§29 それは静かに光を放っていた

 八月。


 蒼穹社文学新人賞の最終選考会は、新宿にあるホテルの個室で行われる。


 エレベーターの鏡に、スーツ姿の自分が写っている。力哉は前夜から何を着るべきか迷いあぐねた結果、無難きわまりない選択に屈するしかなかった自分を笑った。


 二千を超えた応募作のなかから、最終選考まで残ったのは六作。審査員をするのは初体験とあって、力哉は六作とも時間をかけて精読してきていた。


 文章、構成、ストーリーにキャラクター。読後感のよしあしも評価軸に加えた。


「今年から私が最年長ということで、藤田先生に替わって幹事ならびに議事進行のような役回りをすることになりました。新たに竹早憧夢さんが審査員に加わってくれて、男女半々でバランスのいい選考ができるのではと期待しています」


 四人で話し合うにはあまりに広すぎる部屋の、あまりに大きすぎるテーブル。それぞれの席には、老舗の日本料理店の名前が入った重箱が置かれている。


 江草奏一郎。

 照池てるいけつき

 妹尾樹里。

 そこに自分を合わせた四人で、大賞なり佳作なりを選ぶことになる。


「では、さっそく始めましょうか」


 新参者を狙ってか、江草がすぐに話を振ってくる。


「どうですか竹早さん。コレだと思える作品はありましたか?」

「……と、思います」


「詳しく教えてください」

「まず、六作をABCにランク分けしてみると、ちょうど二作ずつになりました」


「あ。それ私も同じです」

「あら、私も」


 やや緊張しつつ口火を切った力哉の言葉に、女流ふたりがにこやかに賛同してくれた。


「実は、私も二作ずつなんですよ。もしかすると、今年の選考はスパッと決まりそうな予感もしますねえ」


 つき合うかのように、江草も目を細めた。


「だったら江草先生。ダメそうなのを先に外しちゃいませんか」


 せっかちなのか合理的なのか、照池五月が提案すると、


「そうしましょう。――竹早さん、C評価の二作はどれでした?」


 江草が続けた。


「えっと……『跳弾』と『シュレディンガーの鳥』です。どちらとも全体的に粗削りといいますか……小説として未完成の部分が多すぎるかと」


「ほら。やっぱり同じだ」


 照池五月がくすりと笑う。「どっちとも、文芸部員の習作っぽいのよね」


 そこに妹尾樹里も加わる。


「前者は、十四歳の少年が十二歳の妹を守るアクションものですけど、まずもってこの少年の意図がわからないんですよ。その時点で物語の骨がぐらついてるし、守るべき妹との関係性も希薄で伝わってこない。それなのに文体だけカッコつけてるところがアンバランスだし、不格好にも感じました。後者は、ゲームの世界に入り込んだ主人公が自分探しをするというストーリーですが、AIを絡めて近未来感覚を醸し出そうと試みた気持ちは理解できるものの、行った先のゲームの中であちこちにタイムトラベルまでするもんだから何がなんだか理解不能……という印象です」


 手厳しい指摘だった。


 だが、力哉はほぼ同じ感想をもっていた。


「同感。両方とも5W1Hが曖昧だし、書き手の執念というか方向性も定まってない感じがあって、私は読むのもかなり苦痛だった」


 照池五月が言うと、


「私も、この二作には辛口にならざるを得ないという立場です。となると……個々の作品への講評は先に送るとして、四人全員がバツと評価した二作については、残念ながら脱落と決定しましょう。さて、残る四作は丁々発止の議論になりますかな?」


 と江草が引き取った。


「でも端的に言って、上位二作は圧倒的だとお感じになりませんでした?」

「そうそう。一長一短はあるけど、私も大賞は二作の対決だと思ってます」


 威勢のいい女流ふたりに詰め寄られて、江草は少々たじろいた表情になる。


「竹早さんも、その方向でよろしいですか?」

「はい。異論はありません」


 即座にうなずいたものの、力哉は決めかねていた。


 二作のうち、どちらが上なのか。どちらが大賞で、どちらが準大賞なのか。


 六作のなかでは突出しているとはいえ、該当者なしという結果が導かれる可能性もなくはない――。


「じゃあ竹早さん。上位二作のタイトルを教えてください」


 促されて、力哉は手元のメモに視線を落とした。 


          *


「なんだ。気づいてなかったのか」


 ホテルの宴会場。蒼穹社文学新人賞の授賞式。


 式典がひととおり終わって会場で歓談していると、力哉が近づいてきた。といっても、今は蒼井力哉じゃなくとして、明るいグレーのスーツ姿でかしこまっている。


「俺は、最初に会ったときからわかってたよ」


 持っているグラスの中身は、おそらくアップルジュース。


「何がですか」


 奈々美と妙子は、そろって身を乗り出した。


 ふたりの胸には、それぞれ紅白のリボンで飾られた西いうネームプレートがつけられていた。ステージ上の看板には、名前の前に『大賞』の二文字が躍っている。


「そのまんま、【ドミトリーエフェクト】なんだよ。直訳すれば寄宿舎効果で、ひとつ屋根の下で生活している者に共通点ができること。もともと似た者同士で親近感が強い【マッチング原理】もあって、それが互いの執筆を高め合う相乗効果をもたらしたんだ」


 ドヤ顔で話している力哉の肩を、江草奏一郎さんがたたいた。


「お得意の心理学ですか?」

「ええ。ふたりには、仲のいい者同士の【シンクロニシティ】が起きたんだと思ってます」


 すると江草は、持っていたワイングラスを奈々美と妙子のグラスに軽く合わせた。


「いずれにしても、まさか同じ部屋で一緒に住んでるルームメイト同士が同時受賞とはねえ……しかも、おふたりとも竹早さんの知り合いだとか?」


「ええ、まあ」


 肯定なのか否定なのか、力哉は微妙な反応をした。


「ともかく、あらためておめでとうございます。どちらも力作で、甲乙つけがたい接戦でした。蒼穹社文学新人賞の歴史上初のダブル大賞を出せたことは、審査員としても誇りに思います」


「ありがとうございます」

「ありがとうございます」


 妙子としてお辞儀をすると、妹尾樹里さんもやってきた。花柄のワンピースが、スレンダーな体形に似合っていた。


「まさか、こないだの子が取るなんてびっくり仰天ですよ」

「はい。いただいたアドバイスが励みになりました」


「なんのなんの。じゃ、雨西さんも湖東さんも次回作を待ってますからね。いつか飲みましょう」


 快活に手を振ってツカツカと立ち去る背中を目で追う。


「妹尾さんって、めっちゃカッコいいねえ」

「妙子も負けてないよ」


「そっかあ?」

「うん。私の自慢の親友だから」


「照れるやんか。でも、ありがとね」

「こちらこそ」


 今日一日で、「ありがとうございます」を何度言っただろうかと思う。何枚の写真を撮られ、何度お辞儀をしただろうかと思う。


「ちなみに、受賞のプレゼントはもう渡してあるから、受け取ってくれたよな?」


 力哉のドヤ顔がまたも炸裂。でも、奈々美には意味がわからない。


「プレゼント? いただいてませんけど?」

「おかしいなあ。半年も前に渡したはずなんだが」


「半年前なら、まだ書いてもいませんよ」

「俺には先見の明があるんだよ。予言といってもいい」


「はあ?」

「ま、部屋のどこかをよく探せ。あのカオスなゴミ溜めの中に、何か宝物が埋まってるかもしれないからな」


 奈々美は部屋に帰るとすぐ、部屋中をひっくり返した。


 本に雑誌にCDに洋服……正体不明の何物かたち。山をかき分けて崩していくと、は静かに光を放っていた。


『恋する心理学』のトートバッグだった。

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