§30 やっぱり、この悪魔は素直じゃなかった
「まず紹介します。こちらは、アディショナルタイムでもおなじみの佐倉
ディナータイムの客足が引いた『ムーンウェイブ』の店内。四人がけのテーブルに奈々美と力哉が並んでいて、向かいには佐倉さんと今浜さんが座っている。
「あらためまして、佐倉です」
おずおずと差し出した名刺には、〔コンテンツクリエイト事業部〕との部署名がくっきりと印刷されていた。
「一応説明すると、ウィッチクラフトは通信などのインフラから通販事業、要するにインターネット関連なら何でもやってるIT業界の超大手で……って、蒼井さんもご存じだと思いますけど」
「お前。まさか俺を馬鹿にしてるのか」
「してません」
「うちは雑食だから、社員でさえ全体の把握ができてないんですけどね」
佐倉さんが笑いを誘ってくれたところで、奈々美は話を進める。
「こちらが、今浜
「今浜と申します。編集やってます」
佐倉さんと今浜さん。二枚の名刺がテーブルに並んだ。
「そういえば、佐倉さんに名刺もらうの初めてだね」
「はい。今日は客としてではなく、仕事のつもりで来ました」
「でも、この後は飲むんでしょ?」
とぼけたことを言う力哉に、髭の今浜さんが続く。
「私は、いつもカウンターで楽しく話されている皆さんが羨ましくて、いつかあの輪に入りたいとずっと思ってました」
「今浜さんは、何度もうちの店に来てくれてましたよね? 遠慮してないで、ガンガン入ってきてくれればよかったのに」
「いえ。私はその……ここが竹早さんのお店だと知ったうえで通ってましたので、そういうことは卑怯だと思って控えてたんです」
「というのは?」
「私は、以前から竹早作品の大ファンでして、なんとかご一緒に仕事できないものかと狙ってました。それで、ここに通って面識をつくってという、よくある古典的な手段で近づこうとしてたわけで……。でも、いざ来てみたら、この店がまさに『恋する心理学』の恋愛相談所の舞台なのだとわかって、それだけで感動してしまいまして」
「あの時間は、正規の営業ってわけじゃないんだし」
力哉が残念がると、
「ところが、なかなか自分の状況のほうがつくれませんで、忸怩たる思いでワインを飲んでおりました」
今浜さんも残念そうに言った。でも、すぐに自力で振り切った。
「先日、ついに念願かないまして漫画の編集部に異動が決まりまして。晴れて、竹早先生にお仕事のご相談ができる立場になりました」
と聞いて、力哉は隣にいる奈々美に体を向ける。
「ははあ……なるほど。お前の魂胆が見えてきたぞ」
*
佐倉さんは社内転職に成功して、ウェブドラマ配信事業の制作部員になった。
今浜さんは、長年の希望が実を結んで漫画の編集者になった。
「これからは、私の口説きタイムです。せっかちな人を説得するには【クライマックス法】よりも【アンチクライマックス法】のほうが適切なので、短気な蒼井さんにも結論から話します。【フット・イン・ザ・ドア】も【ドア・イン・ザ・フェイス】もなしで」
「遅い。今のがすでに前置きだ。後で来客があるんだ」
「じゃ、急ぎます」
奈々美は水を少し飲んで呼吸も整えた。一気に喋るつもりだった。
「こないだ私に読ませてくれた、ドラマか漫画の原作向けに書いたタイトル未定の恋愛小説のこと。おふたりに話したら、ものすごく興味をもってくれました。いい原作を探してたそうなんです。――ね、佐倉さん?」
「はい。弊社がドラマ制作に乗り出した理由のひとつは、女性ユーザーの取り込みです。調査の結果、やはりジャンルとしては恋愛ものがメインになりますので、ぜひ企画のテーブルに上げさせていただきたいと思っています」
これまで見たことのない表情。普段の真面目さに輪をかけた真面目さで熱弁する佐倉さんの姿が、奈々美には新鮮だった。
「私もぜひ読ませていただいて、編集会議に乗せたいと思っています。竹早憧夢さんの書き下ろし原作ということになれば、口うるさい編集長も即座に目の色を変えるはずです」
今浜さんも、ワイルドな髭の外見とは似つかわしくない繊細な表情で語った。
――と、そこに。
「おやおや? なんだか楽しそうな話してるじゃないですか」
知らない女性が立っていた。
三十代後半ぐらいだろうか。明るいブルーのブラウスとアイボリーのタイトスカートがカッコいい。
「水口さん。さすが、ものすごいタイミングでの登場ですね」
そうか、この人が『恋する心理学』を担当した敏腕編集者か……と、奈々美の脳裏で記憶がつながった。
「ま、主役ってのは最後の最後にもったいぶって登場するのが王道……って、そんな話じゃないだろうから自己紹介しますね。はい! これが私の新しい名刺」
会社名は、文響舎出版。肩書は、文芸編集部副編集長。
「これは……編集に復帰ですか!」
力哉も初耳だったらしく、目をパチクリさせている。
「私、転職したの。正式には来月からなんだけど、先に名刺だけ作ってもらって、今はこうやって懇意の作家さん行脚をしてるとこ」
「さすが仕事が早い」
「で、竹早憧夢さん。『アイ・ニード・ニート』と、蒼穹社で出してあげられなかった二点の長編。計三作、まとめて文庫化なんてどう?」
「あ……」
「ダメ?」
「あはは。僕が水口さんにノーって言うと思います? 文庫化、お任せします」
「よし!」
「それと、今ここのメンバーで話してたんですが、僕の新作のネットドラマ化と漫画化が同時にできるかもしれません」
「何それ! すっごい話じゃない!」
「はい。いい話だと思ったんですが、こちらの青年はドラマ制作の仕事が初体験。髭さんは漫画編集の経験が浅いので、ちょっと心配してたところです」
「会社をまたぐと、いろいろ刊行時期の調整とか必要だしね」
「そこで水口さんですよ」
「ん?」
「書籍版の編集と、全体の取りまとめ役をやってくれませんか?」
「私が? いいの?」
「現時点では夢物語ですけど、ドラマ化と漫画化が同時進行する書籍なんて前代未聞だろうし」
「やる! 私、やる! 絶対やりたい!」
そこに奈々美が最後の割り込みを試みる。
「あのぉ……主題歌の候補に、弦巻漣という新人アーティストもお願いします。今度デビューしますので」
さらに封筒を取り出して今浜に差し出して――
「これ、私が原作っぽいことをして、ここのバイトのオロールちゃんが描いた読み切り作品です。画力とんでもないんで、見てみてくれますか?」
*
「お前って、もしかしてバカ?」
――まだ言われてた。
「こんな手抜きじゃダメだ。書き直せ」
力哉は、今度は迷わずに草稿を読んでくれた。でも、全力で却下された。
「あの……」
「なんだ」
「その、バカっていうの……やめません? そんなに何回も言われたら、【ネガティビティバイアス】が心に残るじゃないですか」
すると力哉の顔から、ふっ、と力が抜ける。
「それは、あくまで心理学の話だ」
「はい?」
「布田さんがミキちゃんをゲットできた理由を考えてみろ。彼はひと目惚れして、本気で彼女を求めた。それは本能の行為だろ?」
「……ですね」
「恋愛のきっかけは、常に出会い頭だ。偶然出会って、本能で好きになる。心から悶えて、ときには悩む。なぜ悩むかといえば、自分の気持ちを素直に表現できないタイプの人間も存在するからだ。ちなみに、俺もそれだ」
「……え?」
「心理学は悪いものじゃない。だけど、本能に勝るほどのものでもない」
力哉は、ほんのりと頬を染めていた。
やっぱり、この悪魔は素直じゃなかった。
恋する心理学 ~東京都月並区月並恋愛相談所~ 真野絡繰 @Mano_Karakuri
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