02
時間はすっかり夕方で、なんだか街は会社帰りのリーマンと主婦と学生で賑わっている。
私はその人混みを縫うようにすり抜けて、目的の店へと入った。ドラムでよかった。ギターやベースだと荷物が多すぎてこうはいかない。
「あ、サンライスはっけーん」
スタジオ帰りの黎明堂。
小腹が空いたのでパンを食べたかった。
菓子パンって太るんだよな……なんて考えつつも、欲望には抗えない自分がいる。
意気揚々と私が最後の一個となるサンライスを取ろうとすると、横からにゅっとトングが出てきた。
新手か! だがこのサンライスは渡さん!
私が横にいる男性をにらみつけると、相手もこちらを睨んでいた。
私と同じ歳か、ちょっと上くらいだな。いかつい見た目してるくせに、甘い物を女子から奪おうとするとは何事か。
しばらく無言でにらみ合う。どうでもいいけど、妙に見たことある奴だな。
それは相手も思っているのか、無骨な顔で首を傾げていた。
あっ。
私達は多分、同時に声を上げた。
思い出した。
「米沢さん」
「豊崎」
声を出すと同時に、店員がどこからともなくやって来て、目の前のサンライスを回収してしまった。
「あぁ!」
思わず二人して声を出す。
すると、店員の女の人はこっちにチラリといたずらっ子みたいに目配せして、奥から焼きたてのサンライスをたっぷりと持って来てくれた。
おぉ……。
これが神対応というやつか。
○
寒空の下、ベンチに座って大の大人が二人してパンを食べるの光景はなんだかいようで、ちょっとおかしい。はたから見たら私たちどう見えんだろ、なんて。
まだ日があるからか、それほど寒くはない。でも夜になると冷えるんだな、これが。時間の問題だ。
「米沢さん、何やってるんですか、あんな場所で」
再開して
「小腹が減ったんで、ちょっとな」
「今日、お仕事は?」
「自由業だから気楽だ」
「自由業?」
「ギター講師とレコーディングエンジニア」
「へぇえ、なんかすごい。音楽のプロですね」
「仕事絶やさないようにしないとダメだけどな。休みはほぼない」
「ほへーすんごい」
適当な返事を返す。我ながらチャランポランだ。
自分でそう思っていると「相変わらずぺらっぺらの言葉だな」と米沢さんが呆れた様子で笑った。
「それで、お前は何やってんだ」
「はぁ、お花屋さんを少々」
「花屋? ……似合わないな」
「失礼ですね」私は頰を膨らませながら、サンライズを口にする。「もう、三年ぶりくらいでしたっけ」
「そんなになるか」
「はい。……米沢さん、音楽続けてたんすね。何か私、嬉しいっす」
「辞められるわけないだろ。俺みたいな奴、音楽やってなかったら何も残らないからな」
「それはまぁ……確かに」
「ちょっとは否定しろ」
学生時代の米沢さんと随分印象が違って、なんだか話しやすい。
私が知っている米沢さんは、もっとトゲトゲしていて、ぎらぎらしていた。
訳もなくなんか憤っていて、全部に冷めているゆっこさんとは正反対、水と油くらいには違った。
でも、卒業して米沢さんはなんだか丸くなっていた。ゆっこさんとはまた違った丸まり方。この丸まり方は、割と好きかもしれない。大人になったと言うやつだろう。やっとさんとはまた違う、大人のなり方だ。
「あ、私も音楽続けてますよ。それから、ゆっこさんも」
「木村が?」
「はい。成り行きで、私とバンド組むことになって。ベースは全く外部の子なんですけど。それで、今曲作ってます。音源ありますよ。スタジオの奴ですけど、よかったら聴いて感想下さい」
私が渡したイヤホンを、米沢さんは黙って耳にはめる。
さっきまで緩い表情をした米沢さんの姿は消えて、かつての彼が戻って来た気がした。
その瞬間、私は悟る。
ああ、この人はまるで音楽への情熱を失っていないのだと。
出来上がっている曲は全部で四曲。
歌物だけど、ギターがかなり忙しい曲。ゆっこさんだから弾けるって、私は思ってる。
ギターロックみたいな正統派のロックが二曲。
技巧を凝らしたメインの曲が一曲。
それから、ゆったりと部屋でコーヒーでも飲みながら聴けそうな歌なしの曲が一曲。
「最後のはアンビエントか」
「あんびえんと?」
「環境音楽だ。自然音や電子音を取り入れた」
「かんきょうおんがく?」
「雨とか、子供の声とかに重ねてピアノのせたりな」
「ああ、そう言えば、なんかレコーディングするなら公園の音入れるとか、訳わからないこと言ってました」
ドラムを始めてそれなりになるが、ジャンルとか、楽曲の事は私はよくわからない。
というか、周囲の人たちが詳しすぎるのだ。どういう生き方をしたらそんなに詳しくなるというのか。
ゆっこさんも冴も、給料が出たら何万円かはCDに費やしているらしい。
私からしたら、ありえない金銭感覚だ。マンガ買ったり、映画でも見ているほうがよっぽど為になる気がする。
「最後の曲、他の曲とは全然印象が違うな」
「それゆっこさんとうちのベースが作ったんですよ。何か好きらしくて、そういう静かなの」
「学生時代はゴリゴリのメタルやら、ロックやらやってた奴が、アンビエントか」
よく分からないが、米沢さんはなんだか可笑しそうだ。
どこが面白いのか、私には理解しかねるが。
「そういえば、ゆっこさんって最初はメタラーでしたっけ」
なんか格好良い曲やお洒落な曲ばっかりやってた印象が強いが、思い返せばメタルも良くやっていた。デスボイス出せる女性ギタリストって言う点でも、かなり目立っていた。
米沢さんともたまに一緒にバンドを組んで、イベントとかに出ていた気がする。
イベントで一番美味しいところを持っていくバンドは、大体ゆっこさんと米沢さんのツートップだった。
その時、米沢さんのスマホが鳴って「時間か」と米沢さんは立ち上がった。
「豊崎、ライブする時、呼べよ」
「えっ? でも私、米沢さんのアドレス知りませんよ」
「……しゃあない」
米沢さんは黙って私のスマホを奪うと、連絡先を登録してくれる。
「それからCD。レコーディングするときは教えろ。うちの設備格安で使わせてやる」
「えー、金取るんですか」
「こっちはそれで飯食ってんだよ」
「じゃあな」とこっちに手をひらひらさせる米沢さんの姿を見ながら、私は煙草に火をつけた。
歩いてく米沢さんは、何だか酷く非現実的な存在に思えて。
サンライスを食べて白昼夢でも見たのではないかと思えた。
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