03
数日後のスタジオにて、私はゆっこさんにヨネさんの事を話した。
「へぇ、ヨネに会ったんだ」
そう言うゆっこさんはなんだか嬉しそうだ。旧友の生存確認が取れて安心したのかもしれない。
「何か、レコーディングエンジニア? って言うのやりながら、ギターの講師も兼任してるらしいです」
「すごいね。まだまだ現役なんだ。でもそれ、どれくらい収入あるんだろ」
「さぁ」
すぐに収入の話になるのは社会人の性だろうか。まぁ、お金ないと生きていけないしな。
「あ、でも、サンライス食べられる程度には裕福そうでしたよ」
「サンライス?」
「はい。黎明堂の。最後の一個を奪い合ったのが米沢さんでした」
「何やってんのあいつ……。でも、黎明堂のパンは私も良く食べるよ」
「何? 何の話?」
飲み物を買いに行っていた冴が、スタジオの分厚い防音扉を開けて戻って来ていた。不思議そうに、首を傾げている。
「黎明堂の話」
「黎明堂って、あのパン屋の?」
「うん。この前話してた先輩いるでしょ? あのあと、黎明堂で会ったんだよ」
「へぇ。黎明堂好きとは、なかなかセンスええやん」
「まぁ、実際抜群のセンスを持ってたよ。ヨネは」
六時間の練習も、いよいよ後半に差し迫ってきている。
以前つめていた五曲目は、ようやく完成を向かえ、今私達は最後の一曲を生み出してた。
ただ、長時間のスタジオはやはり体に堪える。数年前まで平気だったのにな、なんて思いながら私は腰をさすった。
「それで、話は変わんねんけど、曲どうする?」
「メインの曲はもうあるしなぁ。最後どうするか」
「バラード?」
「それだとちょっと面白くないね。まぁ、確かに静かな曲はもう一曲欲しいけど」
「バラードあんま好きちゃうねん」
「じゃあポストロックにしようか。彩ちゃん、なんか面白いビートない?」
「ええー、無茶振りですよ」
「いや、振ったら意外と出てくるかなって思って」
「あるにはありますけどね」
試しに何パターンか叩いてみる。最近動画で見て自己流にアレンジしたものだ。
続けて叩いていると、ゆっこさんがギターを重ねてくる。そのコードを支えるように、冴がベースを解き放つ。
おお、と思う。
私はドラムなのでコードとかは全く分からないが、ここまで良いフレーズが即興で出てくるのはすごいことなのだと言う事だけは、何となくわかる。
結局その日は何本か種案を出しただけで終わった。
深夜スタジオなんて学生の頃以来だ。
なんだか楽しくて、それでいて長時間のスタジオを耐え抜くだけの体力がもう自分には余りないのだと言うことを嫌でも思い知った。
○
長時間スタジオの疲れは、一週間ほど私を苦しめた。
慢性的な倦怠感にも近い疲労感。バイトも肉体労働だから、自然と悲鳴が出る。
「うひー、重いなぁ」
トントンと腰を叩きながら私は汗を拭った。
「豊崎さん、やっほー」
「あ、
声をかけてきたのは、常連さんの西川幸さん。大人っぽい優しい女の人で、私は内心この人に一目置いている。時々楽器を背負ってやってくるのだ。バンドやってるんですか、といずれ聞くのが目標。
「今日もいつものもらえるかな」
「セットですよね。はーい」
「……何か疲れてる?」
「あはは、ちょっと私生活で無茶やりまして。大丈夫ですよ」
幸さんの会計を済ませて、ちょっと一段落。
客が途絶えたかな、とおもった矢先、またもや声が掛かった。
「あの、これ欲しいんだけど」
「あ、はーい、ただいまー」
「……あっ」
トテトテと私が駆け寄ると、私と客は同時に声を出した。
「米沢さん」
「豊崎」
なんだ、これ。
○
その日の仕事終わり、なぜか米沢さんと飲むことになった。
学生時代の頃はこんなこと絶対になかったなぁなんて思いながら、二人で居酒屋に入る。
何気に、二人で飲むのは初めてかもしれない。
「米沢さん、何で花なんて買おうとしたんですか」
「いや、知り合いがスタジオ開設するから、祝いにと思ってな」
「へー、やっぱり音楽関係の知り合い多いんすね」
「まぁ、その業界で仕事してるからな。……それより、バンドどうだ」
「順調すよ。あっそういえばゆっこさんが会いたがってましたよ。また音楽の話ししたいって。
「悪くないな」
「じゃ、決まりで」
なんだかどうでも良い事ばかり話してる。まぁ、学生時代の仲間との会話なんて、どうでも良い事で埋め尽くせるから良いのだ。
景気とか、社会情勢とか、現実とか、そんな話題では疲れてしまう。
普段現実に晒されてる分、飲み会では思いっきりネジ緩めて、頭使わずに会話したい。
「それでお前、上司殴って辞めたのか」
「仕事中にチューしようとするんすよ? ありえなくないですか?」
「チューってお前、おっさんかよ」
「おっさんですよ。自宅でビール飲んでソファにゴロゴロしてんですから」
「俺より自堕落な生活してんな」
居酒屋の適度な喧騒が、私たちの会話を加速させてくれる。私もヨネさんも、それなりに酒が回って会話はどんどん適当になって行った。
その時、不意に見知った顔が視界の隅を通った気がした。
私は気になって目を向ける。
あっ……。
思わず、目を見開く。
薫だ。
そう言えば、仕事を辞めてから一度も連絡をしていなかった。辞め方が辞め方だっただけに、何か連絡がし辛かった。
薫は送別会をしようかと言ってくれていたが、私を送別すると薫の立場が悪くなるかもしれないと断ったのだ。
「どした?」
私の様子に気づいたのか、米沢さんが声をかけてくれる。
「ちょっと前の会社の同期がいて」
「仲良かったのか?」
「ええ。毎日ご飯一緒に食べてましたよ。でも辞めてから全然連絡してなかったんですよね」
「じゃあ声かけてこいよ。せっかくなんだし」
「そっすね。じゃあお言葉に甘えて」
私は席を立ち上がり、薫が居るであろう席を探す。
居た。薫だ。頭の形と髪型で分かる。
薫は誰か男の人と一緒のようだった。
デートだろうか。だったら、声掛けたら悪いかな。
迷っていると、二人が不意にゴソゴソし始めた。多分店を出るつもりだ。
私は何となく後ろめたくて、慌てて近くの空き席に隠れる。
そこで私は見た。
薫と一緒に居るの、チーフじゃん。
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