18 月謝を払うぞ

「やったぞ」

 エチコが、100点をとった。それ自体は驚くことではないのだけれど、上級クラスの、単語のテストで満点をとったのだ。

「すごいな、エチコ」

「アルファベットは完璧だぞ。早く日本語も読めるようになりたいぞ」

 実際、カタカナはかなり読めるようになった。ひらがなの方が奥行きがとらえにくい、という理由で苦戦しているけれど、いつかはきっと克服すると思う。

「テツオは今から教室だな」

「うん。行かなきゃ」

「あ、テツオ」

 母さんに呼び止められる。手には封筒が。

「なに」

「お月謝持ってって。エチコちゃんの分も入ってるから」

「わかった」

 封筒を受け取り、僕は玄関から飛び出した。



「テツオ、どうしたんだ。探したぞ」

 外は暗くなっている。教室は終わって、本当ならばとっくに帰っていなければいけない時間だ。

「あ、エチコ。ちょっと、カンタの話聞いてたんだ……」

 公園のベンチ。僕の隣に座っているのは、同じクラスで学んでいるカンタだった。成績はいいしいつも明るい彼が、今日はとても沈んでいる。

「あ、エチコちゃん」

「カンタか。何かあったのか」

「それがね……」

 話は、今日の授業が終わった直後にさかのぼる。

 僕が月謝を先生に渡すと、先生は中身を確認した。きっちり七千円入っていた。それを見てカンタが「あっ、いいな」と言ったのだ。

「七千円のどこがいいんだ」

「あのね、教室の月謝、一人四千円なんだ。でも兄弟姉妹割っていうのがあって、二人で七千円にしてくれてるんだよ」

「そうだったのか。エチコとテツオは兄弟なのか?」

「違うけど、ソフィア先生の好意でそうしてもらってるんだよ」

「そうなのか」

「うん、それがちょっとうらやましかったんだ」

 カンタは、うつむいたままだ。

 カンタは、今月いっぱい、つまり今日で教室をやめる。先週まで理由は知らなかった。

「うらやましいって何がだ」

「月四千円は高いって。だから続けられなくなったんだ。それで、もしテツオやエチコちゃんと兄弟にしてもらえたら、安くなったのに、って思ったんだ」

「なるほどだな。じゃあ、兄弟になろう」

「そう簡単にはいかないよ。家族が違うもの」

「カンタの家族とテツオの家族が一緒になったりはできないのか」

「ははは、無理だよ。うちにはお父さんもお母さんもいて、それで一つの家族だもの」

「それじゃ、月謝を安くしてもらえないのか。教室に来る回数を減らすとかで」

「エチコちゃんはいろいろと思いつくなあ。考えたこともなかったよ」

 そのあとちょっと話していたら、カンタの顔色もよくなってきた。エチコの天真爛漫さが、元気を与えたのかもしれない。僕たちは、別々の家路についた。



「カンタ、どうにかなるといいな。……あ、アンスだぞ」

「えっ、あ。本当だ」

 また同じ教室のアンスが、ビルに入っていくが見えた。

「なにしているんだろうな」

「二階にダンススクールがあるね。習ってるって聞いたことがあるよ」

「そうなのか」

「でも、英語教室の後に行くんだ。大変だなあ。他にも習字とか水泳も習ってるって言ってたかな」

「そうなのか。……そうなると、月謝はどれだけになるんだ」

「うーん、すごいいっぱいだろうね。アンスの家はお金持ちなんだ」

 エチコの歩み……つまり、車輪の回転……が、少し遅くなる。

「エチコ、申し訳ない気がしてきたぞ」

「えっ」

「エチコはたまたテツオの家の家族になったから、教室に行けるぞ。でも、地球人は生まれる家族を選べないぞ」

「あ、ああ。そうだね」

「英語教室に行ける家族と行けない家族、いっぱい教室に行ける家族とそうじゃない家族。そんな違いがあるなんて知らなかったぞ。エチコ、ちょっと悲しくなってきたぞ」

「うーん、そうだね。みんな行きたいところに行ければいいんだけど」

「何とかならないのか、テツオ」

「僕には何とも……でも、いろんなルールで、ちょっとずつは何とかしようとしてるんだよ」

 家に着いた。そこまで大きくはないけれど、庭付きの我が家。



「エチコ、この人わかるかい」

「わからないぞ。見たことないぞ」

 何年か前に、夏休みの宿題で新聞の切り抜きを集めた。それを、テーブルの上に広げる。

「すごいお金持ちなんだ。1億円寄付したっていう記事だよ」

「どれぐらいすごいんだ」

「僕もよくわからないけど、1億円持ってる人も少ないのに、困ってる人にあげちゃったんだよ」

「すごいな」

「それだけじゃなくて、この人みたいな大金持ちは、税金もいっぱい払ってるんだ」

「そうなのか」

「逆にお金のない人は、税金がすごく安かったり、助成金が出たりすることがあるよ」

「いろいろなルールがあるんだな」

「余裕のある人は、困ってる人を助けるルールだね。でも、どこの国でもそうじゃないし、やり方は全然違うし、この人みたいに自分で寄付するパターンもあるんだよ」

「お金の問題は難しいな」

「そうだね」

 正直、僕もよくわかっていない。ただ、よく考えなくちゃいけないことだと思う。

「カンタは、困った人に入らないのか」

「うーん、そこが難しいんだよね。英語教室が、どこまで必要なのか、かな。生活に必要なものだったら援助してもらえることが多いみたいだよ」

「なるほど。英語教室は行かなくても生きていけるから、援助してもらえないのか」

「うーん、そうなっちゃうのかなあ。でも、兄弟割があるのを考えると、ちょっとなんかこう、なんかあってもいいのかなあ」

「でも、ソフィア先生もお仕事だから、お金もらわないといけないもんな。対価、だな」

「そうなんだよねえ」

 考えても考えても答えはわからない。きっといろんな人が、このことを考えて考えてきたのだろう。 

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