28 名前を付けてやるぞ
雨だ。
昨日も雨。多分明日も雨。梅雨である。
「テツオ、このままだと地球が水没するぞ」
「それはないかな。というか、そもそも地球の七割はすでに水没してる」
「そうなのか!」
平和だ。こういう日はゲームでもして過ごしが吉、とおみくじには書いてあるに違いない。
「あっ、ライバルが来たぞ」
「ライバル?」
エチコが、窓の方に駆け寄っていく。
「白い猫だぞ」
「本当だ。白い」
窓の外には、小柄な白い猫がいた。毛並みがとてもいいし、鈴の付いた真っ赤な首輪をしている。
「飼い猫だな」
「なんだそれ、猫の種類か」
「種類というか、属性というか。誰かの家で飼われているのが飼い猫。誰にも飼われていないのが野良猫」
「飼われているのに外にいるのか」
「外に出る飼い猫と、ずっと家にいる飼い猫がいるんだ」
「猫もいろいろなんだな」
白い猫は、軒下で雨宿りしているようだった。
「かわいいね」
「そうだな。……テツオ」
「なんだい」
「この猫のことは、なんて呼べばいいんだ」
エチコが首をかしげている。
「突然なんでそんな疑問を」
「いつも見る猫は、猫って呼んでたぞ。でも、この猫はいつもと違うぞ。猫だけど、同じ猫って呼んでいいのかちょっとした不思議に思ったぞ」
「そうだね。この猫にもきっと名前があるだろうね」
「そうだな。えーと、でも、名前ってなんだろうな」
「エチコだって、エチコって名前だろ。誰がつけてくれたの?」
「空いていたからだぞ」
「え?」
「誰かが役目を終えると、名前が空くだろ? そしたら、次はその名前になるぞ。地球人は違うのか?」
「地球人は自由に名前を付けられるよ。僕以外にもテツオはいっぱいいる」
「そうなのか!」
「それに、いろんなものに名前を付けるからね。猫もそうだし、例えばバスとかにも何とか号って名前がついていたり」
「おお、名前だらけなんだな。この猫には何て名前がついてるんだろうな」
「白いからシロとか、よくあるのはミーとかかな」
「地球人の名前とは違う感じだな」
「そうね、猫には猫っぽい名前があるね」
「その感じがわからないぞ」
確かに、説明するとなると難しい。人間っぽい名前の猫もいる。
「パンナ・コッター、パンナ・コッター」
小さな、女性の声が聞こえてくる。だんだん大きくなってくるので、近付いてきているようだ。
「なんだ、パンナ・コッタって」
「生クリームの入ったお菓子だよ」
「呼んだら来るか?」
「いやあ、そんなことは」
白い猫が振り向いて、駆け出した。ということは。
「猫の名前だったみたいだね」
「お菓子の名前なのにか」
「うん。名前は自由に付けられるからね」
「じゃあ、猫にはパンナ・コッタと名付けて、パンナ・コッタに猫と名付けてもいいのか」
「いいけど、食べ物に名前を付ける人は聞いたことがないかなあ」
「そうなのか。名付けるものとそうでないものの区別を覚えるの大変そうだな」
「うーん、考えたことなかったなー」
ペットだから名前を付けるとは限らないし、生き物じゃなくても名前が付けられていることはある。僕も、名付けのルールはよくわかっていないかもしれない。
「よし、いいぞナナホシ」
「ただいまー。あれ、エチコ帰ってたんだ」
「おかえりテツオ。今ナナホシで面白いドラマやってるぞ」
「へー。……ナナホシ?」
「そうだ。ちょっと音が聞こえにくいな。コバルトどこだろう。あ、あった」
エチコはリモコンで音量を上げる。
「エチコ、さっきから何を言ってるんだ」
「何のことだ」
「ナナホシとかコバルトとか」
「ああ、エチコ名前を付けてやったぞ。エチコの予想では、愛着があったり、お世話になっているものに名前を付けるぞ。エチコはテレビ好きだけど、名前がないから名前を付けてやったぞ。あと、リモコンにもだぞ」
「お、おお……?」
「他にもいろいろ考えてるけど、名前のストックがまだできてないぞ」
「エチコ、一つ大事なことを言い忘れていたよ」
「なんだ」
「名前は自由に付けていいけど、付けられた名前はみんなにとって共通のものになるんだ。僕は誰にとってもテツオだし、エチコは誰にとってもエチコだよね」
「そうだな」
「だからこう、名前を付けてもみんなが受け入れないと、名前としての意味をなさないんだよ」
「意味か」
「うん。正直なところ、テレビにもリモコンにも、名前があるの、違和感しかないよ」
「そうなのか。エチコ、間違ったのか」
「いや、そんなことはないよ。案外、慣れるかもしれない。僕も、ナナホシを観るぞ」
「おお、テツオも名前を呼んだぞ。良かったな、ナナホシ」
「コマーシャルになったね。コバルトで番組表でも観ようかな」
「いいぞテツオ。その調子だ」
「あ、その前にカバン……なんかいいのないかな……アランを部屋に置いてこなきゃ。また母さんに怒られちゃう」
「テツオは鞄に名前つけたのか! エチコもそれは思いつかなかったぞ。エチコのカバンにも名前つけたいぞ。……トリリオンにするぞ。あとでトリリオンにトリリオンと名付けたことを報告しないとな」
僕らはそのあと楽しくなって、いろんなものに名前を付けた。ただ、名前を付けすぎて、何に何という名前を付けたのかわからなくなってしまった。メモを取るようにした。
ただ。
「あなたたち、頭が混乱するからやめなさい。テレビはテレビ、カバンはカバン!」
帰ってきた母さんに怒られてしまった。
「わかったぞ……名前を付けるのはやめるぞ……。あれ、そういえば」
「どうしたんだいエチコ」
「母さんも母さんで、名前がないんだな。誰も付けてくれなかったのか」
「いやいやエチコ、そんなことは……」
名前の話は、いろいろと大変だ。
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