§17 心から応援したいと思った

「あ。お疲れさまっす」


 長らく客足が遠のいていた日本の映画界にも、数年前から復活の波が来ているらしい。そのことを実感できるように、平日でもそこそこの客足がある。


「おお、あいちゃん。コーヒーベンダーの調子、戻った?」

「なんとか動いてますけど、まだ怪しい音もしてて危険っす」


 峰岸みねぎし愛。


 漣のバイト先であるシネコンで、ほぼ同時期から働いているバンド少女。長くなったり短くなったり、毎月のように色が変わる髪が特徴の二十三歳だ。


 担当は、軽食売り場。仕事中はどうにか抑えてるのに、休憩時間の雑談では言葉遣いが少々おかしくなるクセがある。


「んで、漣さん。ピエリスのオーディション、出したんすか?」

「あれ? 俺、君にそんなこと言ったっけ?」


 休憩室。背もたれのない長椅子がふたつ、平行に置いてある。


「言いましたよ」

「いつ」


 愛は、漣に向かい合うように座って脚を組んだ。ユニフォーム以外には好きなものを着用していい足元には、鋲打ちの厚底ブーツを履いていた。


「忘れましたけど、とっくの昔っす」


 言いながら、黄色のキャップを脱ぐ。左右の耳の上に油汚れらしきシミがついていて、赤いケチャップの跡も目立っていた。


「帽子、汚れてるから新しいのに替えなよ」

「うぃっす」


 漣がここに勤めて四年。アルバイトという身分でありながら、本来は社員がやるべき業務まで担当させられていた。スタッフの服装チェックも、そのうちのひとつだ。


「オーディションなら送ったよ。ついさっき」

「そうすか。うちのバンドは、諦めました」


 彼女はキーボードを弾く。わりと長く続けてるバンドに加えて、一年ほど前には別のバンドにも入って活動しているはずだった。


「どっちのバンド?」

「両方っす。どっちも、イザコザぶっこいちゃって」


「何をモメたん?」

「あたしのせいっす。つーか、あたしのせいにされたっす」


「なんで愛ちゃんが?」

「あたしがブスなせいで。漣さん、気づかないっすか?」


 言いながら、腰を浮かせて顔を近づけてくる。


「目。腫れぼったいよね」

「整形したんすよ。二重に」


「マジかよ」

「変っすかね? バンドやって世の中に出ようっていうんだから、ブスじゃマズいじゃないっすか」


 正直、気づいてはいた。でも、聞けるはずもなかった。


「そこまでするかね……」

「タレントだって、みんなやってるじゃないすか。豊胸とかも」


 と、愛は指折り数えながらタレントの名前を列挙していく。両手でも足りずに、すぐに二周目が終わったあたりで彼女は飽きた。


「で、二重瞼とオーディションがどう関係すんの?」

「元からのバンドのほうは、整形女となんか一緒に音楽やれないってボーカルに罵られました。もうひとつのほうは、あたしが二股かけてたのがバレて分裂っす」


「なんだよそれ?」

「あたし、自分以外の三人の男全員とつき合ったっつーか……」


「それは二股じゃないだろ」

「あはは、三股っすよね。んで、元からのバンドのほうも三人全員とごにょごにょしたから、合わせて六股だったり」


「愛ちゃん……そんなに肉食だったのか」

「めっちゃ猛獣っすよ。誰でもいいっつーわけじゃないんすけど、バンドやってるとつい触手が……みたいな。えへへ」


 バンドの運営には、常に協調性が問題になる。ただでさえ個性の強い人間の集まりなんだから、揉めごとも起きやすい。だから、基本的にはバンド内恋愛は避けたほうがいいというのは、ミュージシャンの共通認識でもある。


「……六股もしてて、それぞれの相手のことはどう思ってるの?」

「好きかどうか、ってことすか?」


「うん。愛とか恋とか、そういう意味で」

「うーん……。好きか嫌いかでいったら、好き。でも全部が全部、恋かどうかっつったらビミョーっすね。宅飲みしてて、酔っ払った勢いで服脱いで……みたいな事故もあるから」


「そりゃ、流れってのもあるだろうけどさ」

「はい?」


「愛ちゃん、やるねえ」

「漣さん、二股やったことないんすか?」


「ないない」

「自分で企画した二股じゃなくて、結果的にそうなっちゃった系も?」


「うん、ない」

「わりと純愛系なんすね……。あたし、ダメっす」


「何がダメなんだよ」

「重いの全般、生理的に。軽やかに生きてたいんで」


「軽やか、ねえ……」

「ですです。あたし、がやりたいんすよね」


 男のなかに、女がひとりだけ加わったバンド。それを彼女は、ギャルイチバンドと名づけていた。


「なんで?」

「ここんとこ、いっぱい売れたじゃないっすか。ベースでもドラムでも、女がひとり入ってるバンド。だから、あたしもやりたいんす」


「愛ちゃんは、売れたいんだ?」

「じゃなくて、目立ちたいんす。ギャルイチバンドなら売れる可能性が高いから、あたしも目立てる。そのためにも、ブスじゃダメなんすよ。だからパッチリ二重にしたし、次は顎を削りたいっす」


「じゃ、売れたいっていうより……目立ちたいわけ?」

「ていうか、漣さんは違うんです?」


 ――違う。


 俺は、音楽で目立ちたいなんて思ったことはない。


 歌いたい曲があるから作る。それを聴いてくれる人がいればいいとは思うけど、目立ちたくて音楽をやってるわけじゃない。


「俺には、そういう感覚はないなあ……」

「あたしは、ひたすら目立てれば何でもいいんす。だからイラストも描いてるし、ほら」


 とスマホを開いて、イラスト投稿サイトのマイページを見せてくる。それは正直、イラストというより子どもの落書きレベルの代物だった。漣は、思わず目をしかめそうになった表情筋を全力でコントロールして自制した。


「バンドやってるうえにイラストも描くなんて、すごいね」

「あたし、声優の専門にも行ったんすよね。合わなくてソッコーやめましたけど」


「なんだよ、もったいない」

「で、今は小説も書いてます」


「それ、どこのサイトに載せてるの?」

「あ。もしかして漣さん、『ブンガクの種』にアカウントもってます? だったら、あたしの作品フォロってくれません? めっちゃエグいの載せてますから。ね? ね?」


 とにかく、ただ目立ちたい。目立てれば何でもいい――と真顔で言う愛。音楽やイラストや小説が好きでそうしてるんじゃなく、ただの承認欲求の発露。


 もちろん、そういう生き方があってもいい。でも、漣には違和感しかなかった。


「もってないよ」

「じゃ、ソッコーつくってくださいよ。そしたら投票できますから」


 半ば強引。


 でも、漣は愛の魔の手に誘われるままアカウントを作成していた。


「ヒマあったら、あたしの応援してくださいね。ガンガン★入れて絶賛してくれたら土下座して喜びます」

「ふうん……そういうシステムなんだ?」


「小説サイトって、どこも人気投票制なんで。評価の★を集めて目立てば、さらにランキング上位に行けるって感じっす」

「そうなのか。ぜんぜん知らなかったよ」


 頭のなかに浮かんでいたのは、奈々美のことだった。


 奈々美はこれまで、いくつかの作品を『ブンガクの種』に載せている。アカウントがなくても閲覧はできるから、漣は全部を読んで感想も伝えてきた。ミスを見つけたら指摘もしてきた。でも、奈々美が評価の★を求めてきたこともなければ、絶賛してくれと言ってきたこともない。


 奈々美の、蒼穹社文学新人賞への応募作。


 それを応援したかった。心から応援したいと思った。


 しつこくサイトの得票システムを説明してくる愛の声は、もう聞こえていなかった。

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