05

「何であんなことしたの!」


 ドンッ、と私が机を叩く音で、喫茶店が静まり返り、視線が私達に注がれるのが分かった。私は、何だかバツが悪くなって、身を縮める。


「だって、ムカついてんもん」

「ムカついても、やって良い事と悪い事があるでしょ」

「あれはやったらアカン事?」


 当たり前だろ。


「ゆっこさんの迷惑を考えたら、抑えるべきだった。私達はあの場で怒って、退散して、それで満足。

 でも、あの客がそれで恨みを抱いて、また後日、ゆっこさんに突っかかって来るかもしれない。

 私達が知り合いだってバレて、ゆっこさんの会社の立場が悪くなるかもしれない。

 それで、ゆっこさんが責任感じて会社辞めて、生活出来なくなったら、冴、責任取れる?」

「……でけへん」

「やるべきじゃないんだよ、適当で、感情的な事は」

「でも、だって、あんなん、見てられへんかった……」


 普段強気な冴は、泣きそうな顔をして、悔しそうに唇を噛んだ。

 私だって、その気持ちは、痛いくらいに分かる。


 冴は知ってしまったのだ。

 ゆっこさんの格好よさを。

 そのギターのセンスを。

 彼女がどれだけ才能溢れるギタリストで、素敵な先輩かって事を。


 だから、冴は許せなかったんだ。

 あんな、どこの誰とも分からない、チンピラなのかクレーマーなのかも定かではない、つまらない人間に、私たちのゆっこさんが空き放題言われている事が。

 私たちは二人共、この人が――ゆっこさんが在るべき場所はここじゃないと、あの時そう感じていた。

 だって、私たちは誰よりもゆっこさんを認めてるんだから。


「そりゃ、私も出来るならあの客に怒鳴りたかったよ。でも、そこは抑えなきゃ。子供でも学生でもない。大人なんだ。一人で生きてくってことは、それだけ大変なんだよ」


 私だって、ゆっこさんはあの会社を辞めたほうがいいとは思っている。

 でも、ポンポン就職できるほど、世の中甘くない。

 そして、ちょっと大変そうだからって辞めていては、どこでも働けないし、どこでもやっていけないことだって何となく分かってる。辛い環境でも頑張って、その先で何かを掴まないと、多分一生、自分は頑張れなかったという烙印を、自分自身で押してしまうのだ。


 だからゆっこさんは、今もあそこで頑張っている。


 ままならないものだ。それは、私たちが大人になりつつある事を物語っていた。やりたい事だけやって生きてるわけには行かない。それなりに、現実に折り合いつけて生きていかねばならない。


 だから、どれだけ悔しくとも、我慢しなきゃダメな時もある。

 その判断を自分がした時、酷くつまらない人間になってしまったのだと、実感してしまう。

 でも、それで感情的に行動するのは、圧倒的に間違いだ。


 その日はとりあえず解散する事にして、ゆっこさんには私たちから個々に詫びのメールを送っておいた。

 連絡が来るかと思ったが、何の音沙汰もなかった。相当怒ってるのかもしれない。私だって、同じ事をされたら多分怒る。


「次どんな顔でゆっこさんに会えばいいんだ……」


 花屋に提出する履歴書を記述しながら、私は頭を抱えた。お陰で文字はくしゃくしゃに震えている。筆圧が凄いことになって、更に一部穴が空いた。

 まぁ、もうこれでいいか。


 ◯


 電話でアポを取っておいた近所の花屋に履歴書を持って行った。語尾に「ざます」とかつけそうな、藁納豆わらなっとうみたいな輪郭のおばさんに履歴書を提出する。

 どうやらその人は店長らしかった。


「履歴書? 書き損じたやつと間違ってません? これ」

「いやぁ、あはあは、そうかもしれませんね、すいやせん」


 なんか適当に言って誤魔化す。するとおばさんは「まぁ、せっかくなんでこれでやりましょうか」と言ってくれた。個人商店のためか、細かい事は気にしていないみたいだ。怒られるかと思ったが、助かった。


 週何時間入れるかとか、花屋は虫を駆除したり力仕事もするけど大丈夫かとか、客商売の事とか、色々詰められた。多分、華やかで楽そうな意識で応募してきた人が沢山いたのだろう。

 客商売、と言われてゆっこさんの姿が一瞬リフレインする。いや、まぁいいか。接客でも。


「特に虫は嫌がる人多くてね。虫、大丈夫?」

「はあ、まあ」


 ゴキブリをつまんで捨てられる程度には平気だ。やらないけど。部屋グモはよくつまんで外に逃がしている。ゴキブリより大きなアシダカグモと数ヶ月飲食を共にした時代もあった。いずれも学生時代の頃だけど。

 ただ、それのせいで学生時代はろくでもない評価を受けた。私は果たして花も恥じらう女子なのか、本当は性転換したのではないか、当時は何度も悩んだものだ。

 話しながら悲しい過去は連鎖的に引き起こされた。


 そんな私の心情とは裏腹に、私はどうやらおばさんのお眼鏡にかなったらしく「あなた良いわねぇ」と賞賛の声を頂いた。

「花屋のアルバイトに来る人って、結構理想と現実のギャップを感じちゃう人が多いのよ。楽そうってイメージが強いのかもしれないけど」

「はぁ、やっぱそうなんですか」

「そうよ、この間なんてねぇ――」


 そこからはおばさんの猛烈な愚痴が始まった。それは破壊されたダムの様に止まる事が無く、私はその言葉の濁流に呑まれていく。

 これくらいの破壊力で、音楽を作れたらいいのにな、なんてボーっと考えながら、一時間くらい話した。というか、一方的に聞かされていた。


 帰りしな、携帯を見るとゆっこさんから電話がきた。

 突然のことに、一瞬緊張が走る。この間の件から、連絡をしてもしばらく反応が無かったからだ。怒りの波動に目覚めたゆっこさんに、私は殺されるんじゃないだろうか。


「もしもし」

「彩ちゃん、ごめんね。忙しかった?」

「いえ、ちょうど今面接終わったところで」

「面接?」

「あ、えーと、アルバイトの」


 平静を装って会話するも、今まで通り接していいものか分からず、どうしても歯切れが悪くなる。

 でも、ゆっこさんの声に怒りとかはなさそうで、ひょっとしてこのまま何となく流せるのでは? なんて私に期待させてくれた。


「アルバイト、何するの?」

「一応、今日受けたのは近所のお花屋さんで。まだ受かるか分からないですけど」

「そっか、受かるといいね」

「結構好感触だったので、多分受かると思います」

「じゃあ、決まったら飲みに行こう。奢ってあげるよ」

「やった! ありがとうございます!」

「うん。……それで、この間のことなんだけ「本当に申し訳ありませんでした」」


 被せるようにして言った。

 すると、ゆっこさんは「ううん」と言葉をつなげてくれる。


「怒ったりとかはしてないよ。彩ちゃんが途中で止めてくれたから、特別問題にもならなかったし」

「そっか、よかったぁ」ホッと胸を撫で下ろす。

「冴さんにも、ありがとって言っておいてくれるかな。私の為に、怒ってくれたんだよね」

「はい、多分。って言うか、お礼なら、直接言ってあげてくださいよ」

「ううん、彩ちゃんから言っておいてほしいんだ」


 茜色の夕陽がきれいに射している時間帯で、空は徐々に夜の気配が滲み出していて、一等星が姿を見せてくれていた。

 私はその空を見上げながら、ゆっこさんとゆるゆるな会話をしている。

 自由が私の中にはあった。

 なんだか、良い日だな、何て思う。


 まぁ、そんな日は、極稀ごくまれに最低の事が起こるのだけれど。


「私、バンド抜けるから」


 ほら。

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