15 幸せを計算するぞ
今度は、母さんの様子がおかしい。妙にそわそわしていて、僕に何かを言いかけてやめたりするのだ。ひょっとして、恋人ができた?
「テツオ、どうしたんだ」
エチコはそんな母さんを心配する、僕の方の異変に気が付いたようだった。
「うん、ちょっと気になってるんだ。母さんのことなんだけど」
「母さんがどうかしたのか」
「それがわからないんだ」
「わからないことがわからないのか」
「うーん、そうなるね」
「聞いてみればいいんじゃないか」
「もちろんそうだけど、聞いていいかどうかもわからないんだ」
「難しいな」
本当に難しい。けれども、決断しなければいけない時がある。
「よし、この勢いで聞こう」
「おお」
リビングに向かう。母さんはテレビを観ていた。
「あの……ん?」
ドラマでも観ているのかと思ったら、違った。音楽……ライブの映像だ。若い男性たちがキラキラした衣装を着ている。
「あ、あらテツオ」
僕に気付いた母さんは、慌てて映像を止めた。やはりDVDを観ていたようだ。
「母さん、今の……」
「なあに?」
母さんが作り笑顔で怖い。が、ここでひるんでは決意が揺らぐ。後ろでエチコが「テツオ頑張れー」と言っている。
「なにかその、最近いつもと違うなー、と思ってて。で、ひょっとしてこれ、関係ある?」
母さんはしばらくいろんな表情て悩んだ後、観念したのか大きく息を吐いた。
「あのね、授業参観あるでしょ」
「え、あ、あるね」
「テツオ、楽しみにしてたでしょ」
「うん、まあ、そうだね」
いつもなら嫌なんだけど、今回の授業参観は社会。僕が最も得意な教科だ。だから、ばっちり頑張るところを見てもらえると思った。
「迂闊だったわ」
「え」
「その日、ライブなの」
「は」
「ライブなの。母さんが楽しみにしていたライブだったの」
「はあ。いいんじゃない」
授業参観は四限だ。ライブはだいたい夜だから、時間は大丈夫じゃないだろうか。
「北海道なの」
「へ」
「そのライブ、北海道なの」
北海道。
「ほっかいどう!?」
「年に一度の大きなライブでね、今年は北海道。まさか当選するとは思わなかったから舞い上がっていたけれど……忘れていてのよ、授業参観のことを」
つまり母さんは、ダブルブッキングに悩んでいたのだ。なぜ言ってくれなかったのか。
「行きなよ、北海道」
「テツオ」
「母さん、楽しみにしていたんだろ」
「でも、テツオだって……」
「授業参観は当選しなくてもまた見れるし、母さんにとって行きたいものじゃないでしょ。僕にとってもまあ、そこまでのイベントじゃないよ」
「テツオ……」
「観てきなよ母さん。北海道で、若い男たちを」
「若い男……」
そんなわけで、母さんは若い男たちのライブに行くことになった。
「良かったのかテツオ?」
僕とエチコは、近所のラーメン屋に来ている。母さんは今、北海道。
「なにがだい?」
「母さんは授業参観に来ると言っていたぞ。それは約束だぞ。約束を破ったことになるぞ」
「言われてみれば」
「忘れてたのかー。テツオが最初に教えてくれたことだぞ」
「そうだったっけ」
「テツオ、忘れっぽいんだな」
「そうかなあ」
注文していたラーメンが来た。エチコはすぐに興味を移す。
「おお、家で食べるのとは全然違うな! さすがサービスだ」
「ちゃんと対価を払わなきゃね」
食べ終わると、エチコは車輪をグイン、と空転させた。
「あっ、母さんの話をしていたぞ」
「やっぱり忘れてたのか」
「覚えていたけど後回しになったんだぞ。テツオは母さんが自分の都合で北海道に行くことをなぜ了承したのか聞きたかったぞ」
ちょっと、考えてみた。言われないと、自分でも理由はわからないものである。
「一つは……まあ、いつも母さんにはお世話になっているというか、父さんと別れてからいろいろと大変だったり、ね。たまには思いっきり自分のための時間を過ごしてほしいと思ったんだ」
「そうなのか」
「もう一つは、幸せの量を比べてみたんだよ」
「幸せの量? 幸せには量があるのか」
「まあ、あるとしてね。目に見えないから、想像するしかないけど。授業参観に来た時の僕の幸せの量より、ライブに行った時の母さんの幸せの量の方が大きいと思ったんだよ」
「うーん、わかるようなわからないような。それ、テツオの幸せの量は減ってないか?」
「幸せは、みんなで考えた方がいいと思うんだよ」
「そういうものか。うーん、でもなんか、それでいいのか考えちゃうぞ」
「うん、考えるのもいいことだと思うよ」
「そうか」
ちなみに母さんは、つやつやの顔で帰ってきた、五歳ぐらい若返った気がする。
「あー、楽しかった。行ってよかったわー」
「な、エチコ。母さんが幸せそうなの見るといいだろ」
「そうだな。母さんの幸せは特大なんだろうな」
「それでね、テツオ。ライブ中に発表があったんだけど……今度、シンガポール公演があるの」
「シンガポール」
「デビュー五周年記念なの。どうしても行きたくってね」
「う、うん。行ってきなよ」
「よかった」
シンガポールが遠いのはわかるけれど、どれぐらい遠いかは全く分かっていなかった。ただ、母さんが幸せならば、それでいいのだ。
「ついでにタイやマレーシアも行っちゃおうかしら~」
「エチコの星でもいつかあるかもな!」
宇宙船でライブに行く母さんを想像してみた。どんどん若返っていきそうである。
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