02

「「songs notebook?」」


 私がその名を出すと、スタジオに二人のひっくり返すような声が響いた。


「ってあのソングス?」


 ずいと迫るゆっこさんの顔に、私は頷く。


「はい、そのソングスです。私たちの青春そのものの」


 すると「いやいやいや」と冴が口を挟んだ。


「無理やろ。そもそも、ソングスとの対バンなんて、どっから出て来てんな?」


 私は先日のヨネさんとの一件を話す。

 すると二人は、大きくため息をついた。


「それでその、米沢さん? とは付き合ってんの?」


 あれ?


「いや、別に付き合ってはないけど」


「でも週一ペースで飲みに行ってるんでしょ? あのヨネと」


 あれれ?


「まぁ、一回千円もしないくらいですし……、安くていい店ですよ」


 二人は私の返答を聞くと「あぁー」と声を上げた。


「米沢さん、めっちゃかわいそうやん」


「彩ちゃんはね、昔からそう言うところあるんだよ」


「あのう……ソングス……」


「んなもん無理に決まってるやろ! どこの世界に記念すべきレコ発で、自主企画で、初ライブのバンド参加させる奴がおんねん!」


「しぇえええ……」


「残念だけど、諦めよう、彩ちゃん」


「も、もし決まったら……」


「そりゃ決まったら断る理由はあらへんけど、99%ないわ」


「そうだね」


「そ、そんなの! やってみないと分からないじゃん」


 分かっていた。無理だ。

 それでも、ただ口頭で諦めを表示したくはなかった。

 いや、ワンチャン……ひょっとしたら半チャンくらいあるんじゃないか?


 憧れのバンドとのライブ。

 実現したとしたら、夢みたいな話だ。

 だからこそ、しばらく私は夢を見ておきたかった。




 それからしばらく何の音沙汰もなく、時間が過ぎた。

 ヨネさんからの返事はまだかな。


 それが気になって、仕事中も、何となくボーっとしてしまう。

 ここのところ考える事が多かったから、余計に私は現実逃避をしてしまっている。


 脳内では、私たち三人が大舞台でライブをする光景。

 初ライブにして、百人近い人が集っている。

 全力でライブを終えた私たちに、会場を埋め尽くすくらいの歓声と拍手。


「うふふ、ぐふ、ぐふぐふふ」


 私がおよそ女子らしからぬ声で笑っていると「うわっ」と声がして我に返った。

 入り口で幸さんが怪訝な顔をしてこちらを見ている。


「あ、幸さん、いらっしゃいませぇ」


「いらっしゃいませぇ、じゃないでしょ。接客業でその笑い方!」


「見られてしまいましたか、お恥ずかしい」


 と、そこで幸さんが背中にギグケースを背負っている事に気がついた。

 ギターやベースを入れたりする黒いソフトケースのことだ。

 小柄なのに、随分大きなものを背負っている。


「前々から気になってたんですけど、幸さん、バンドしてるんでね。ギターですか?」


「ううん。ベースだよ」


「へぇ。実は、私もバンドやってるんです。ドラムやってて」


 すると幸さんは興味深げに「へぇぇ」と声を出してくれた。

 その反応が、何だか嬉しい。


「どんなのやってるの? 歌物?」


「スリーピースのギャルバンで。歌はあって無いような感じです。ポストロックって言うジャンルにあたるらしいです。私は良く分かってないですけど」


「ライブとかはしないの?」


「実は、今度やろうって話してて。今、知り合いに掛け合ってもらってるんです。すごいバンドとやらせてもらえないかって」


「私、結構ロックには詳しいよ。何てバンド?」


「えと、ちょっとまだ内緒にしててもいいですか? 決まったらお伝えさせてください」


 先走って伝えて、決まらなかったら恥さらしにも程がある。


「えー、いいじゃん。言うだけならただだって」


「すごいバンドと競演出来るなんて言って、決まらなかったら流石に恥ずかしいですし……」


「何だぁ。ケチ」


「えっへへ、すいません」


「じゃあ、ライブ決まったら教えてよ。ちなみに、豊崎さんがやってるバンドの名前は聞いてもいいんでしょ?」


「あ、はい。『サンライズ』って名前なんです」


 そこで私はハッとした。

 これはまたとないチャンスだ!


「ライブが決まったらお伝えしますね。もしよかったら、連絡先とか教えてくれませんか?」


「いいよいいよー。豊崎さんなら教えちゃう」


 私は内心ガッツポーズした。

 やったぜ、年上の可愛い女子の連絡先ゲットだ、と。


 私たちはスマホのアプリを使って、手早く連絡先を好感する。


「何でサンライズって名前なの?」


 ポチポチと、連絡先を登録しながら幸さんは言った。


「全員、黎明堂ってパン屋のサンライスが好きで。サンライス好きが集ってサンライズ」


 口にするとあまりに陳腐な名前だ。

 少し恥ずかしい。


 でも幸さんは「いいね、可愛い」と何だか嬉しそうに肯定してくれた。


 いつもの花を買って行った幸さんを見送り、私はしばしの至福に包まれる。

 ここ最近、何だか調子がめっちゃ良い。


 もう四月で、空気はすっかり暖かくて、花も今は全盛期で。

 風は緩やかで、街並みは穏やか、生活も最近は安定している。


 だから、沢山幸せが運ばれてくるのかな、なんて。

 我ながらバカなことを考えたりもする。

 幸せってこう言うことかな。


 浮き足立っていると、不意にスマホが鳴り響いた。

 お客さん居ないし、いいよね、と思いつつ画面を見ずに電話に出る。


「あ、彩? お母さんだけど。元気してる?」


「お母さん? 珍しいね。どしたの? 何か用だった?」


「うん。明日、そっち行くから。泊めてもらおうと思って」


 なるほど。

 私は目を瞑り、天を仰ぎ、静かに頷く。

 春は、一瞬で冬になったようだ。

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