§02 かわいいけど魅力がない

「真実を見抜かれて、ぐうのも出ないって様子だな」


 赤ヒモ男は、アニメのオレ様キャラみたいな態度でたたみかけてくる。本当にこんな男がオーナーなのかと思いつつ、奈々美はその疑念を愛想笑いで誤魔化した。


「えっと……あの……はい。別れました。ついさっき」


 結局、矢継ぎ早に繰り出される質問に答え続けることになった。真弘とのなれそめからランボルギーニの終焉までを根掘り葉掘りと詳細に、力哉は心の傷に土足で踏み込んできた。一ミリの遠慮もなく。


「おい妹」

「はい?」


「今、何か欲しいものはあるか?」


 聞かれて、すぐに脳裏をよぎる。愛用していたトートバッグの底がほつれて、切れかかっていた。


「バッグ……です。トートバッグ」

「街を歩いてたり電車に乗ってたりしたら、誰かが持ってるトートバッグばっかり目に入るだろーよ」


 そのとおりだった。昨日すれ違った女性が持ってたグリーンのトートバッグがたまらなくかわいくて、思わず「どこで買えますか?」と声をかけそうになったから。


「それは、【カラーバス効果】っていうんだ。カラーは色、バスは風呂と同じスペルで浴びるっていう意味だ。真弘くんはスーパーカーに憧れがあるから、自然と目で追ってしまう。気になる情報ってのは、そうやってものなんだ。お前が無意識にトートバッグを見ちゃうのも、同じ心理だ」


 確かに、普通のショルダーバッグなんかは目に入らなかった。


 でも……。


「車が行っちゃったら、私を見てほしいじゃないですか」


 いくら姉の雇い主であるオーナーとはいえ、ちょっとぐらいは反論したかった。するとまた、力哉は顔を極限まで近づけてきた。


「ふーむ……。恋とは独占欲の変名だけど、そこまで精神年齢が低いのもかなりの珍種だな。お前って、もしかしてバカ?」


 バカ? この人、私をバカって言った?


「言ってみろ。デートは何時に待ち合わせた?」

「十一時です。軽くランチして映画館に……」


「見たのはラブロマンスだ」

「う……」


「美人の女優がイケメン男優に優しく抱かれて、耳元で甘い囁きなんかされてメロメロになる話だろ?」

「そうです……けど?」


「お前はまんまと映画に騙されてその気になって、もともと女性が潜在的かつ依存的にもってる【シンデレラ願望コンプレックス】を発動させた。哀れにも、自分もそうなりたいとか思ってヒロインに同化したんだ。それはただの【モデリング】、つまりという心理でしかないのに、惨めにもほどがある」


「夢ぐらい見ますよ。私だって、フツーの女ですから」


 さらに反論。


 でも、何かが気に入らなかったらしい。力哉はドヤ顔の色を濃くした。


「フツーの女? そーいう思い込みがどんだけイミフで下らないことか、一度でも考えたことあんの?」


「な……何ですか」


「これまでの貧弱で枯れ果てた人生を振り返ってみろよ。いい思い出として残ってることは何だ? ディズニーランドに行ったとか格安ツアーで海外旅行に行ったとか回らない寿司屋に行ったとか、そういうばっかだろ? フツーじゃないからワクワクすんだろ? だったら、フツーであることなんか自慢してんじゃねーよ」 


 詭弁。


 筋が通ってるような感じもするけど、詭弁……。


「お前は、フツーなんかじゃない」

「私がですか?」


「そうだ。お前はとてもユニークな存在だ。日本語でいうなら独創的だ」

「いえ、月並です。平均です」


「バカ言うな。平均的なだけの人間がどこにいるっていうんだ?」

「ここに」


 奈々美は自分の顔を指差して胸を張った。ちょっと小ぶりなのが残念な胸を。


「じゃあ聞こう。身長は?」

「ひゃく……ろくじゅう……に、です」


「ほら、もう日本人女性の平均より上だ。体重は」

「よんじゅう……きゅう……ぐらい」


「嘘だ。見たところ……五十二か三ってとこだな。それでも医学的には痩せすぎ、平均より下だ」

「う……」


 図星だった。


「バストのサイズは。ABCで答えろ」

「……Dです」


「盛るのは禁止だ。いいとこCだろ? それでも無理に評価すれば平均より上だ。小中学校時代に最も得意だった科目は」

「国語」


「成績はずっと5だな? 逆に一番苦手な科目は何だ」

「体育」


「成績は」

「2とか……」


「なら、国語も体育も標準外だ。次、アカンベーしてみろ」


 意味わかんない男――。


 わかんないけど、奈々美は言われるまま目の下の皮膚を引き下げた。


「白いな、貧血だ。顔色も白いから血圧は低め、いいもん食ってないから体温も低めで三十五度台。そこも、標準の範囲外じゃねーか」


 またもや図星。冷え性で、夏場は冷房がツラい。


「目は姉のリリさんと同じく、日本人の三割にも満たないパッチリ二重瞼。髪も姉と同じく、染めてもないのに輝く栗色のサラサラ。栄養状態が悪いからカサつきが目立つものの、ふっくらとしてエロい唇。これだけ各種そろってりゃ、どんなド近眼野郎が見ても美形の範疇に入る。仮に刑務所の慰問にでも行こうもんなら、死ぬほど女に飢えた男の十人中八人か九人は交際を申し込んでくる華麗なスタッツを残すだろう。つまり――」


 どうしてこう、立て板に水のごとく喋れるのか不明なほどの早口。初遭遇の奈々美にとっては理解不能で不思議なキャラだけど、凛々子も麻紀さんも余裕で慣れっこらしく、口元に笑みを浮かべて立っていた。


「お前は、それほどまれな美人ってことだ。日本人女性六千五百万人の上位五パーセント、いや三パーセント以内には楽勝で入賞できるレベルの逸材だ」


 今度は突然ホメてくる。ホメられれば気分は悪くない。ていうか、快感。


「外見はかわいい。だが、かわいいのに魅力がない」


 はい……?


 上げた直後に地獄まで落とす? 落とす? どんだけ悪魔なんだ。大仰な身振り手振りも、限界までに不愉快だし。


「それは、あんまりです!」


 明解かつ直接かつ渾身の抗議。でも、あえなくスルーされて、悪魔はドヤ顔を継続させる。


「いいか妹。ひとつだけ教えてやる」

「今度は何ですか」


「お前は、【ネガティビティバイアス】を乗り越えることができなかった」

「ネガ……ティ……?」


「生きていれば、いいことも悪いこともある。そのうち、記憶や印象に強く残るのは悪いことだけ。それを【ネガティビティバイアス】と呼ぶ」

「いい思い出も残りますよ」


「話をよく聞け。俺は、『強く残る』って言ってるんだぜ? 夜ごと悶えたり苦しんだりするのは、自分にとって嫌な記憶だろ? だから打ちひしがれるんだろ?」

「うっ……」


「今日のデートは、一緒に映画を見たところまでは楽しかったな?」

「そう……ですけど」


「なのに、彼がランボルギーニに注目して自分から目を離しただけで、お前の気持ちはマリアナ海溝の底まで深く沈み込んだ。てことは、楽しいこともあったはずの彼との短い恋の花火の記憶は、死ぬまでずっと『マイナスのもの』として心に刻まれ続ける。お前は、あっさりと【ネガティビティバイアス】に負けちまったんだよ。情けないほどの惨敗を喫した、愚かな負け犬だ」


「そんな……」

「ただし」


「ただし?」

「【ネガティビティバイアス】に陥りやすい人の特徴は、心が繊細だってことだ。つまり時間をかけて磨いていけば、少しは魅力的に女になるという希望的観測も、あるといえばある」


 いけしゃあしゃあと、またのか……。


 でも、気分はちょっと復活。


「同時に、ないといえばないけどな」

「ぐっ……」


 ――鬼畜。


 やっぱり、心の芯から悪魔だ。ド悪魔だ。


 奈々美は心に決めた。


 ――殺す。この悪魔を、いつか殺す。

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