第10話 風呂上がりの寛ぎタイムは社交場

 田舎者扱いされて、一度は怒った僕だったが、確かに現代とはマナーが大きく違っていた。

 先に体を洗おうとしたら、湯船に浸かってからだと注意されたり、髪を洗おうとお湯を被ったら周りからこっぴどく叱られた。

 なんでもお湯は貴重だから、湯屋では洗髪禁止がデフォらしい。

 確かにこの時代のマナーを知らないという意味ではおのぼりさんだよね、僕、とほほ。

 そして、源左衛門さんみたくリピーターが多いためか、湯船の湯はお世辞にも清潔ではなかった。

 そのため、きれいなお湯をもらって体を流してから風呂から上がる。

 まあ、お湯は貴重と言ってたし、湯船の湯はそう何回も代えられないのだろう。

 周りのあれこれやらマナーが気になって肝心の女性入浴シーンや体を洗うところはあまり観察できなかった。ああ、もったいない。明日はもうちょっと余裕が出るはずだ、しっかりと見よう!


「さ~て、さっぱりしたから二階へ行くか。」

 二階?スーパー銭湯にある休憩所というやつか。上がってみると、沢山の人が煙草をふかしたり、茶を飲みながら談笑していた。

 将棋をしている者もいて和やかな雰囲気だ。


 ?


 なんか違和感を感じる。僕は率直に尋ねることにした。

「なんだか男性ばかりですね。」

「ああ、女はさっさと帰るが、男はここで寛ぐのさ。湯屋ってそんなもんさ。」

 暗黙の了解で女人禁制という訳か。湯上がりの艶っぽいおねーさん見られるかと思ったのにちょっとがっかり……いかん、美咲にバレたらビンタで済まずにエルボーが飛んで来る。


「さ、ここは茶も飲めるし、いろいろな人が集まるから手がかりが得られるかもしれねえな。」

 なるほど、確かに人が集まる場所にはいろんな情報が入るな。次々と顔馴染みと思われる人が源左衛門さんに話しかけてくる。

「おっ、源さん見かけない顔を連れてるな。お前のこれか?」


 なんで皆そう思うのさっ!!!なんなんだよ、江戸の恋愛ってどうなってんのさ?!


「違えよ、長崎からきた甥よ。」

「へえ、あっちじゃ髪の毛をそんなにするのが流行ってるのか。」

「え、ええ、まあ。」

 とりあえず、僕は曖昧に誤魔化す。

「それでよお、皆に聞きてえんだが、半刻で35里の速さで進むものって何か知ってるか?」

 源左衛門さんが声をかけると皆、訝しげな顔をしてざわめきだした。

「なんでい、源さん、戯作のネタかい。」

「まあ、そんな所だ。天狗山の天狗が人里に来て帰れなくなって、山に戻るには神通力だけじゃなく、それを使った瞬間に速い物にぶつかるという方法でな。それを求める天狗と彼を匿った町人達の滑稽本を考えていてな。」

 すごい、さすが戯作者だ!即興でそんな架空の話ができるなんて!

「馬だってそんなに速くねえぞ。」

「そうなんだよなあ、書いていて気づいた。別にずっとその速さじゃなく、一瞬でもいいんだ。」

「そうだなあ、流れ星が落ちてきたらそんな速さじゃないか?」

 確かに速そうだけど、落ちてくる確率が天文学的に低いな。

「火縄銃の玉も速そうだな。」

 火縄銃って確か散弾銃だっけ?万が一スピードが足りなかったら、平成へ行く前にあの世へ逝ってしまう。うーん、なかなか難しい。

 思案に耽っていると、不意に向こうからでっぷりとした中年の男がやってきた。

「先生、それ、新作ですね!やっとうちに戯作を書いてくれる気になったのですね。」

 先生?確かに作家だから先生だ。

「うわ、藤兵衛!お前もいたのか!」

「誰ですか?」

「版元の一つ『青蘭堂せいらんどう』の藤兵衛という奴さ。掛け持っていて忙しいと断ってもしつこくてな。」

「やっと、やっと、うちにも平賀源左衛門の戯作が出せる、ううう。」

 何やら藤兵衛さんは勝手に勘違いして勝手に感激して泣いている。……これも誤解を解くのめんどくさそうだ。


 ※湯屋の二階は男性専用の休憩所でした。男女別々の湯の場合は男湯の二階のみ休憩所でした。そこで、湯上がりの客が談笑したり、将棋を指したりして寛いでいました。いわば社交場だったのです。

 湯屋の利用客は職業、身分の上下を問わず利用します。それは休憩所も同じです。情報が現代より乏しい時代、様々な人々との交流も娯楽の一つだったのでしょう。

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