03

 駅で合流した母は、何と言うか、田舎から気取ってやって来たおばさんに見えた。

 派手な帽子にアロハシャツ。高そうなバッグに、ちぐはぐなサングラス。いかにも、地方から来ましたって感じ。と言っても、そんなに遠いわけでもないけど。


「お母さん、何、その格好」


「クラス会だったのよ。それで遅くなっちゃったから、あんたんち泊まろうと思ってね」


「急に電話してくんだから、びっくりしたよ」


「あら、いいじゃない。それとも何? 彼氏と同居でもしてるの?」


 んが、と言葉に詰まる。


「そんなものはいない。男は不要じゃ」


「あんたもそろそろプラプラしてないで、男の子の一人や二人、ないし三十から四十人くらい捕まえてきなさいよ。せっかくそれなりに美人に生んであげたんだから」


「もう、うるさいなぁ……」


 大学を卒業してから、お母さんに会うと毎回こんな感じ。


 結婚は?

 就職は?

 地元に帰ってきたら?


 そればっかり。


 お母さんはずっと地方で暮らしていたから、人生の楽しみ方を一通りしか知らないんだ。

 恋愛して、結婚して、家庭持って。

 それが女の正しい生き方だと思ってる。


 今の時代、結婚しなくたって趣味が充実している人はたくさんいる。

 ご飯食べに行った付き合わねばならないわけでもない。

 一人でも、それなりに楽しい生活は送れるものだ。


 確かに、お母さんを見てると、たまに楽しそうだと思う事もある。

 家族に囲まれて、子供作って、温かい家庭を築いて。

 そうした未来に、憧れがない訳ではない。


 駅近くにあるパスタ屋さんで、少し遅めの晩御飯にした。

 時刻は夜九時。

 ピークを過ぎたためか、それなりに空いている。


「あらぁ、ここおしゃれねぇ」


「ラッキーだよ。結構人気店なんだから」


「あんた、普段こんなところで食べてるの?」


「半年に一回くらいだよ。普段は自炊」


「自炊ねぇ……ちゃんと家事とか出来てるの?」


「やってるよ、失礼な」


 プー太郎になってからも、社会人だったころも、我が家の掃除は欠かした事がない。

 昔から何だか知らないけど、家事だけはやるのが好きだった。


 朝起きたら洗い物するし、ご飯も炊く。

 生活力はあるほうだと自分では思う。

 女子力が高いのだ、女子力が。


 適当にパスタを注文した後、お母さんの愚痴が始まった。


 お父さんのこと、弟のこと。

 お父さんは気の抜けたコーラみたいな性格。

 とにかく静かだ。静かすぎて、本当に私と血が繋がっているのか疑わしい。


 弟は今年から進学して大学生になる。

 私と同じ大学で、片道二時間以上掛かるから一人暮らしをしたがっているらしい。


 久々に聞いた家庭の話題は、なんだか他人事のようにも思えて。

 それだけで、自分が随分家族から離れたんだなぁ、なんて実感してしまう。


 そうこうするうちにパスタが来た。

 私はカルボナーラをクルクル巻きながら、お母さんの話をどれも話半分に聞いていた。

 カルボナーラは早めに食さないと固まってしまう。


「あんた、会社はどうなの?」


 不意打ちだったのでむせた。

「汚っ!」とお母さんが身を引く。


「あんた、鼻からスパゲティ出てるよ」


 ズズッと吸い込むと、そのまま喉に落ちて飲み込んだ。

 その様子を見たお母さんはまた「汚っ!」と顔をしかめた。


「何で急に仕事の話なんてするのさ」


「急にじゃないでしょ。こっちで仕事するからって一人暮らし継続したんだから。で、どうなの?」


 腹を決めるしかない。

 私は気合いを入れるために息を吐き出した。


「……辞めました」


「えっ?」


「辞めました。仕事」


「はぁ? あんた、それ本気で言ってるの?」


「本気ダス」


「何で相談も報告もなしに辞めたの!」


「上司にセクハラされそうになったから。殴ったら実質クビになっちゃって」


 怒られるかと思ったが、意外とお母さんの声は落ち着いていた。

 察してくれたのかもしれない。


 ただ、店の注目は私達に集まっていた。

 周囲の客が私たちの話に耳を傾けているとわかる。


「それで、今は何をしてるの」


「お、おは」


「おは?」


「お花屋さんで、アルバイトを……」


「アルバ……! あんたねぇ」


 お母さんはそう言うと、呆れたように首を振った。


「ちゃんと訴えたの? セクハラのこと」


 私は首を振る。


「じゃあ、相談とかは。弁護士さんとか、労働組合とか、あるでしょ」


 またも横に首。


「仕事辞めなくたって良かったかもしれないじゃない」


「うるさいなぁ!」


 私は机をバンと叩くと、立ち上がった。


「私だって必死だったんだよ! なんでそんな急に出てきてぐちゃぐちゃ言われなきゃダメなの!? 今はただ、頑張るしかないの! 自分で決めたの! やるだけやるって!」


「彩!」


 私は気がついたら走り出していた。

 店を出て、街を抜けて、声かけてきた男に通り過ぎざまに掌底をかまして。


 ダメじゃん私!

 全然全然、子供じゃん!


 ○


「彩ちゃん、どうしたの急に」


「ゆっこさん……」


 店を出て、ずっと走って、ヒールも壊れて、足もくじいた。

 何だか訳分からなくて、お母さんからの着信も無視して。

 気がつけば私はゆっこさんの家に来ていた。


 私を見たゆっこさんは、一瞬目を丸くする。

 仕事終わりみたいで、パンツスーツがなんだか眩しい。


「へへ、すいません。話聞いてほしかったんですよね」


「何かあったって顔だね」


 私はお母さんとの事を、ゆっこさんに話した。

 二十四にもなって、親に小言言われて、逆切れして、逃げるように店出てきたこと。

 自分がプラプラしてるだけの人間だって実感して、人に指摘されてイラついてしまった事。


「子供ですよね」


「子供だね」


 人に言われるとグサリとくる。

 特に、ゆっこさんに言われると、何だか心苦しい。


「音楽をやるのは、リスクがいる。私みたいに仕事しながらやってる人もいるけど、私や彩ちゃんの歳で、定職につかないでバンドやるのは、ただ遊んでるだけにしか思われないかもね」


「ですよね」


「私も、こんな仕事してるけど、親からは色々言われるよ」


「そうなんですか?」


「うん。ねぇ、彩ちゃんから見て、働いてる私の姿って、ダサいかな。負けてるかな」


「そんな事、思わないです。ゆっこさんはきっと、何かを得ようとしてるんじゃないかって、私はずっと思ってました。この前ヨネさんが私に言ってた“答え”って奴を」


「答え?」


「はい。ずっと頑張り続けて、自分の全力でもがき続けたら、その先にきっと答えが見えるって、ヨネさんが言ってたんです」


 仕事、頑張って。

 頑張って、頑張って。

 その先にあるものを、ゆっこさんは見ようとしている。


 それが何かは分からないけれど。

 すごい仕事の能力かもしれないし、新しい目標かもしれない。

 誰かと出会って結婚する事なのかもしれないし、仕事で出世する事かもしれない。


 でも、自分の人生において。

 何かをやって、何かを得たって言う実感と確信を、ゆっこさんは掴もうと思ってるんじゃないだろうか。

 私が、今までの仕事で得られなかったものを、ゆっこさんは。


 じゃあ、私は何なんだろう。


 仕事も辞めて、まともに転職活動もしないで、フリーターしながら気ままに暮らしてる。

 そんな私は、何を見つけたらいいだろう。


「彩ちゃんは、もがくってタイプとは違うかもね」


「えっ?」


「飄々としてて、マイペースで。要領よくて、いつの間にか色々持っちゃってる感じかな」


「それ、褒めてるんですか?」


「褒めてるよ、存分に。ねぇ彩ちゃん。私たちのやってることは無駄じゃないって、私は思ってる。彩ちゃんは?」


「私も、そう思ってます」


「じゃあ、精一杯やってみようよ。それで、その先で、何か結果だそう。バンドだって、仕事だって、きっと一緒だよ。自分の全力でぶつかってたら、何か見つかる」


「そう……ですね」


「ヨネもさ、それをやって来たから言ったんじゃないかな。今は確かに、やりたい仕事してるかもしれないけど。あいつはあいつなりに全力でやってきたからこそ、その結果を得たんだよ」


「そうですね」


 なんだかおかしい。

 二十四にもなって、こうやって人に励まされてるのが。

 学生時代の私にとって、大人なんてみんな平気そうな顔して歩いてる気がしたのに。

 実際にその年齢になると、自分はまだまだ子供で、全然大人なんかじゃないなって実感させられることばかりだ。


「戻ろっか。お母さん、心配してるよ」


「はい」


「ところで、彩ちゃん。一個気になったんだけど」


「はい」


「彩ちゃんとヨネ、本当に付き合わないの?」


「あはは、ないない。そのような盟約、交わしたこともないですよ」


「そ、そうなんだ。結構お似合いだと思うけどな」


「はぁ、どうも」


「彩ちゃん……変わんないね」


「えっ? なんでそのタイミングで?」


「いや、うん。いいや」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る