2 嘘はダメだぞ
「あら、かわいらしいねー、お嬢ちゃん、どこの国の人?」
八百屋のおじさんは、初めて見るタイプのエチコにも飛び切りのお世辞を言ってくれた。
「テツオ、二つ聞いていいか」
「どうしたんだい」
「まずは、『お嬢ちゃん』とは何だ」
「えーとね、よさげな女の子を呼ぶときに使う言葉だよ」
「よさげ、も、女の子、もエチコに当てはまるとは思えないが」
エチコは言葉に対するこだわりがすごい。まあ、遠い星まで留学に来るぐらいだから、知識欲がとても大きいのだろう。
「この星では、そういう感じに近いんだ」
「うーん、とりあえずはそう理解しておくぞ。もう一つ、なんで出身国を聞かれたんだ? 重要か?」
「いやあそれはね、挨拶みたいなものだよ。『スペインです』って言ったら『あー、あの闘牛の』みたいで話が弾むだろ」
「わかったぞ。つまり具体的には特に何も言うことがないのでおじさんは挨拶してきたんだな」
「んー……んー……」
エチコは分析しすぎて時折怖い。ただ、新しいことを知れてエチコは満足げに揺れている。
「おじさん、エチコの星には国がないから、エチコはどの国出身でもないぞ」
「あ、ああそうかい」
「おじさんはどこの国出身だ」
「えっ、お、おじさんは日本だよ。フランス人に見えかい? まいったなー」
「フランス人に見えると何か困るのか?」
「い、いやー」
「エチコ、行こう」
僕はエチコの手を引いて、その場を去った。エチコの車輪が、からからと音を立てて回る。
「エチコ、いいかい」
「なんだ、テツオ」
「世の中には、はっきりさせなくてもいいことがあるんだ」
「そうなのか?」
「さっきも『かわいいなんてもう、ありがとう』ぐらいがうまくいくんだ」
「エチコはありがたいとは思わなかったぞ。ありがとうはありがたいと思った時に言うと習ったぞ」
「うーん、なんていうかな、『嘘も方便』という言葉があって……」
「ほーべん、ってなんだ」
「そう言われると僕もわからないなあ」
エチコの質問は、僕の知識不足を明らかにするから怖い。「宇宙人にも説明できるように」って先生は言うことがあるけれど、実際にはすごく大変だ。
「テツオがわからないならきっと難しいことだな」
「はっは、そうだなー」
「テツオ、なんか落ちてたぞ」
エチコが、僕の部屋に入ってきた。その手には、何か見覚えのある紙が。
「あーっ、それはっ」
「いっぱい字が書いてあるな。しかもカラフルだ」
「いやだからエチコそれは」
「なんだ」
「僕のテストだ」
「テツオのか。それで、テストってなんだ」
「テストは、その、色々覚えたかを問題で確認するんだ。あってると、丸がもらえるよ」
「おー、テツオのテストは丸だらけだろうな! 丸ってどれだ」
「こ、この……線が交差したやつ……」
「なるほど。丸だらけだな!」
「とにかく、それを返して……」
「ん? それもルールか」
「そうだよ、持ち主に返すのがルールなんだ」
「でも、廊下に落ちてたぞ」
「落としても、僕のものは僕のもの」
「なるほど。じゃあ返すぞ。エチコはルールを守るからな」
「ありがとう……」
エチコは何でも食べる。
正直なところ、何でも食べすぎて何が食べられないのかまだ分かっていない。そして何でもおいしく感じるようで、「おいしいぞ、おいしいぞ」と言ってお母さんを喜ばせている。たぶん、おいしい以外の味覚がない。
「エチコ、それは刺身用の小皿だよ。食べちゃダメ」
「小さいから食べられるものかと思ったぞ」
「なんていうかなー、硬くて丸いものはまず食べちゃダメだ」
「わかったぞ」
「あらあら、おせんべいが食べられないわよ」
エチコが来てから、食卓はにぎやかだ。母さんは楽しそうに、食器とお菓子の違いについて説明している。
「でも、そもそもお皿は丸くないと思うぞ」
「ええ? こんなに丸いのに?」
「丸ってあれだろ、線が二つ交差している」
いやな予感がする。
「なんのことかしら」
「さっきテツオが教えてくれたぞ。テツオのテストは丸だらけだった!」
「ええとエチコちゃん、丸だらけはいいんだけど、その丸は線が交差しているの?」
「エ、エチコ、方便だ方便……」
エチコにこっそり耳打ちした。
「え、テツオ、方便って今、嘘をついた方がいいってことか」
「テツオ、テストについて詳しいお話を聞きましょうか」
「あ、はい……」
「いい、エチコちゃん。嘘をつかなきゃ駄目な時もあるけれど、自分のためだけにつく嘘はダメよ」
「そうなのか。難しいなー」
「あと、テツオのことはどんどん教えてくれていいのよ」
「わかったぞ。エチコ、テツオの本当をどんどん伝えるぞ」
「嘘つきは泥棒の始まり、って言葉もあるのよ」
「泥棒ってなんだ」
「とっても悪い人のことよ」
「それは大変だ! エチコ、泥棒にならないようにテツオのテストがゼロ点だってちゃんと伝えるぞ」
トホホ、である。つまらない嘘はつかないでおこう、と、丸いお皿をいっぱい洗いながら反省した。
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