§20 恋愛小説、書いてみる?
「ありきたりな手法ですけど、【総意誤認効果】と【バンドワゴン効果】の合わせ技でいきましょうか」
アディショナルタイム。
公務員の
「ダブルだと、難度が高くありませんか?」
「そんなことないですよ。どちらもシンプルだから」
力哉はいつにも増しての早口で、会議を円滑に進める方法や、悪くいえば人を丸め込む方法を伝授していく。しっかりと目を見開いて真剣に聞く道畑さんが大きくうなずくたびに、短く刈り上げた後頭部に照明が反射した。
「人には、物ごとを自分に都合よく判断するお茶目な傾向がある。確たる
「それには、どうすれば……?」
「道畑さんが会議で発言する際、一人称をできるだけ『私』ではなく『私たち』にしてください。『私はこう思っている』ではなく、『私たちはこう思っている』というふうに。それだけでオーケーです」
「ホントにシンプルだ!」
「はい。そうすると、それを聞いた人たちは無意識に『道畑さんと同意見の人が何人もいる』と感じます。あくまで個人の意見なのに、あたかも全員の総意だと誤認してしまうんです。そうなれば、あなたの意見を怪訝に感じていた人も、頑なだった心のドアを開いてくれるんですよ」
「なるほど……。そういう場面、よくある気がします」
道畑さんは腕を組み、片方の手を顎に当てる。肩や腕の筋肉がこんもりと盛り上がっていて、かなり鍛えていることがわかる。
「で、次が【バンドワゴン効果】です。バンドワゴンとは文字どおりパレードを先導する楽団車のことで、それに呼応した拍手や指笛などの盛り上げが【バンドワゴン・アピール】。これが転じて、集団を説得する場合などにイエスの雰囲気をつくることを【バンドワゴン・アピール】といい、それによる影響を【バンドワゴン効果】といいます」
「アメリカの選挙演説でよく見る、プラカードを持って叫ぶ聴衆だ!」
「そうですそうです。あれって、そのまま社内会議にも活用できるんですけど、道畑さんならどうします?」
質問されて、道畑さんはさきほどの姿勢のまましばらく考え込む。ミステリー小説に頻出する、探偵役が推理するときのポーズみたいだった。
「……根回し、ですか?」
「正解。どうしても会議を通過させたい企画なんかがある場合には、あらかじめ仲間と打ち合わせをしといて雰囲気を盛り上げればいいんですよ」
「あんまり目立つと、事前工作がバレバレになりませんか?」
「だったら、喋らなきゃいい」
「?」
「プラカードも大声も扇動も不要。うなずくだけ」
「うなずくだけ?」
「はい。うなずきは【同調ダンス】と呼ばれるぐらい力強い意思表示ですからね。そのうち、グレーな意見だった人もつられてうなずき始めます。そうなったら、もう勝ったも同然ですよ」
*
〔こんばんは。雨西さんは、蒼穹社文学新人賞にエントリーしないんですか?〕
応募作の執筆が遅々として進まず、奈々美はパソコンの前で頭をひねっていた。気分転換のつもりでツイッターを開くと、ウェブ作家仲間の
〔出すつもりですけど、難航気味です〕
湖東さんは奈々美と同じ『ブンガクの種』のユーザーで、一年ほど前に行われた短編コンテストで一緒に入賞したことがきっかけで仲よくなった。
〔二月一日に応募が始まったらすぐ出すって言ってたのにまだみたいだから、ちょっと心配してました〕
返信すると、すぐにレスがあった。そのレスに、奈々美も即レスする。
〔三万字は書いたんですけど、その後の展開がすっきりしなくて……〕
ウェブ作家の多くは、自作の宣伝と交流を兼ねてSNSを活用する。ツイッターを利用して五年ほど経っている奈々美には、すでに三千人以上のフォロワーがいた。
〔雨西さんはミステリーですもんね……。伏線と解決の関係を明解にしなきゃいけないから、展開が難しそう〕
奈々美のアカウント名は、もちろんペンネームの雨西真湖。湖東さんとは「湖」の字が共通しているし、なんといっても「なな」という下の名前が本名とカブっていることに親近感をもっていた。
〔湖東さんは、執筆に行き詰ったときにどうしてます?〕
〔ほかのことして忘れます〕
〔それをやってもダメなときは?〕
〔いったん諦めて、別の作品を書いたりするかなあ?〕
〔別の作品ですか……〕
〔あ。そうだ雨西さん〕
〔何ですか?〕
〔今度、また『ブンガクの種』で短編コンテストがあるでしょう? あれ、一緒に応募しませんか?〕
開催のことは知っていた。恋愛をテーマにした、五千字のコンテスト――。
〔彼氏いないから恋愛ものは……〕
〔私もいないですよ。いつも妄想で書いてます〕
湖東さんは恋愛小説でのデビューを狙っていて、男女の心の機微を書き分けるのがうまい。前回の入賞作も、互いに配偶者のいる男女の心がふと交差する瞬間を切り取って、読後感のいい短編小説に仕立てていた。
〔妄想にしてはリアルですよ〕
〔雨西さんもコンテスト出しましょうよ!〕
〔えー。書けるかなあ……〕
〔絶対書けますよ! 短編だから、時間かからないし!〕
しばらく話した後で、おやすみを言い合ってダイレクトメッセージ欄を閉じる。奈々美は空になったコップを持って、キッチンに向かった。
冷蔵庫のドアを開けてウーロン茶を注いでいると、妙子もやってきて「私にも」とコップを差し出してくる。
「妙子は最近、恋愛方面はどうなってるの?」
何の考えもなしに、ふと口をついていた。でも、恋愛小説を書くならまさにモデルにできそうな人物が身近にいた。
「可もなく不可もなく、平々凡々な感じだよ」
――こないだ、蒼井力哉とふたりきりで過ごしたのに?
という言葉を喉で食い止めて、奈々美はウーロン茶を飲み干した。
妙子はモテる。名実ともにモテる。六本木を百メートル歩く間に五人は声をかけてくるレベルの一級品だ。外見だけじゃなく、頭がよければ性格もいい。料理は和洋中なんでもござれだし、ワインにも詳しいインテリアコーディネーター。どうあがいても、奈々美には太刀打ちできない。
才色兼備で女子力完備。それが、鈴村妙子という人だ。
「前に話してたカメラマンの人は?」
確か、何かのパンフレットを作る仕事で知り合ったはずだった。
「ああ、彼ねえ……。あの人はいろんな遊びを知ってるし、世界中を旅してきた体験談を聞いてても面白い。でも、ただ一緒にいて楽しい系かな?」
「お客さんで来たIT長者っぽい人は?」
「あの人は、女をお金で喜ばせる悪いクセがついちゃってるマザコンお子ちゃま系。キモいから、即刻却下」
「じゃ、会社の上司の人は?」
「あれは、ひとり飲みがカッコ悪いからって言って、私をお飾りにする系。インテリアの素敵な店に連れていってくれるから勉強にはなるけど、それ以上の関係に発展する可能性はゼロ」
「そっか……」
「ところで、リッキーはどう? 少しは元気になってた?」
妙子は突然、心配そうに言う。
「私には、普通に見えたけどなあ……」
ひとつだけ変化があるとすれば、靴ヒモが赤じゃなく黒だったことだった。
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