§07 命を吹き込まれた彫刻

 生まれた年は違うけど、学年は同じ。

 創作を始めたのも中学のときで、同じ。


 漣とは、いくつもの共通点があった。


 それぞれの作品を見せ合い、聴かせ合う相手がいることが刺激になった。奈々美も草稿を読んでもらい、疑問点を指摘してもらったりして作品のレベルアップにつながった。


「小説家って、何ヵ月もかけて十万字も書くわけでしょ? たった五分でメロディーが降りてきたりすることもあるミュージシャンとは、なんか格が違うよね」


「漣だって、歌詞にはいつも悩むじゃん」

「そんなの、一曲せいぜい二百文字とかの小さい悩みだよ」


 奈々美は、漣に。

 漣は、奈々美に。


 出会えたことが、お互いにハッピーだったと思う。


「あとは、動画の撮影だけだね。それで、漣はオーディションに応募できる」


 漣のターゲットは、大手のピエリスレコードが主催するオーディション。ボーカリスト部門とシンガーソングライター部門があり、「プロデビューに直結!」が謳い文句になっていた。当然、漣が応募するのは後者だ。


 レギュレーションは単純明快で、


〔自作曲(三曲)を演奏した動画とプロフィールを送付すること〕だけ。 


 どの三曲を歌うのかは、侃々諤々かんかんがくがくの議論の末に決定してある。ただし、問題がひとつ残されていた。


「あとは、撮る場所だけだよね。頑張って、いいとこ見つけないと」


 大がかりなPVを撮るわけじゃない。そこそこ見た目がよくて雑音のない場所で、漣がギターを弾いて歌う動画が撮れればいい。奈々美とふたりであちこちをロケハンしてみたけど、これだと思える場所に巡り会えていなかった。


 でも、今なら――


「使えるかもしれない場所があるから、頼んでみる」


 その場所は、もちろん『ムーンウェイブ』の店内。二時から五時までのアイドルタイムの間、ホールの片隅を借りられればよかった。


 最初に聞いてみたのは、姉だった。


 でも彼女の答えは、「自分で蒼井さんに聞きなさい」と冷たかった。


          *


「蒼井さん。先日、佐倉くんの凹みを一発解消したような魔法を教えてくれませんか」


 夜のアディショナルタイム。垣原さんが悩ましい表情で口火を切った。


「どうしました?」

「それが……会社のうちの部署が、少々ギスギスしちゃってまして」


 悪魔がうなずくと、垣原さんは事情を話し始めた。


 垣原さんが課長を務める人事課の部員は全部で十名。そのうちAさんとBさんのふたりが、些細なことから口喧嘩をした。垣原さんは、悪いと思ったほうのAさんをその場で叱り、BさんにはAさんを許すよう諭した。


 と、ここまではよかった。


 でも叱られたAさんは収まりがつかず、仕事中にもムスッとして口をきかなくなってしまった。叱ったのは悪かったと謝っても聞き入れてくれず、責任を感じたBさんもふさぎ込み気味――。


 今は、部署全体の空気がどんよりと沈んだままなのだという。


「人事は地味な仕事なんで、職場はたいてい静かなんです。でも、ときおり誰かがジョークを言ってくれたりして、和気あいあいと笑いのある部署運営はできてたという自負もあったんですよ。ところが、こんなていたらくでして……」


 頭を掻きながら、垣原さんは本当に恥ずかしそうにしていた。


 腕組みして聞いていた力哉は、「そんなことないです。部下思いの、いい上司じゃないですか」と言って、すぐに次の言葉をつなぐ。


「AさんもBさんも、よく仕事してくれる大事な部下なんですよね?」

「そりゃもう。ふたりとも二十代の女の子なんですが、どちらもいい子で……」


「でも残念ながら、ひとつだけ失敗しちゃいましたね」

「……全員の前で叱ったことですね?」


 垣原さんが聞くと、力哉は大きくうなずく。


「誰かを叱るときには、その人だけしかいない場で叱るのが基本。反対に、ホメるときにはみんなの前でホメる。これもまた、基本です」

「おっしゃるとおりです。人事課長のくせに、基本的なミスをしでかしました」


「でも垣原さん」

「はい?」


「基本があるなら、応用もあります」

「それです! それを、ぜひともご教示いただければ」


 垣原さんはカウンターに両手をついて、深々と頭を下げる。


「叱責はその場だけで済ませたいけど、称賛は後々まで響かせたくないですか?」

「それはもちろん。でも、そんなことが可能なので?」


「部署内の空気清浄が完璧に済むまでには少し時間がかかるかもしれませんが、カンフル剤を打つことは可能です。【間接称賛の原理】という言葉を聞いたことがありますか?」

「間接称賛……? いえ、恥ずかしながら不勉強で……」


「AさんとBさん、それぞれに仲のいいCさんとDさんはいらっしゃいますよね?」

「います」


「ではタイミングを見つけて、AさんのいいところをCさんに、BさんのいいところをDさんにさりげなく伝えてみてください。女性はお喋りが大好きだから、『課長があなたのことをホメてたよ』という話は、すぐさま給湯室か洗面所経由で本人の耳に入ります。これが【間接称賛の原理】です」

「なるほど、そんな手が!」


「しかも、この間接称賛は直接称賛よりインパクトは低いかもしれませんが、そのぶん効果が長引くんです。まるでエコーのように、ね」

「願ったりかなったりですよ。まさに、効果覿面てきめんじゃないですか」


「本人たちだって、今は居心地が悪いはず。内心、気分を切り替えるチャンスを待ってるだろうから、トリガーさえ与えてあげれば意外に早く矛を収めてくれるかもしれません」

「はい。そう期待してはいるんですが……」


「ご心配なら、さらに【ピグマリオン効果】も加えましょうか」

「そ……それは何ですか?」


「ピグマリオンとは、ギリシャ神話に登場する王の名前です。現実の女性に失望していた彼はある日、得意の彫刻で理想の女性ガラテアの像を制作しました。そのうち、像が裸であることを恥ずかしがっているだろうと服を彫ったり、食事を用意したりするようになります。そのあまりの美しさに彫刻を愛してしまった彼は、来る日も来る日もガラテアが本物の人間になるよう願い続けました。すると、それを見ていたアフロディーテが彫刻に生命を与えてくれ、ピグマリオンはめでたくガラテアと結婚できた――という伝説の主なんです」


 一気に話すと、力哉はミネラルウォーターで口を湿らせた。でも、ひと息ついただけですぐに話し続ける。


「心から誰かを信じれば、相手はその期待に応えるようになる――というのが、【ピグマリオン効果】です。ですから、ことあるごとに『期待している』との言葉を部下たちにかけてあげてください。その気持ちは、そのうち人事課の全員に波及すると思います」


「わかりました。それも、意識してやってみます」


 垣原さんは、力哉が差し出したグラスに自分のグラスを合わせた。


「しかし、蒼井さんはなんでそんなに物知りなんですか」

「とんでもない。単なるたわ言ですよ」


 力哉は笑った。その横で、奈々美は話が終わるのを待っていた。


「蒼井さん」

「ん? なんだ」


「お願いが……」

「いいぞ、言ってみろ」


「あの、友達が……音楽をやってる友達がいまして、それでレコード会社のオーデション用の動画を撮りたいんですけど……なかなか場所がなくて……その」


 舌を噛みそうだった。すると悪魔はニヤリと笑う。


「ここ、使いたいのか。営業の邪魔にならない範囲なら、いくらでも使えばいい」


 言い終えると、さらに悪魔はニヤリと笑う。


「お前って、もしかしてバカ?」

「え?」


「リリさんの頼みごとを、俺が断るわけないだろう?」

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