第11話 江戸前寿司≠江戸時代の寿司

 しばらくダベったあと、湯屋を出た。やはり足元の土が気になる。せっかくさっぱりしても、また埃っぽい道を歩く訳だ。で、家に風呂が無いのとダベりたいのとで、人々は湯屋へ通うと言う訳か。確かに情報や娯楽が乏しい時代においては、ああいう社交場は欠かせなかったのだろう。

 家に風呂があればなあ、と思わないでもないが、湯屋しか風呂が無い時代だからしょうがない。

「藤兵衛さん、完全に誤解してましたね。」

「あれも突っ走ると止まらない奴なんだ。今、手一杯だから待てと言っても聞かないんだよな。」

「うーん、源左衛門さん、いろいろ苦労してますね。いっそのこと、あの即興の話を本格的に作ってみたらどうですか?」

「まあ、そうだな。そういうことにしておけば、あちこち聞き込みしやすいからな。」

 結構だべっていたからか、日差しは夕方の色を含み始めている。多分、午後3時か4時くらいだろう。

 町にはあちこちに屋台が出ている、ちょっと気になるな。

「おし、ちょっと屋台にて何かつまむか。」

 やった!映画などでは蕎麦の屋台があったけど、蕎麦かな。

「鮨に天ぷら、稲荷鮨、蕎麦、どれがいい?」

 はい?寿司?天ぷら?外食したらそこそこの値段するものなんじゃ?

 現代も回る寿司や天丼チェーン店の台頭でデフレが進んだが、この時代も安かったのか。

 ならば寿司だっ!寿司を食べるぞっ!

「じゃあ、お寿司で!」

「なんか顔がイキイキしてるぞ、佑真。」

「僕の時代ではご馳走ですっ!」

「へえ、鮨ってそんな未来でも残ってるのか。」

「ええ、外国にも人気のメニュ…料理ですよ。」

「へええ。じゃあ、鮨で決まりだな。」

 わくわくしながら、屋台へ着く。椅子は無いから立ち食い式だ。

「えーと、何にしようかな。あれ?」

 押し寿司しかない。握り寿司はないの?

「握り寿司はないのですか?」


「握り寿司?なんじゃそりゃ。うちは見ての通り押し鮨の屋台だよ。」

 ま、まさか、まだ握りが存在しないのか?!慌てて源左衛門さんに耳打ちしてみる。

「あの、ここでの鮨って押し寿司オンリー…押し寿司しかないのですか?」

「おう、鮨というとなれ鮨と押し鮨だな。」

「なれ鮨?」

「彦根の鮒鮨が有名だな。米と鮒を入れて一年ぐらい熟成させるあれだ。」

 はうっ!あの臭いと有名な!

「江戸っ子はそんなの待ってられねえから、酢飯と魚で作っているのさ。それがこの押し鮨だ。」

 な、なんてこった。握り寿司だと思ったのにちょっとがっかりだ。

「こはだが旨いよ、兄ちゃん。」

「トロは無いのですか?」

「トロ?」

「マグロの腹の部分のことです。」

「ああ、アブのことか。あんな脂っこいもの売れねえから仕入れてねえよ。」

 な、何ぃ!あんなに旨いものを!

「仕入れる予定は無いのですか?」

「仕入れるも何も、魚屋が捌く時に捨てているからなあ。」

 何ぃぃぃぃ!なんてもったいないことを!!

 一瞬悶えかけたが、閃いておじさんに頼み込んだ。

「おじさん、明日絶対に来ますから魚屋からアブを仕入れて、俵型にした酢飯にアブの切り身をのっけたものを握ってくださいっ!」

「あ、ああ、いいけどお前さん、変わってるねえ。」

 よしっ!捨てているならただ同然っ!特注すれば心置きなくトロ握り食べ放題だー!やったー!さて、切ってもらった寿司を食べよう。醤油は無いの?

「源左衛門さん、醤油皿はどこですか?」

「あん?醤油なんて付けねえでもそのまま食えるよ。」

 確かに酢飯に色がついていて、醤油無しでも食べられる。

「あと、穴子をもらおうかな。それから、えーと。」

「お客さん、この兄ちゃんはちと無粋だねえ。」

 え?無粋?

「田舎者だから、粋を叩き込んでる最中さ、勘弁してくれ。」

 い、田舎者?!

「佑真、江戸っ子は一、二貫食べたら去るのが粋だ。あと一皿にしとけ。」

 ええっ!そ、そんなもっとイケるのにぃ!と言っても一貫というか一切れが確かに大きいから二貫でもイケるのかな。でも、ちょっと物足りないような……。

「あとで天ぷらの屋台も連れてってやるよ。」

 おお!天ぷら!エビ天食べたいっ!

「じゃ、あとでエビ天食べるから穴子ください。」

 屋台のおじさんはそんな僕を見て呆れている。

「若いやつの食い方だねえ。ちょっと野暮ったいが。」


 ここでも、僕、田舎者扱いか。とほほ。


 ※江戸時代の鮨はそれまでの発酵させるなれ鮨から、酢飯と切り身を乗せる鮨へと変換していきました。

 江戸っ子気質の「なれ鮨なんて、発酵するまで待ってられねえ。腹に入れば酢も米も魚も一緒だ。」が凝縮されたファーストフードと言えるでしょう。

 本文にもある通り、源左衛門さんの時代(江戸中期)は押し鮨であり、握り寿司が出るのは1818年頃と考えられています。

 そして、マグロは下魚と蔑まれ、その中でもトロは脂っこいと敬遠されて捨てられていました。

 ちなみにお気づきの方がいるかもしれませんが、『寿司』の字は佑真しか使ってません。

 実は『寿司』は江戸時代後期になってから出てきた当て字で、それまでは押し寿司を表す『鮨』、またはなれ寿司を表す『鮓』の字が使われていました。

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