§09 愛されてるのかも?
「それ、あげるよ」
店に戻ると、力哉がサラリと言った。漣が使った黒いギターを、そのままプレゼントするという。
「楽器は、使ってナンボだから」
「でも……これ、高いやつじゃないですか」
でも漣は、いきなりの申し出にどうしたらいいか判断しかねている様子だった。
「値段なんか関係ない。このギターは君と相性よかったし、こいつにとってもそのほうが幸せだ」
「無理です。もらえないです」
しばらく押し問答みたいな会話が続いた。しびれを切らして、奈々美が口を開く。
「じゃ、もらうんじゃなくて借りとけばいいんじゃない?」
ふたりは奈々美に視線を送ってきた。
「お前、もしかしてバカ?」
また!
また言った! バカって言った!
「――と思ってたけど、たまにはいいことも言うんだな」
何それ。また下げといてから上げるわけ? わけわかんない。
と思ってたら、漣がいきなり吹き出した。
「奈々美……ここって、大変な職場だね。蒼井さん、強烈な人だから」
「いいもん。私、負けないから」
「俺は、無理だと思うけどなあ……」
くそぉ……ふたりとも殺してやる。いつか殺してやる。
「そういうわけで、漣くん。プレゼントされるのを重く感じるなら、レンタルってことでこいつを連れて帰ってよ。弾き込んでいけば、もっといい音で鳴るから」
「じゃあ……あの、使わせてもらいたいです」
「よし、決まり」
力哉は手のひらを掲げた。漣は、その手とハイタッチを交わした。
イケメン同士のツーショットはなかなか壮観――とか感心してると、力哉の足元が目に入った。前と違う黒い靴には、やっぱり赤い靴ヒモがついていた。
*
「蒼井さんって、口が悪いっていうか……奈々美に言いたい放題なんだね」
外まで送ると、漣はまだ笑っていた。頬に当たる風が冷たかった。
「ホントに頭くるんだよね、あいつ」
「そっかなあ……そんなに頭くる?」
「くるよ。私の顔見た途端に罵詈雑言の雨あられだし」
「でもさあ……」
「なに?」
「なんか、お芝居っぽいんだよね」
「身振り手振りがデカいしね。態度も」
「一見そうかもしれないけど、言葉には愛があったよ? 本心を隠してた……みたいな感じもしたし」
「まさか。ただ口汚いだけじゃん」
「だって、あの人の目……めっちゃ澄んでたもん。奈々美のことが嫌いで罵ってたわけじゃないよ」
「嫌だよ。そんなの信じたくない」
「ていうか逆に、奈々美のことが好きなのかもしれない。いい人だよ」
「……それ、マジで言ってんの?」
漣は小さくうなずく。小さいけど、確かな肯定だった。
「マジだよ。じゃなかったら、あの人からギター借りてない」
*
「僕は、どうすればいいですかねえ……」
『ムーンウェイブ』のアディショナルタイム。
近くで古着屋を経営している
「どうして客として行かないの?」
カウンターに並んでいるのは、左から順にIT企業二年目の佐倉さん、プロゴルファーの栞さん、布田さん、ホテルチェーン人事課長の垣原さん、漣と一緒にひったくり犯人を捕まえた電器店の武藤さん。奈々美は、武藤さんの巨体の隣で遠慮がちに座っていた。
「――仲よくなりたいんだったら、それが第一歩だと思うけど?」
布田さんは三十一歳で、隣の美容室に勤めるミキちゃんに片思いをしている。ここに来るたびに相談をして、そのつどみんなでアイデアを出してるのに最初の一歩を踏み出さないことが、栞さんをイラつかせていた。
「それが、なかなか……」
顔を合わせれば、挨拶ぐらいはする。そのときのミキちゃんの笑顔がたまらず、布田さんは胸を躍らせる。でも、そこから先に進めない――。
栞さんは、「美容室の客として行きなよ。そしたら自然と会話できるし、好きな人に髪を切ってもらえるなんて天国の体験だから」と言う。
「隣同士なんだから、両方の店のスタッフでカラオケとかに行くのは?」
と言うのは佐倉さん。
「だったら、俺が場を設けてやろうか? 商店街の親睦とかなんとか理由をつけて、相手が断れないようにしてさ」
体格どおりの力技に持ち込もうとするのは、電器店の武藤さん。
「でも、何を話したらいいか……話題がなくて」
何を言われても、布田さんは長い髪をカリカリと掻いてるだけ。すると、黙って聞いていた力哉が静かに口を開いた。
「そんなに心配しなくていいですよ。すでに【初頭効果】がいいことはわかってるんだから」
「待ってましたよ蒼井さん。その【初頭効果】は第一印象のことですね?」
「そうです。人は、誰かの第一印象をなかなか変えられない生き物なんですが、話を聞いてるかぎりミキちゃんは布田さんに笑顔で接している。ということは、明らかに第一印象は悪くない」
垣原さんの質問に、力哉が答えた。例によって早口だけど、やたらと滑舌がよくて聞き取りやすいのが救いだと思う。
「ところで、布田さんは【好意の
「いえ。知らないです」
「簡単にいえば、人は誰かの好意を感じ取ると、その人のことが好きになる傾向があるっていうことです。そんな実体験、ありません?」
「私はありますよ。高校のとき、それで最悪の失敗したから」
モジモジしたままの布田さんの代わりに答えたのは栞さんだった。
「ミキちゃんはもう、布田さんの好意に気づいてるかもしれないんですよ。彼女の店の前を通るとき、無意識に覗いたりしちゃうでしょう? そういうことの蓄積がミキちゃんに伝わっていれば、好意を返してくれる可能性がある」
「そうですよ。女は勘いいから」
また栞さん。
「どう口説くかはタイミングにもよりますが、その前に近づかなくちゃいけない。とすると、カラオケなんかはいいんです」
「そこにも何か理屈が?」
垣原さんは、論理的な考え方をする人のようだった。
「はい。そもそも片思いの相手とふたりきりになったら、緊張してうまく喋れないものでしょう? その点、カラオケとかボーリングをしていれば喋る時間が短縮されて緊張しなくていいし、緊張を悟られずにも済む。それに――」
「それに?」
「有名な【吊り橋効果】に代表されるように、男女は【共通体験】をもつことで親密になる傾向がある。【自己開示の返報性】というのもあって、これは自分のことを話せば相手も打ち明けやすくなるという心理のこと。だからといって、履歴書の項目みたいなことをタラタラと並べちゃっても引かれるだけだから、少し話してみて相手が乗ってきたときに小出しして使うのがコツです。そのうち【共通の秘密】なんかできたりすると、親密度はさらにアップします」
「なるほどなあ……さすが蒼井さんだ」
「いえ、ただのたわ言ですよ」
「ともかく布田さんに必要なのは、やっぱりきっかけですね。あとは話題……か」
垣原さんが考え込むと、カウンターが静まり返った。その沈黙を破ったのは、力哉だった。
「布田さんはいつもおしゃれな服を着てるし、ミキちゃんはそれを毎日見ている。彼女は美容師なんだから、ファッションに興味がある。だったら、たとえば補色とか反対色とかの色彩学の話でもいいじゃないですか。何かカードを提示してみて、彼女がそれを受け取ったら深く掘り下げてやればいいんですよ。ねえ、垣原さん?」
悪魔のドヤ顔。この店に来てから、いったい何回見たことだろうかと奈々美は思う。
「そうだよ布田さん。少なくとも【初頭効果】はよさそうなんだからさ」
「はい。そういう話なら、僕にでも……」
布田さんは、ほんのりと顔を赤らめた。アルコールのせいじゃなかった。
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