21 時間を見つけるぞ

「では、始め」

「わかったぞ」

「しゃべっちゃダメ」

 エチコが、ペンを走らせる。僕は、ストップウォッチを見ている。

 エチコは、「日本語」の問題を解いている。とある私立の学校が、特別にエチコの受験を認めてくれたのだ。「ひらがなとカタカナが読み書きできる」ことが条件で、まずはそのためのプレテストがある。

 その練習で分かったのが、エチコには「制限時間」の経験がない、ということだった。エチコいわく、「エチコの星ではできるまで続けるし、できないと思ったら諦めるぞ」ということだ。

 エチコは淡々と問題を解いていく。ペースはすごくいいけれど、ちょっと没頭しすぎな気もする。

「はい、ここまで」

「えっ」

 案の定、時間が来た時にエチコの答案にはまだ空白がかなりあった。わからない問題で止まってしまって、後半の問題までたどり着かなかったのだ。

「英語のテストではこんなことないのにねえ」

「英語はほぼわかるから、時間に関係なくできるぞ」

「そ、そう」

 エチコはこれまで、才能でテストを乗り切ってしまったようだ。才能というのは時に欠点を隠してしまう。

「エチコ、練習だけじゃだめだ。時間というものの理解から始めよう」

「わかったぞ」



 僕とエチコは、近所の運動公園にやってきた。

「いいかい、あの線を越えたら、ゴールだからね」

「越えたらだな。了解だぞ」

 エチコは、ストップウォッチを持っている。僕は、走り出す。

「お、意外と速いな。……大丈夫だぞ。押せたぞ」

「はあ、はあ。何秒だった?」

「6秒5だったぞ」

「よし、次はエチコの番だ」

「頑張るぞ」

 エチコが走り出す。と、予想以上に車輪がぐるぐると回って、加速していく。

「えーっ」

「どうだった」

「4秒7」

「それはいいのか」

「かなり速いよ。距離が同じだったら、時間は少ない方が速いんだ」

「ややこしいな」

「よし、一緒に走ってみよう」

 エチコと同時に、ゴールに向かって走り出す。当然エチコの方が僕よりも早くゴールする。

「おお、勝ったぞ。本当にエチコの方が速かったぞ」

「ね。なんかわかってきたかな」

「うーん、でもエチコ、秒とか言われてもまだぴんと来ないぞ」

「そっか……あ」

 腕時計を見て、次なる作戦がひらめいた。

「ちなみにエチコ、家を出てから何分ぐらいたったと思う」

「まったくわからないぞ」

「40分だよ」

「40分……あっ、テストと同じ時間だな」

「そう。思い出してみて、テストしてるときと、今の40分、どうだった?」

「全然違うぞ。テストはあっという間だったけど、今はいろいろなことをして長く感じたぞ」

「そう。分や秒っていうのはあくまで決められた時間で、僕らが感じる時間はまた別なんだ」

「余計にややこしくなったぞ」

「うーん、そうか……」

 どうやら、簡単な道のりではないらしい。



 とにかく、練習を重ねることが大事だ。解ける問題が増えれば、テストの時間が足りなくなる可能性も減る。

「うーん、前よりは間に合うようになったぞ」

「うん、でもやっぱり時計のことは忘れるね」

「なかなか難しいぞ……」

「あと、わからない問題は飛ばすんだ」

「それも難しいぞ。でも、頑張るぞ」

 長年の習慣というのは、なかなかの難敵だ。むしろ地球人がテストに時間制限を設ける方が変なのかもしれない、とすら思えてくる。

「そういえば、母さん遅いな」

 今日は外の仕事に行った母さんだったけれど、まだ帰ってきていなかった。遅くなるときは連絡があると思うのだけれど。

 念のため、携帯電話にかけてみる。

 ブルルルル……。どこかで、バイブレーション機能の震える音が。これはまさか……

 台所に行くと、食器棚の上に母さんの携帯電話が置いていった。忘れたまま仕事に行ってしまったようである。

「テツオ、何を慌てているんだ」

「母さんが携帯電話を忘れていったから、連絡が取れないんだ。帰りが遅いから、心配なんだけど」

「他に連絡を取る方法はないのか」

「会社にメールはできるけど、見るとは限らないからなあ。もう出てたらどうしようもないし」

「うーん、困ったな……あっ」

 エチコが急に、背筋をピンと伸ばした。

「どうしたの?」

「いつもいる母さんがいないというのは、いつもという基準があるから考えられるんだな」

「そうだね」

「ということは、エチコもいつもという時間のことはわかっているかもしれないぞ」

「う、うん?」

「そしておなかがすいてきたぞ。おなかがすいてない時とすいてるときは気持ちが違うぞ。違うということは、同じじゃないから、時間がある気がするぞ」

「そう、なのかなあ」

「あと、母さんと連絡がつかないということは、母さんとの間に距離があることがわかるぞ。これも時間と関係ありそうじゃないか?」

「そうなのかなあ」

 玄関の扉が開く音がした。

「ただいま、ごめーん」

「あ、母さん。おかえり」

「携帯どこかに落としたと思って探してたの。家にあった?」

「台所にあったよ」

「あらあ。やっちゃった」

 母さんはたまにドジをする。そして多分それは、、僕にも遺伝している。

「母さん、今エチコと近いぞ」

「え、そうね。エチコちゃんのすぐそばにいるけど」

「時間も近いな!」

「えっ、えっ」

 エチコは何か勘違いしている気がするけれど、そもそも僕の方が時間が何か、を理解していない気もしてくる。

「エチコ、テスト頑張れる気がしてきたぞ」

「まあ、それはよかった」

 時間ってなんだろう。 

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