《始点のディフュージョン》③
伊之が言っていたように、平日に行われる学校見学へ向かう生徒は、途中から学校を抜け出しても良いことになっている。
とはいえ、当然教師の引率の元、ちゃんと人数確認をした上で向かうから、これを理由に学校をサボったりは出来ないのだけれど。
それでも大半の生徒が授業を受けている中で、そこから解放されて外に出るというのは、何だか言いようのない高揚感のようなものがある。プチ遠足みたいな感じ。
「あ、ああ、あああ、あの、あの」
「…………」
――まあプチ遠足よりも、よっぽど気苦労が多いんだけど。
まさかの伊之が同行するという事実は、らっこを天高く舞い上がらせた。それはもう喜んでいたので、誘ったあたしとしても良いことをしたと思っていた。
だが、らっこはその勢いを保持することが出来ずに、現在マスクを着用して慌てた様子である。つまりは、風邪。
曰く、「テンションが上がりすぎて寝不足になった結果」らしい。ここ数日間、彼女は学校をずっと病欠していた。
なので本当は今日も、学校を休んだ方がいいくらいの体調みたいなのに、無理を押して参加に踏み切ったみたい。
建前上は受験の為……なんだけど、実際は伊之が来るからって部分も大きいと思う。
そんな罪作りな野郎は、あわあわするらっこに見向きもせずに、ぼーっと空を眺めている。
「……ちょっと。これから一緒に行動するんだから、自己紹介くらいしなさい」
「阿仁田だ。よろしく」
「早っ! もうちょい改まったら!?」
「らっこです!! 本日はお日柄もよゴホッゲホッおブッ」
「なんでらっこもアダ名で名乗るの!?」
ダメだこの二人……! 片方はやる気がないし、片方は頭が回ってない……!
昇陽高校の見学希望生徒はそんなに多くなく、十人くらいしか居ない。案の定こういうのは、友達同士で向かうのが普通だから、あたし達三人以外はもうグループで固まっている。
今更自己紹介をするのは異質であり、何だか他のグループから注目を浴びて恥ずかしかった。
「い、いちおう、阿仁田くんとは、一年のとき同じクラスだったし」
「え……そうなの?」
あたしがらっこと仲良くなったのは、部活が同じだったからだ。ついでに言うと、あたしは三年間伊之と同じクラスになったことがない。
なので、一年のときに二人が同じクラスだったということは、普通に初耳だった。
「二年前のクラスメイトなぞ覚えているわけあるか。初対面だ」
が、無礼を極めようとしているこの幼馴染は、真顔でその縁をぶった切った。
期待はしていなかったが、伊之がクラスメイトの顔と名前を覚えているはずもない。
しかも相手は女子だし、それこそ喋ったことなんて無いんだろうけど……もうちょっと気遣いとかあるでしょ、常識的に。
「先に言っておく。俺に気を遣う必要はない。お前は莉嘉と喋りたかったら遠慮するな。そこに俺をわざわざ混ぜようなどと考えなくていい。俺は空気のようなものと考えてくれ」
「あんたねえ……」
「つ、つまり、全人類にとって、阿仁田くんは必須ってことだよね……?」
「もう帰りたい……っ!」
釘を差した伊之に負けず劣らず、斜め上の天然解釈でらっこが対抗する。
普段からセンスで生きているらっこだが、体調不良によりそれが悪い意味で加速しているみたいだった。伊之はしばし黙考し、言葉を選んでいる。
「体調が悪いようだから帰れ」
そしてえげつない一撃を繰り出した。いや、まあ、一理はあるんだけど。
でもらっこはあんたと一緒に回りたいから、今日は無理して参加してるわけで……ああでも、そんなことこいつは全く知らないんだった。
っつーか、帰りたいのはあたしよ。なんなのこの二人。
会話がどう発展するか一切読めなくて怖いっての!
「ま、まあ、折を見て帰りやすね、へへへゴホッ」
「…………」
「えーっと……らっこも無理せずに、しんどくなったらすぐ言ってね。伊之はもうちょっと、ツッコミとかそういうのに気を配ること」
「
ああもうこいつのこの厭味ったらしい口癖、今日は特にムカつく……!!
相手が病人でも、伊之は全く対応を変えない。
いや、「帰れ」という部分に、恐らく伊之の最大限の気遣いが表れているんだろうけど……それをらっこが理解したかは微妙だ。
「り、莉嘉ちゃん」
「どうしたの? 体調ホントにやばいなら、すぐ先生に――」
「ヘルプ……」
「五分持たなかった……!」
嫌気が差したわけじゃないだろうけど、万全ではないらっこにとって、伊之という怪物の相手は荷が重かったようだ。
学校を出発して早々に、あたしにヘルプを乞うとは。
一応この前までは、「当日はなるべく自分のパゥアでがんばる」と息巻いていたんだけど……。
この調子では、昇陽高校に到着する前にらっこの体調とあたしの胃がどうにかなっちゃいそうだ。
しょうがないから、あたしが二人の間に入ることにする。
「ねえ。どうせ今日の予定とか何も知らないんでしょ?」
「ああ」
こっちを見向きもせずに返答する。
あたしは慣れているので平気だが、人によってはこれも不快に思うだろう。でも伊之に悪気はない……故に最悪なんだけど。
会話の糸口を作ったので、あたしはらっこに目配せした。これでしばらくは喋ることが――
「あ、阿仁田くんって、好きなものとかある……?」
――いやなんでやねん。あたしのアシストはいずこへ?
味方へトスを上げたら売店に行かれたくらいの仕打ちだった。
「無い」
――いやなんでやねん。普通に嘘つくな。アニメって言え。
そもそも試合会場にこいつは居なかった。
「最初は体育館で話を聞いて、その後は校内案内、んで視聴覚室で部活動紹介! 最後は自由時間で校内をうろついていいらしいから、そこで何するって話をしたいなあ!!」
半ば強引にあたしは話題を元に戻した。自分でトスを上げて、そして自分でスパイクを打つようなものだった。反則である。
とはいえ、自由時間に何をするかは考えておかねばならない。
丁度、自由時間を放課後の時間に被せているらしいから、大体の生徒は部活紹介で気になった部活動に顔を出したり、もう一回校内をしっかり見て回ったりするらしいけど。中には志望校の教師へ媚びを売るような生徒も居るって話だが、まあこれは有り得ない選択肢だ。
あたしの提案に、らっこは咳き込みながら考えている。
「や、やっぱり……食堂で何か食べないと」
「ブレないわね……」
「自由に動いていいのなら、先に帰っても良いのか」
「ちょっとはブレろ」
いいわけあるか、と言う気力もない。
「莉嘉ちゃんは?」
「あたしは無難に、部活動を見て回りたいかなー。昇陽高校って、絶対に生徒が部活動をしなくちゃダメなんだって」
「とんだブラック高校だな。反吐が出る」
「勝手に出してろ! そのかわり、色々な部活があるし、部室棟っていう各部の部室が集まった校舎もあるんだってさ」
「おお、詳しいなあ莉嘉ちゃん……」
「ま、せっかく見学に行くわけだし。事前に調べておくのは基本でしょ」
「時間の無駄遣いにしか思えん」
ぶっ飛ばしてやろうかこいつ。
あたしがわざわざ昇陽高校の特色を話したのに、伊之は一切の興味が無いようだった。
そもそもこいつの学校見学の目的は、授業を抜け出してぼんやりする程度のものだ。今更興味を引くようなものなどあるはずもない。
授業内容とか進学先とか食堂事情とか部活の特色とか、あたしとらっこは(なるべく伊之を交えるようにして)喋ったのだが、伊之が食い付いてくる話題は一つも出なかったのだった。
そうして――あたし達はようやく、目的地である昇陽高校に到着した。
*
「このように、当校は生徒の自主性や自立心を育みつつ、社会に出るにあたって何ら悖ることのない、規律と道徳を守る――」
この学校見学は、当然だがあたし達以外の中学からも多くの希望者がやってくる。
見たことのない制服がずらりと体育館に並んでいるのは、ちょっと壮観であった。
今は壇上で、理事長とかいう偉い人がつらつらと長文を述べている。
基本的に偉い人って、生徒に聞かせることは二の次で、とにかく自分が喋りたいことを喋るイメージだ。それはどこの学校であろうと変わらないみたいである。
「なんて――小難しいことをお仕事なので長ったらしく喋りましたが、要はこの学校が少しでも気に入ったのなら、たくさん勉強して是非願書を送ってくださいね、ってことです。はい、つまらないお話は以上! 今日は皆さん、楽しんでいってね!」
と思っていたら、何だか壇上の人はちょっとだけ違ったようである。
冗談めかしてそう述べると、早々に話を切り上げてしまった。うちの校長にも見習わせたい。
ふとあたしは両隣のらっこと伊之を見ると、どちらも居眠りをしていた。
前者は体調不良だから仕方ないとして、伊之は単純に聞く気がないから寝たのだろう。案の定である。
そこから先は、特に問題なく進行した。建て替えてまだそんな経過していないという昇陽高校の校舎はとても綺麗で、ボロボロのうちの中学に比べると月とスッポンである。
それだけでこの高校がとても魅力的に感じるほどだ。
校庭、各教室、音楽室、美術室、理科室、食堂、職員室、部室棟など、学校ごとに固まって、流れるように案内されていく。
それらが全部終了した後、視聴覚室にあたし達は集められた。
先に述べた通り、今からは部活動紹介が行われる。
ご丁寧に、それぞれの部活の代表者達が、手ずから中学生達へと魅力を述べてくれるようだ。
「は、はやく……食堂に行きたい……」
「あんま無理しちゃダメだからね。顔色悪くなってない?」
「思っていた以上に面倒だな。二度と学校見学には行きたくない」
こいつの体調不良にかこつけて早退したい――伊之がそんな最低なことを呟く。
とはいえ、らっこは本格的に体調が下り坂のようだ。食堂の夢は叶わないかもしれない。引率の先生も、しきりにらっこのことを心配しているみたいだし。
そうこうしている間に、視聴覚室の照明が薄暗くなり、司会進行の教師がマイクを持って登場した。前説……というやつだろう。特に気を引かれるものもないので、あたしは聞き流す。
教師はパソコンを操作しながら、壇上にあるスクリーンへ普段の部活風景の写真を流していく。
野球だったり、サッカーだったり、吹奏楽だったり、将棋だったりと、様々な部活のワンシーンが切り取られていた。
たくさんの部活がこういう感じで活動していますよ、という大まかな概要を見せたいのだろう。
「えー、時間の都合で、今回皆さんへ個別に紹介する部活動は、当校のほんの一部です。とはいえ、紹介されなかった部活も、魅力的な部活ですけどね! では、早速紹介していってもらいましょう!」
まあ、限られた時間で全部の部活を紹介出来るわけないか。
因みに、登場は五十音順とのことである。あたしはついあくびをしてしまった。
部活動は特に気になるものはない。見学は興味本位でしたいのだけれど――
「トップバッターは、アニメーション研究部です!」
――がたんっ。
その音に驚いて、あたしは隣を見上げる。
目を見開いた伊之が、思わず立ち上がったのだ。
――これが、事件の始まりになるとは、この時のあたしは全く予想もしていなかった。
が、伊之のこの反応だけは、アニメーション研究部って名前を聞いた瞬間に予見出来たってことは、先に主張しておく――
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