03

 ゆっこさんは駅前の電気屋さんで働いていると言っていた。

 そう言えば新しい店舗がオープンするとかで、一時期話題になってたなぁと思い出す。

 電気屋さんって私はどうも苦手だ。どこもビカビカしているし、目移りする。

 いたるところにポップが貼られていて、何から視認すれば良いか分からない。情報量が多すぎる。そういう場所でゆっこさんは働いている。


「ゆっこさんはどちらかと言うと街のちっさい電気屋さんってイメージかなぁ」


 私はそんな勝手な事を口にしながら、何気なく駅前の新設店舗に足を伸ばした。

 確かパソコンサプライ用品のコーナーにいるとか言ってたっけ。仕事中だろうから、迷惑にならない程度に軽く挨拶してみよう。


 プリンターとその用品を売ってるらしい。私からすれば全く興味のない分野だ。

 しばらく広い店内を歩きまわって、色んな店員さんに場所を聞いて、ようやく目的のコーナーにたどり着いた。駅前にあるだけあってとにかく広い。ゲームのダンジョンみたいだ。


 サプライコーナーではいくつも棚が並んでおり、そこに様々なプリント用紙が並べられていた。和紙、コピー紙、写真用紙、ハガキ、ラベル、名刺用紙、インデックス、それにブライダル用紙なんて物まである。買う人いるのだろうか。レジに人はいない。


 私は腕時計に目を落とした。九時半。もうすぐ閉店だけど、まだゆっこさんは働いてるのかな。


 プリンターのインクを眺めたり、用紙を眺めながら何気なくゆっこさんの姿を探す。しばらくしてから、ようやく店員の姿を見つけた。小ぶりな姿。ゆっこさんだ。疲れた顔をしている。忙しそうだ。私に気づく気配も無い。

 ゆっこさんは赤いプラスチック製の箱から商品を取り出しては、せっせと棚に詰め込んでいた。


 やかましい館内放送の中、いらっしゃいませいらっしゃいませと声を出すゆっこさんは、必死に社会にすがりついているようにも見えた。

 別に馬鹿にしているわけじゃない。皆一緒なんだって安心しただけ。

 きっと、私の仕事してる姿も傍からみたらこんな感じ。


 声をかけようか迷ったけれど、なんとなく妙な背徳感を感じてためらわれた。

 すると、先輩に一人のおじいさんが話かけた。声をかけられ先輩はハイと振り向く。

 おじいさんは手に袋を持っていた。この店の袋だ。


 ここに来るまでに何人か同じ様な袋を持っていた事を思い出す。おじいさんはそこから商品を取り出すと、先輩に何やら話し出した。説明を聞き終えた先輩は、ペコペコと頭を下げる。クレームだろうか。ここからだとよく分からない。

 私は気づかれないよう二人に近付くと、近くの棚に身を隠した。ここならなんとか声が聞こえる。

 

「申し訳ございません。わざわざ御足路戴きまして」

「で、これ返品出来るんか?」

「インクはどれだけ使われたんですか?」

「全部や」

「えっ?」

「全部使ったんや。でもこの印刷物見てみ?」


 おじいさんは肩掛け鞄から紙を取り出すとゆっこさんに見せる。


「どや?」

「どう、とは?」

「印刷の色。最低やろ? こんなん使いもんにならん。でもとりあえず印刷せなあかんから使っとったんや。そのうち色直るかと思ってな」

「はあ……」

「そうこうしているうちに使い終わってしもた。こんな色の印刷物使いもんにならん」

「プリンターは今の所詰まったり、故障してはいないんですか?」

「いまの所は、な。でもこのインキのせいで故障するとも限らん」

「いえ、それでしたら大丈夫ですよ。確かにインクの質は落ちていたのかもしれませんが、インクの根詰まりが起きていないのなら問題なくご利用いただけます」

「あんた専門家ちゃうんやろ? ええから、返品してや。出来るんやろ?」

「いや、申し訳ないんですが、異常が出ていないのであれば、使われた物を返品と言うのはちょっと……」

「何でや?」

「使い切られてしまうとさすがに……。返品前提の販売もさせていただいていませんし」

「わざわざここまで来たのにか?」

「はい……。誠に申し訳ないんですが」

「おたくで売ってた商品やろ? ちょっと無責任なんちゃうんか? 売ったら売りっぱなしか?」

「いえ。ですから、お話を聞く限りプリンターに異常は出ていませんし」

「こっちはわざわざ運賃だして来てんねんぞ? じゃあ運賃代くらい出せるんか?」

「それも、出来ないです……」

「ふざけんな! どうなっとんのやこの店は! 責任者呼べ!」


 うわぁあ、クレーマーだ。しかも性質の悪い。

 専門的な事はまるで分からないが、聞いててここまで胸糞悪くなるやり取りは初めてだった。


 気がついたら手を強く握り締めていた。

 なんか言ってやりたい。だって、このままじゃゆっこさんが可哀想だ。

 私は一歩足を踏み出そうとして、ぐっと堪えた。


 ここで行ったらダメなのだ。

 これが、彼女の、ゆっこさんの仕事なんだ。


 こんな意味の分からない理不尽に急に晒されて、製造元ではなく販売店に怒りの目が向けられ、無理難題を押し付けられ、言いたい放題言われる。

 ろくでもないけど、これが彼女の仕事で、きっとゆっこさんもそれを自覚している。なんとなくそれが分かった。

 私がここであのおじいさんに文句を言ったところで余計に話がこじれるだけで、返ってゆっこさんに迷惑がかかって、ゆっこさんも、たぶん全く喜ばない。

 

 だって逆の立場だったら、私も口を挟まないで欲しいから。

 でも、目の前の情景は悔しかった。

 ただただ、悔しかった。

 

 吐く息が震え、いつの間にか私は泣きそうになっていた。明るい店のメロディと、華やかな商品の陳列と店の景観、その一画で、こんな場面が描かれている。

 ゆっこさんは私の大学時代の先輩で、憧れで、一番のギタリストだった。

 そんな人が、あんな理不尽な事で、どこぞのしょぼくれた老人に怒られている。


 きっと、学生時代の私なら後先考えず飛び出していた。行ってあの老人を怒鳴っていた。

 でも今はそうじゃない。自分がすっかり先を考えて行動するようになってしまった。熱情だけで、行動できなくなってしまっていたのだ。

 出来る訳ないじゃないか。沢山の理不尽を知ってるんだから。それが社会だって、知ってしまってるんだから。

 私は気づかれないようにその場を後にすると、人気のないトイレの個室に入り込み、顔を覆った。

「こんなの、死んでるも同然じゃん……」

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