§21 BGMは山下達郎

 執筆に詰まったときは、気分転換。


 奈々美は、佐倉さんをカラオケに誘った。でも、土日が休みの一般的な会社員と飲食店の臨時ウェイトレスでは時間が合いにくい。両者の都合を重ね合わせると、月曜夜という選択しかなかった。


「僕、オタクなんで選曲が偏ってますけど……かなり超絶に」


 と言う佐倉さんは、マイクを持ってない右手の拳を前後左右豪放磊落ごうほうらいらくに動かしながらアニソンを絶叫した。オペラみたいな歌い方を真似して『宇宙戦艦ヤマト』を歌ったときには、あまりの完成度の高さに奈々美も笑い転げた。そのとき豪快に吹き出したポテチを空中でキャッチできたのは離れ技だったし、佐倉さんにバレなかったのはラッキーだった。


「久能奈々美、只今よりアニメオタクを覚醒させます!」

「おお、カラフィナ! 外すの前提でハモっていいですか!」

「ウェルカーム!」


 何曲か歌っては休憩、また歌って休憩。本来なら王道であろう誕生日や血液型の話はそっちのけにしてアニメの話で一直線に盛り上がった後で、仕事の話になった。


「僕、社内転職に応募したんですよ」


 佐倉さんは、インターネット関連事業を幅広く手がける超大手企業の人だった。奈々美が新卒で入った会社に呆れずに辞めていなければ、ライバル会社の社員同士の関係ということになる。


「どうして? 今の仕事、つまんないんですか?」

「正直、そうです。だから、何かを打開したいというか……」


 新たに始める動画配信サービス事業への転属。単に映画やスポーツ番組を流すだけじゃなく、自前でドラマやアニメの制作にも乗り出す。佐倉さんは、その制作部門を希望したのだという。


「日本の地上波テレビって、もう完全に頭打ちで先が見えないじゃないですか。でもネット放送ならいろんなことが自由にできるはずだし、自由な表現の場を求めてるクリエイターは大量にいるだろうし、面白いことが無限に広がってると思うんですよね」


「やっぱ、何かをつくるには制約なんか少ないほうがいいし」

「不特定多数に受けることは悪じゃないけど、そこを目指すのはマストじゃないんです。コアであっていいし、ジャンルや内容によってはコアじゃなきゃいけない」


「うんうん。それ、すっごくわかる」

「作り手が面白がってやってるうちに、ユーザーも面白がってついてくる。行列ができてるラーメン屋に自然と人が並んじゃうみたいに、話題が広がる」


「あ。それ、【バンドワゴン効果】だ」

「今、僕はいろんなタイプのクリエイターを探してるんです。少しずつですけど」


「いい人、見つかりました?」

「たとえば、『ムーンウェイブ』の蒼井さん。まるで心理学者みたいに人の心を見抜いちゃうし、世の中の出来事にもトレンドにも詳しくて話題が豊富だし、クリエイターの要素も秘めた才人だと思うんですよね」


 ――そう。


 そうだよ佐倉さん。それ、正解だよ。


 あの人の別名は、竹早憧夢。超有名な大ベストセラー作家なんだよ。


「本体は、ただの毒舌悪魔ですけど」

「そこもクリエイターらしさということで」


 でも、ごめんね。内緒なんだ。


 つぶらな目を輝かせて夢を語る佐倉さんに真実を言えないことが、奈々美にはちょっと心苦しかった。


          *


 湖東ななさんに勧められた恋愛小説は、プロットを考えるだけでも楽しかった。誰かと誰かがどこかで出会い、見つめ合ったり険悪になったりしながら、最後には幸せになる物語。胸がいっぱいになりつつも、ひとつの短編が仕上がってしまった。


 でも、物足りなかった。


 設定も展開もありきたり。驚きに欠けるうえに喜びも薄い。


 もっと盛り込むべき何か――。どんなスパイスを加えればこの物語をイキイキとさせられるか、それがわかればトンネルを抜けられるような気もした。そうすれば、脳が機能不全を起こしたみたいなスランプに陥って、ピタリと止まってしまった応募作の執筆もはかどると思った。


          *


「え、マジで佐倉くんとデートしたの?」


 深めの皿に山盛りにしたおでんをテーブルに運んできた漣が言う。煮込んだ練り物と出汁の匂いが部屋中にたちこめていて、奈々美のおなかはそれだけで鳴った。


「うわ。ゆで卵がいい色してる!」


 手のひらで湯気をたぐり寄せる。美人の肌みたいにツルンとしたはんぺん、みずみずしくも楚々とした大根、秘めた本心のような中身を隠したがんもどき……どれから手をつけるべきか、しばらく頭を悩ませた。


 仕方なく、レンゲですくってつゆを舐めてみる。


 ――と。


「おいっしいーっ! 絶品!」


 口の中で弾けた旨味と、それに続いて鼻腔に立ち上ってくる香り。思いっ切り万歳しながら絶賛すると、漣は目尻を下げて喜んだ。


「そりゃそうだよ。俺が作ったんだから」

「あのさ、漣」


「なに?」

「私のお嫁さんになって」


「そんなこと言って……奈々美はデートしたじゃん。佐倉くんと」

「デートじゃないよ。カラオケ行っただけ」


「でも、ふたりっきりでしょ?」

「うん」


 ――部屋が暗かったから、メイクをミスっててもセーフだった。


「駅で待ち合わせとか、しちゃったんでしょ?」

「うん」


 ――新宿。アルタの向かいの交番のとこね。


「寒いから、待ちながら手に息なんかハーハーしちゃったり」

「うん」


 ――そういえば佐倉さん、手袋してなかったな。


「着ていく服とか、るんるんで選んじゃったり」

「うん」


 ――家じゃ常時ジャージなんだけどね。舌噛みそうだけど。


「ちょっと遅れますとか電話ちゃったり……」

「うん」


 ――遅刻しそうなの、西武線のせいにしてLINE入れた。


「BGMは山下達郎」

「うん……って、それは違う」


 ――今は二月。雪は降りそうだったけど、ちょっと遅かったね。


「ほら、デートじゃん。完璧に」

「そういえば、行ったカラオケ屋さんは漣のシネコンの近くだったよ。連絡して呼べばよかった?」


「それはさあ……」


 言いかけて、漣は薩摩揚げをつまんでいた箸を止めた。


「佐倉くんに悪いっしょ。彼はデートモードだったと思うし」

「だからー。デートじゃないんだってば」


 と繰り返しても、漣は不服そうに薩摩揚げを頬張った。そして思い出したようにスマホに手を伸ばす。


「連絡で思い出した。今日さ、ピエリスレコードからメールがあったんだよ」


 ――オーデションの結果だ!


「漣っ! そんな大事なこと、早く言ってよ!」


〔弦巻漣さま

 このたびは弊社オーデションに応募いただきまして、ありがとうございました。

 個性的な曲と、迫力ある歌唱に圧倒されまして――〕


 奈々美は三度、メールの文面を読み返した。


 ピエリスレコードA&Rのだちさんという人からのメールで、最後には「お目にかかりたい」と書かれていた。


「漣。これ……」

「ん?」


「これって……もしかして」

「うん」


「デビューのお誘い?」

「かも?」


「やったね! これで、漣はプロのアーティストだ!」


 思わずジャンピング万歳。その体重の落下で、壁や床がズシンと響き渡った。


「ちょ……落ち着けよ奈々美」

「え?」


「騒いだら近所迷惑だから」

「……あ、ごめん。でも、すっごい話だよ!」


 奈々美は落ち着こうと水を飲む。ついでに、はんぺんも口に放り込む。


「俺、やったのかな……?」

「うん。漣はやったんだよ! すごいよ!」


 興奮が収まらないまま、奈々美は自分のことのように喜んでいた。


 感情を表に出さないタイプの漣は、静かにちくわをかじっていた。

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