第23話 江戸の医者、TUKAENEEEE!!

 八百屋へ着き、奥の部屋に向かうとお梅ちゃんの言ってた医者がおまつさんを診察していた。

 傍らにはおじさんが心配げに見ている。

「これは風邪ふうじゃですね。養生してください。」


「源左衛門さん、“ふうじゃ”ってなんですか?」

「風と邪と書いてふうじゃだ。肺の病気全般を指す。」

 それって、風邪もインフルエンザも肺結核も肺がんも全部“風邪ふうじゃ”なのか。大雑把過ぎね?

「養生って?」

「ゆっくり寝てろってことだ。」

 それって匙を投げたに等しいのでは…。

「食事は消化にいいものを与えてくださいね。では、私はこれで。」


「せっかく大枚はたいて医者に見せたのに……。」

 おじさんやお梅ちゃんはうなだれている。って、あんな見立てでも金がかかるのか。ぼろい商売だな。

「江戸の医者、使えねえ……。」

「佑真、そんなこと言うもんじゃねえ。薬は俺たち町人では高くて手が出せねえ。」

「僕、持ってます。」

「「「何だって?!」」」

 全員が驚いて僕を見る。ショルダーの中にこれを見つけた時は、博士の管理のいい加減さにため息をついたが、まさか役に立つ時が来るとは。

「おじさん、おまつさんの具合が悪くなったのはいつからですか?」

 僕の問いかけにおじさんが答える。

「昨日の朝餉の後から咳き込み始めたな。それで熱が一晩経っても下がるどころか、上がってきたのだよ。」

 ということは、今が夕方だからだいたい発症から36時間か。急がないと。

「僕が持っている薬は具合が悪くなってから、2日以内に飲まないと効かないものです。だからすぐに飲ませないと。」

 そう言って僕はショルダーの中から紙袋を出した。博士の名前が書かれた処方薬「タミフル」だ。

「僕の時代でも入手は困難です。あ、いえ、お金が高いとかじゃなくて、薬屋の手続きが厳しいからその病にかかった本人しか買えないのです。」

「そんな大層なもんが、なぜあるんだ。」

「博士がインフルエンザ…… 流行り風邪にかかった時、処方薬を無くしたと言ってもう一度処方して貰ってたのです。まさか、ここに突っ込んで忘れてたと思わなかったけど。」

 そう、その時僕がもう一度処方薬を貰いに行ったのだ。身内じゃないからと散々揉めて、結局博士を無理やり連れて行ったのだった。おかげで僕もインフルエンザが移って散々だった。

「俺の子孫もそそっかしいな。」


「難しいことはなんでもいい、おまつが助かるならそれを飲ませてくれ。」

 おじさんがすがるように懇願してきた。

「わかりました。それと、これからは僕の指示に従ってください。」

「わ、わかった。」

「まず、看病している間は全員布巾を顔に巻いて、鼻と口を覆ってください。空気感染だからこれで病が移るのを防ぎます。あと、時々は戸を開けて空気を入れ換えてください。」

「佑真さん、他に何をすれば……。」

「お梅ちゃんはお湯を沸かして、湯気でなるべくこの部屋を満たして。それが無理なら、水に濡らした手ぬぐいを部屋の中に沢山干して。あと、この家に砂糖はある?」

「は、はい。少しなら。」

「湯冷ましを作って、梅干しと砂糖入れたものを飲ませて。弱った体には水よりもそれがいい。砂糖が足りなければみりんを煮詰めて。」

 そう、スポーツドリンクの代用品だ。クエン酸と塩分は梅干しで調達できる。なんせ、この時代の梅干しは保存目的で作られているから、すごくしょっぱい。砂糖もあるならば、それでなんとかなるだろう。よかった、金欠の時にこの自作ドリンクを水筒に詰めてやりくりしてた経験が役に立った。


「おじさんと源左衛門さんは力仕事になります。」

「なんだと?」

「この薬は確かに効くのですが、副作用があるのです。それを越えればおまつさんは治ります。」

「副作用?なんじゃそりゃ?」

「異常行動をする……わかりやすく言えば、狐憑きみたく暴れます。」

「へ?」

「僕の知ってる話では高いところから飛び下りたり、走り出そうとしたり、部屋から出ようと暴れます。それを力づくで抑えて布団に戻してください。」

「あ、ああわかった。」

 こうして、僕たちのおまつさんの看病が始まった。


 ※江戸時代の医者は、実は無資格で誰でもなることができました。

 もちろん杉田玄白のような名医もいましたが、藪医者も多かったようです。そして、漢方医が中心でありウィルスの概念が無かったため、感染症に対しては無力でした。本文にあるように肺の病気は全て「風邪」という診断でした。

 医者の代金は薬代のみだったと言いますが、相場ははっきりしていません。井原西鶴の記録によれば「徒歩医者だと二分、乗物医者(籠に乗って往診してくる医者)だと五分」とあります。現代に換算するとこれまた相場がはっきりしません。広辞苑などによれば一両が約5万円、四分で一両だったということから如何に庶民には高いものかわかります。

 このように庶民は簡単に医者にかかれないものだったので、民間療法に頼っていたのが現実です。このお話でも、おまつさんのお父さんは苦渋の決断で医者を呼んだのではないかと思います。

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