Stage02 バンド!組みます!

01

 調律したスネアの音はスコンスコンと高く抜ける音がした。

 向かって左、シンバルが二枚重なっているのがハイハット。

 真ん中にあるメインの太鼓がスネア。

 足でペダルを踏めば、チェーンがビーターと呼ばれる小さなハンマーみたいなのを引っ張って、バスドラムの音を鳴らす。


 それらをコントロールして、リズムを刻む。

 それが、ドラムの、私の役目だった。

 

 ドラムって言うのは、とにかく目立たない楽器だ。

 音はすごく目立つのに、演奏者は一番目立たない。


 ステージの奥の方。

 奥の、奥の、そのまた奥。


 誰の目にも止まらないような所から、メンバーの背中や観客達の顔を眺める。

 そんな楽器だ。

 ギターが楽器を高く掲げて、リズムぶっ壊して、めちゃくちゃ楽しそうに、自由自在に掻き鳴らしてるのに、私はリズムをちゃんと刻まねばならないのだ。

 損な楽器だ。


 何でドラムなんて選んだのだろう。

 あんまり覚えてない。


 会社を辞めて、いの一番にやろうと思ったのが、ドラムを叩く事。

 すっきりして辞めたはずなのに、最後にあった理不尽や、場の勢いでやめた事が私の中に引っかかり、心を埋め尽くしてて。

 このもやもやした気持ちを、とにかく外に出さねばならない気がしたのだ。


 イヤホンから爆音で音楽を流しながら、立て続けに十曲は叩いた。

 とにかく激しいやつばかりチョイスした。

 これぐらいしないとやってられない。


 音に合わせて体を揺らしながら、ビートを刻んで、バンッ、バンッと、全身を使って全霊で叩いていく。

 やってるうちにテンションが上がって、とうとう吠えてしまった。


「糞野郎がっ!」


 一人でドラム演奏して、叫んで。

 誰かに見られたら引かれるんだろうなぁ、なんて思いながら。

 でもまぁ、誰も見ていないし良いや、なんて。


 三時間予約して、一時間半ほど練習したところで一度休憩する事にした。

 談話室で一人煙草を吸っていると、学生バンドらしい子達が「キャハハ」と笑い声を上げる。

 うるさいなぁ、と思いつつその若さがちょっと羨ましかったり。


 学生の頃は私もあんなんだったんだな。

 ああいう“張り”は、今の私にはちょっと出せそうにない。

 それなりに落ちついてしまったんだな。


 学祭シーズンだからか、周囲は学生バンドらしき人の姿が多い。休憩室にはこうしてミーティング用に机がいくつか置かれているが、全て埋まってしまっている状態だ。

 私は部屋の前にあるベンチに腰かけて、煙草を吸っている。灰皿があってよかったと思う。


 ただ、こういう中にも学生バンドっぽくない団体はちゃんといる。

 あそこのやたらと機材を持っているとことかはそうだ。

 男三人、女一人。ドラムの機材を見るだけで学生じゃないとわかる。


 自分のセットを持ち込みまでしちゃうんだ。私にはとてもできないな……。


 ガチで音楽やってます、って感じ。学生バンドも羨ましいけど、こう言う人達も私はちょっと羨ましかった。今の自分がありたかった、どこか理想の姿でもあったからだ。

「この人達どんな音楽するんだろう」

 まぁ、でも、私より遥かに上手いのだけは確かか。なんとなく煙草を吸いながら眺めていると、急にその中の女性が叫びだした。


「だからなんでそうなんの!」


 談笑に包まれていた休憩室が一瞬にして冷える。そのテーブルに視線が注がれた。

 黒髪の、前髪パッツンの子が急に切れた。


「なんでそれだけで、うちがベースクビになんのかって聞いてんの!」

 他のメンバーがなだめようとする。でも女の子は落ち付く様子がない。

「おかしいやろ! だってうちなんも悪くないやん!」


 音楽性の違いと言う奴だろうか。理不尽な解雇と言うのは、音楽の世界でもあるものなのだなぁと思う。

 騒ぎに巻き込まれたくないのか、一組、また一組とスタジオへ戻っていく。

 やがて休憩室にはそのバンドと私だけが残った。


「冴、ごめん」


 メンバー三人が立ち上がり、深く女の子に礼をした。でも肝心の女の子はひざを抱えて頭を伏せている。何の反応もない。ジーンズがすらりと伸びて、それだけでなんだかスタイルが良いなと、どうでも良い事を思ってしまう。


 反応のない女の子を見て、三人は互いに首を振ると、そのまま楽器を持って店を後にした。どうやらドラムセット一式は、店にある倉庫で預けるみたい。お金を払えば機材を置けるスペースを借りられるというやつだ。金持ってんなぁと思う。


 やがて休憩室には私とその女の子だけが残る。

 煙草がフィルターまで焼けている。

 そろそろスタジオに戻ろうか、と考え出した矢先、不意に顔を上げた件の女の子と目がばっちりあった。


 あ。

 なんかヤバイかも。


 彼女は壁に立てかけていた楽器を担ぐと、まっすぐこちらに向かってくる。多分あれはベースだ。だって本人が言ってたし。

 私はなんだか怖くなって、クモの子を散らした様に四方八方へ逃げ回る何人もの自分を夢想 した。……現実では椅子に座ったままだったけど。


「自分、どこなん」

 目を真っ赤にした彼女が話かけてくる。

 意味が分からず「はっ?」と返してしまった。


 ストレートのロングヘアー。本当にストンとまっすぐ伸びており、キューティクルが光っている。こういう、髪の毛に出来た光の輪を俗に“天使の輪”というそうだ。

 目の前にいる人は天使と言うよりは、悪鬼に近い気もするけど。

 ただ、透き通るような白い肌が、クリックリでまっすぐ物を見る目が、なんだかすごく綺麗だと思った。


「スタジオ。どこ入ってんの」

「え、1スタだけど」

「じゃ、ちょっとおじゃますんね」

 彼女はそのまま、まっすぐ重いスタジオの扉を開けて中に入って行った。


 はっ?


 何が起こったのか理解に苦しむ。

 なんとなくすぐ動けず、もう一本煙草に火をつけた。静かに吸う。

 あれほどうるさかった談話室が、今は無人だ。上のスピーカーから流れる楽曲だけが室内を満たす。このスタジオでレコーディングしたバンドの音源だろうか。格好よくて、妙に難しいことやろうとしてて、変拍子ばっかで、すぐ飽きそう。


 いやいやいや、そうじゃなくて。


 私は慌てて立ち上がるとさっきまで自分の入っていたスタジオに戻った。二枚扉になっていて、一枚目の扉を開けるとかすかにベースの音が聞こえてくる。


 二枚目のドアを開くと、椅子に座ってベースを弾く彼女の姿が目に入った。

 歪んでいるのに、優しい音。顔は髪で隠れて見えない。弾いている旋律は妙に悲しげだ。


 戸惑いながら私はドラムに座った。どうしたもんかと思いながら、何気なく音に合わせて叩く。ベースの抑揚に合わせて、バスドラで緩急をつけてあげる。うまくはまると、ベースの音が浮かび上がるのだ。まるでレリーフみたいに。


 平淡で、まるで展開のない曲を、私たちはダラダラと合わせ続けた。途中、別のフレーズに展開させようかとも思ったが、なんだかそっとしておいた方が良い気がしたのだ。


 全然楽しくないのに、倦怠感に満ちた今のこの心持ちにはピッタリのジャムセッションだ。

 何やってんだろ私、なんで生きてんだろ、そんな感覚をダラダラ垂れ流し続ける。

 ぽっかりと空いたギターアンプを見て、なんとなくゆっこさんがいればいいのになぁと思った。


 ゆっこさん、何で私、一言しか会話していない初対面の人とジャムってんでしょうか。


 ジャムセッションをしばらく続けていたが、急にベースがリズムを刻むのをやめ、投げっぱなしになった。何事かと思ったがなんてことはない。彼女はマイクを用意していた。


「何でうちがベース首なんや!」


 なにやら叫びだす。感情を吐露したいのだろうか。痛い行動だ。クビにされた理由も何となく察しがつく。

 まぁ、そういうのは嫌いじゃないけど。


 即興らしい演奏と唄が始まり、私は黙ってドラムを重ねた。サビらしき部分ではそれなりに盛り上げ、間奏は平坦に。緩急をつけていく。

 やっているうちに、何だか楽しくなってきた。体が勝手に自分のビートに合わせて揺れてしまう。多分彼女も、きっと楽しんでた。


 演奏を終えて彼女と目が合う。何だかおかしくなって、私は笑ってしまった。すると相手も笑い出す。全然知らないもの同士なのに、私たちはずっと笑っていた。


「自分、ドラム上手いな。何年くらいやってんの?」

「えっと、六年、くらい、です」なんだかしどろもどろになってしまった。

「バンドは組んでんの?」

「いや、別に」

「じゃあうちと──」


 その時私の携帯が鳴り響いた。見るとゆっこさんからのメール。

 内容を見て、私は顔を上げた。


「あの、よかったらこの後、飲みません?」


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