、時間がないのに人海戦術など出来るか。情報が錯綜するだけだ」

「知らないわよそんなこと!」

「まあいい。さて、一人はあの風邪っぴきが居るとして、あと一人は――」


 ダウンしているらっこを平然と数に入れた。鬼かこいつは。

 使えそうな人間を思い浮かべている伊之の前を、誰かがさらりと通っていく。

 ――すると、その人の手首を、伊之はいきなり引っ掴んだ。


「待て」


「ひゃああ!」

「あ……」


 悲鳴を上げるその子には見覚えがあった。

 部活紹介の時に、あたし達の前に居た、あの生真面目そうな子だ。どうやら伊之もこの子の顔を覚えていたらしい。


 もっとも、伊之がやっていることは変質者そのもので、反射的に殴られても仕方ないような真似だが、悲鳴だけで済んで良かったと思うべきか……。

 あと回りに誰も居なかったってのも幸運だったわね……。


「な、ななな、なんですか!? いきなり!?」

「暇そうだな、お前。ちょっと手伝え」

「あ、あなた、部活紹介の時の……って、離しなさい! 無礼者!」

「手首を掴まれたぐらいで騒ぐな。わざわざ他校の人間に注意するくらい、お前はクソが付くほどの真面目な人間だと見込んで話がある」

「あんた喧嘩売ってんじゃないでしょうね……」


 とんでもなく上から目線で、しかも挑発的である。

 あたしが彼女の立場なら、ビンタの一発でも無条件でくれてやるが、幸いにしてこの子は顔を赤くして歯噛みするだけで済んだ。


「話って、私は今からお手洗いに行くところで、学友の方を待たせていますし暇では――」

「人助けと便所、どっちが大切だ? 考えるまでもないだろう」

「それは人助けですが……」


 いや、お手洗いも結構大事じゃない?

 人によっては、人助けより優先するような……。

 根が善人なのか、この子は伊之のめちゃくちゃな行動に怒りを露わにするよりも、人助けというワードに反応したらしい。

 それを見た伊之が、ようやく手首から手を離した。


「ならば困っている俺を助けろ。莉嘉、一旦あの風邪っぴきのところへ戻るぞ。保健室か?」

「多分そうだけど……保健室の場所までは知らないわよ。先生が連れてったから」

「保健室って……気分が悪いのですか、あなたは? それならそうと言って下さい。案内しますので」

「よし。早急に頼む」


 微妙に勘違いしているみたいだけど、まあいいか……。

 前の子――名前が分からない――は、迷いなくスタスタと歩いて先導している。

 同じ学校見学に来た身とは思えないほどだった。一回の見学だけで、この学校の間取りを把握したのかな。

 あたしの疑問は伊之も同じくらしく、すぐに訊ねる。


「お前、地理が得意なのか。随分と我が物顔で歩いているように見えるが」

「悪意ある表現はやめてくださる? 単に、私用でこの学校に何度か来たことがあるだけです」

「そうなんだ。理由聞いてもいい?」

「母が昇陽高校の関係者なので」

「ほう。思った以上の収穫だな。道案内役としても使えそうだ」

「……元気そうですね、あなた。本当に気分不良なのですか?」

「ああそうだ。分からん問題のせいで気分は悪い」


 物は言いようってやつかしら……。

 それにしても、母親が昇陽高校の関係者って、親が教師ってこと?

 親の居る学校に通いたいとは、あたしはあんまり思わないけど、この子はそうでもないのかな。

 伊之としては、たまたま捕まえた彼女が思っていたよりも使えそうで、どこか上機嫌である。

 …………なんかむかつく。


「はい、着きましたよ。では私はこれで」

「まあ待て。そう焦るな。莉嘉、あの風邪っぴきを呼んでこい」

「先に言っとくけど、らっこの体調次第じゃ呼ばないからね」

「まだ何か私に用があるのですか? ま、まさか、不埒な考えを……!?」

「阿呆かお前は。とにかくまだ行くな」


 二人の噛み合わないやり取りを背にして、あたしは保健室の扉を叩いた。

 中から声がしたので、おずおずと入ると、綺麗めな保健室の先生が出迎えてくれる。うちの中学の保健室の先生は、恰幅のいいおばちゃんなので、何だか意外だった。

 先生は小首を傾げながら、あたしのことを上から下まで見回している。


「あなた、見学に来た中学生ね。どうしたの? 気分でも悪い?」

「あ、いや、ここに友達がいると思うんですけど、迎えに……」

「その制服――ああ、彼女の。集合時間にはまだ早いけれど、何かあったの?」

「えーっと、あの子が動けそうなら、一緒に見て回りたい部活がありまして……」

「んー、個人的にはあんまり動かしたくないんだけど」

「だ、大丈夫でひゅ……」


 カーテンが開くシャッという音と共に、顔色の良くないらっこが現れた。

 どうやら起きていたらしく、あたしの声に気が付いたのだろう。

 らっこはややふらつきながらも、靴を履いて立ち上がり、先生に頭を下げる。


「すいません、お世話になりました……どうしても行かなくてはならない場所があるので……」

「もうすぐ見学も終わりだから、特別に許可するけど、帰ったら絶対に安静にすること。いいわね? それとあなた達、手束中学の子達ね? 引率の先生には私から言っておくから、くれぐれも無理しちゃダメよ?」

「は、はひ……! じゃあ行こうか莉嘉ちゃん――食堂へ!」

「ごめん多分食堂行けない」

「ふぁんで!?」


 化粧品の略称を叫ぶようにしてらっこが驚愕した。事情の説明は……もういいや、外で待ってる伊之にやらせよう。

 本人曰く頭数を揃えたとのことで、伊之は前の子にまた道案内をさせる。

 目指す場所は――職員室とのことだった。


「別に難しいことを要求はしない。単に、職員室に入り、なるべく多数の教師の目を引け。それだけでいい」

「……あなた、何をされるつもり? 体調不良でもなかったようですし」

「気にするな。人助けであることは事実だ」

「よ、よくわかんないけど……手伝えばいいんだよね?」

「私が手伝うのは、これで最後ですからね!」


 結局、事情説明をかなり適当に済ませた伊之は、未だ状況が分かっていないらっこをよそに、職員室の前で周囲を見回している。

 前の子のおかげで、全く迷わなくで済んだけど、彼女も最終的に巻き込んでしまった。


「じゃあ行くぞ――莉嘉から」

「なんでよ」

「先頭を切ったら目立つからに決まっているだろうが」


 ああ、目立ちたくないんだっけ。そもそもの話、DVDが職員室にあるかもしれないって、全くピンと来ないんだけど。

 それでもここを最初に探すということは、伊之としては職員室が一番怪しいと踏んでいるのだろう。

 詳しい説明は後回しにされているので、あたしは緊張しながら職員室へと入った。


「失礼しまーす……」

「し、しつゲホッ」

「失礼します」

「…………」


 職員室の中に、あまり先生は残っていない。一応、他校の生徒であるあたし達見学者が来るわけだし、校内の巡回に人手を割いているようだ。

 それに加えて、部活の顧問をしている先生は、その部活に顔を出しているみたい。

 伊之にしてみれば、渡りに船なのだろう。


 入り口近くにいた先生が、不思議そうな顔をしながら、あたし達を眺めている。

 中学生が見学の自由時間で職員室を訪れるなど、よっぽどの用事だろう。先生はそう考えたようで、立ち上がってこちらへと寄ってきた。


「どうしたんだい? 何か問題でも?」

「あ、いえ……」

「ええーっとお……」

「昇陽高校のここ数年の進学先について、興味がありまして。巡回の先生に訊いたところ、職員室に居る先生方に詳しく教えてもらいなさいとの指示を受けました。今、お時間大丈夫でしょうか? 資料など頂けましたらありがたいのですが」


 す、すごいな、この子。よくもそんな嘘がホイホイと出てくるわね。

 ……いや、嘘をついたんじゃなくて、本当に興味があるのかも。

 いずれにせよ、その話に乗らないわけにもいかないので、あたしとらっこも首を縦に振って頷いた。


「あー、なるほど。確か詳しい資料がどこかに……」


 初期対応をしてくれた先生は、他の先生のところへ行って、何か確認している。


「よくやった。随分と舌が回るようだな」

「……別に、元々窺いたいことでしたし。先に言っておきますが、物を盗んだりはしないでしょうね? そういう悪事は断固として許しませんよ」

「ああ、それはない。適当に切り上げていいから、後は頼んだ」


 そう言って伊之は、職員室の中――ではなく、その隣にある部屋へズカズカと歩いていく。

 歩きながらも、やたらと周囲をキョロキョロ見回しているのは、やや不審者っぽいが。


「あ、阿仁田くん、どこ行くつもりなんだろ……」

「わかんない……」

「あそこは、確か会議室です。先生方が打ち合わせでよく使う部屋ですが」


 職員室のすぐ隣の会議室。外から入ることも出来るが、恐らく施錠されていたのだろう。

 だが、隣接している職員室の中からならば、扉が繋がっているので入ることが可能らしい。

 伊之がその部屋をいの一番に目指したということは、そこにDVDがあるということなのだろうか。でも、何でその部屋なのかは、あたしにはまるで分からない。


「よいっ……しょっと。これ資料なんだけど、ちょっとバラバラになっちゃってるから、すぐホッチキスで留めて人数分渡すよ。制服違うけど、目的は一緒?」

「ええ。彼女達も同じ理由でここに居ます」

「進学先とか知るのは大事だからねー。って、三人だっけ? 何か眼鏡をかけた男の子も、最初居たような気がするんだけど」

「あ、廊下で待ってるのかもしんないです……」


 実際はすぐ隣の部屋を物色しているのだが、あたしの嘘に先生はまるで反応しなかった。「そっかー」とだけ言って、他の先生も呼んで、パチパチとホッチキスを使って資料を作ってくれている。

 何というか、罪悪感がすごい。

 ……頂いた資料は、家に帰ったらちゃんと目を通そうと思った。


 そうしてあたし達が資料をもらい、職員室を出ると、廊下で伊之が先に待っていた。


「遅かったな」

「あれ? 阿仁田くん、どこから脱出したの……?」

「会議室の出入り口からに決まっているだろう。中から鍵を開けた」


 入りさえすれば、出ることは容易みたいだった。

 が、あたしが気になったのはそれではない。


「で……あったの? 例のものは」


 返事は言葉ではなく、行動で示された。す、と伊之が片腕を突き出す。

 ハンカチで包まれた円盤状のものが、そこには存在していた。


「あ、あなた! そのようなものを会議室から盗んできたのですか!」

「いきなり何だ。これはアニメーション研究部の備品だが」

「アニメーション研究部の――まさか、人助けとは」

「ああ。アニメーション研究部の方々を助けた。人助けに違いはないはずだろう」


 別段、騙していたわけでもないし、からかったわけでもない。

 しかし前の子は、苦々しげな表情を隠そうともせず、踵を返した。


「……時間の無駄でした。これで失礼します」


 そう言えば――彼女は、アニメに対して否定的なスタンスなんだっけ。

 理由は知らないけど、嫌いなアニメに関する手伝いをさせられたのだから、良い気分ではないだろう。

 が、全く何も気にしていないのか、伊之は彼女の背中に声を掛ける。


「おい、前の席に居たお前!」

「何ですか、その呼び方は」

「お互い名前を知らんから仕方ないだろう。俺は阿仁田だ。今日は助かった。礼を言う」

「…………。咲宮です。どういたしまして。では」


 静かに言い残して、前の子――咲宮さんは、長い黒髪を靡かせながら、去っていった。

 伊之はフン、と鼻を鳴らす。


「明日には忘れるだろうがな」

「あ。あたし名乗るの忘れた」

「もう会うこともないから問題ない。それよりも、部室に戻るぞ」


 さっさと伊之が歩き始める。目的であるDVDは、何とか制限時間内に探し出せた。あとはこれを部室に持って行けば、話としてはおしまいだ。

 しかしあたしの隣で傍観していたらっこが、ぼそりと呟く。


「え……食堂は……」

「ご、ごめんらっこ! あたし達、本当に人助けっぽいことしてて……」

「そっかぁ……。旦那に振り回されるのも妻の役目だもんね……」

「ちょっと何言ってるか分かんない」

「いいよいいよ、莉嘉ちゃんは阿仁田くんの隣にいてあげて。一人で……行くから……」


 それだけ言い残し、風邪っぴきは風に吹かれるかのごとく、さーっと去っていった。

 本来なら、あんなバカ幼馴染は放っておいて、らっこに付いていくべきなんだけど、あたしの足は動かなかった。

 中途半端にこの一件に関わっているから、途中で抜け出したくなかったし、伊之から聞きたいことが色々残っていたからだ。


 要するに――事の顛末を、あたしは自分の目で見届けたかったのである。


 今度、らっこにお菓子を奢ろう。それだけ心に決めて、あたしは伊之を追い掛けた。

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