05

 ライブハウスのオープンと共に、予想したよりも大勢のお客さんが中に入ってくる。

 開場して十分もしないうちに、ライブハウス内は大勢の人たちで埋め尽くされる。


「彩」


 肩を叩かれて、私は思わず声を上げた。


「薫!」


「来ちゃった」


「仕事は?」


「早上がり。有給溜まってっから。半休にして消化」


「抜け目ないなぁ」


 まさか来てくれるとは思ってなかったから、思わず声が弾む。

 すると薫は「もう一人来てるよ」と視線を後ろにやった。


「よお」


 姿を現したのは、ヨネさんだ。


「さっきそこで会ったの」


「来てくれたんすか」


「行くって言っただろ」


 微笑みながら、私たちに目を向けてくれる二人を見て、実感する。

 今日、この会場の中で、私たちを見に来てくれたお客さんがいる。


 もし、他の誰にも伝わらなかったとしても。

 私たちの演奏が、たった一人にでも、届くなら、それでいい。


 その為なら、頑張る価値がある。


「彩、そろそろ時間」


「うん。……それじゃあ、二人とも、また後で」


「豊崎」


 ヨネさんが、私に声をかける。


「はい」


「パンチ、見せてやれ」


 声をかけてくれたヨネさんに、私はニッとガキ大将みたいな笑みを投げた。


「当ったり前じゃないっすか」




 ライブハウスが暗くなり、流れていた音楽が止まる。

 いよいよだ。


 私は、入り口付近に居た冴とゆっこさんと、合流する。

 緊張が満ちる。ゆっこさんも、冴も、ステージをまっすぐ見つめて、目を離さない。

 入場のSEが流れてから、後はステージに乗り出すだけ。


「二人共」


 私が声をかけると、二人が静かに振り返った。


「ミスっても良い、格好悪くても良い。私が後ろにいるから、安心して」


 私は、数年前ののことを思い出して、声を出す。


「バンドで一番の失敗は、熱量のこもってない演奏をすることだから」


 私が言うと、二人はニヤッと顔を緩めて、私の頭を軽く小突いた。


「そんなん、当たり前やん」


「それ、私のセリフじゃなかったっけ?」


「もらいました」


 少しだけ三人で笑った。



 大丈夫。



 飛び出したステージは光り輝いていて、ライトが集中して当てられているからか、随分と熱気がこもっている。


 沢山の観客を、必然的に見下ろす状態になる。


 ドラムに座り、二人の音が聞こえてくる。

 全体を少し叩き、問題がないのを確認した。

 二人の音出しが終わり、私を振り向く。


 頷いて、スティックをワンカウント。


 その瞬間から、私達のライブは始まった。

 私のドラムと、冴のベースががっちりとはまる。

 バスドラムに、ベースの音が押し出されて、揺るがない土台が出来上がる。

 その上に、街を作り出すかのような、ゆっこさんの華やかなギター。


 綺麗なクリーントーン。

 掛かったリバーブは、音の残響をより深みあるものにする。


 そして、ゆっこさんは歌った。

 それは、もう一つの楽器みたいで。

 私たちが全身全霊で演奏しても、その声はしっかりと客席に届くほどに芯があった。


 観客の視線が、一気に集まる。

 好奇に満ちたものじゃなくて、もっと意識を集中させた、熱にあふれた視線だ。


 普通のバンドじゃない。

 見るバンドだ。

 そんな観客の声が聞こえた気がした。


 一曲目が、思った以上に早く終わる。

 何がミスか、どうなってるのか、そんなもの認識する前に、あっと言う間にステージの時間は過ぎ去る。

 実際に流れている時間の三倍以上早く、私達の時間は過ぎ去っていく。


 疾走感のある曲を最初に持ってきて、二曲目も同じように激し目の曲。

 一曲目はシンプルだけど、二曲目は全然違う。

 冴が作った曲で、ドラムとギターはとにかく手数が多い。忙しい。


 ドラムは両手両足を動かして、複数の太鼓やシンバルを同時に鳴らす楽器だ。

 だけど、この曲では足や手の音を重ねないよう、一つ一つ叩かねばならない。

 それはリニアドラミングと言う技法らしい。

 ドラムからしても、それはかなり神経を使う演奏だ。

 厄介な事に、冴は独自の感性でそんなフレーズを私に要求してきたのだ。


 冴の作った、この曲の基本フレーズを叩けるようになるだけでも、家でめちゃくちゃ練習した。幼稚園児でも叩けそうなくらい、やっててイライラするほどの低速から初めて、徹底的に体に染みこませた。


 沢山の練習は、全部今日のためだけにあった。

 私たちが演奏するのは、たった三十分。

 その三十分のために、百時間以上費やした。


 私は、顔を上げる。

 手元だけ見る演奏なんてつまらない。

 この光景を、目の奥、脳髄の奥深くまでやきつけなきゃ。


 すると、冴と目が合った。

 ギラギラした彼女の目は、さっきまでの緊張なんてぶっ飛んでて。全てワクワクで満たされていた。人生の全ての嫌な事から解き放たれたって顔をしてる。

 それがおかしくて、なんだか私は笑ってしまう。


 流れるように四曲目を終えた。

 あまりに一瞬で、世界が加速していた。

 息が止まりそうなほどに、早かった。

 もう最後の曲か。


「初めまして、サンライズと言います」

 ゆっこさんが、ギターのチューニングをしながら、観客にようやく自己紹介を始める。

「今日は、来てくれて本当にありがとうございます。それから、私たちを呼んでくれた『songs notebook』にも、心から感謝を。レコ発、おめでとうございます」


 すると、ステージからピョコっと手が伸びてきた。幸さんが飛び跳ねて自己主張している。可愛い。

 ゆっこさんは何だか嬉しそうにその姿を見た後、言葉を紡ぐ。


「私たちはまだまだ駆け出しで、CDもなくて、次のライブも決まってません。だから、今日は名前だけでも覚えて帰ってもらえれば、嬉しいです。こんな素敵なステージに立てたこと、めちゃくちゃ嬉しく思います。私たちは次の曲で最後ですが、これからもっともっと素敵なバンドが出てくるんで、是非最後まで楽しんでいってください」


 一礼して、ゆっこさんは私に目配せしてくれる。

 私はそれに、頷いて答える。


 最後の曲だ。


 私たちがサンライズ。

 そんな曲。


 まっすぐで、複雑で、それでも熱が溢れてる。


 曲が始まると、自分の中のアドレナリンが解放される気がした。

 と言うか、もうぶっ放しまくってた。


 歌っているゆっこさんの姿が、かつてのそれと重なっていく。

 その周囲に、目には視えないオーラの様なものが漂っている気さえする。


 やがて、曲は終盤になり、ゆっこさんのソロが始まった。

 もう終わりなのか……。

 私がそう思った、その時だった。


 ぶつん。


 そんな音が鳴って、ゆっこさんのギターの音が消えた。


 何が起こった?

 一瞬、冴と目が合い、すぐにゆっこさんを見る。

 そこで、私たちは察した。


 ゆっこさんのギターの弦が切れていた。


 この曲は、ゆっこさんのソロが滅茶苦茶長い。

 メインとも言って良い。

 弦が切れることは、すなわち致命傷だった。


 でも、ゆっこさんは違った。

 すぐにフレーズを変えて、完全に即興でソロを構築し始めていた。

 それは、元々決めていたフレーズより、ずっと完成度が高くて。


 私は、その瞬間の事を、多分生涯忘れない。


 思った。

 帰って来た、と。


 かつてのゆっこさんが、ここにいた。

 私の憧れで、伝説のゆっこさん。

 ソロを終えて、ギターをかき鳴らしながら、天を仰いで、夢中で叫んでいて。


 負けるわけがない。

 プレッシャーなんかに、現実なんかに、社会なんかに。

 そんな確信を、私に抱かせてくれる、最強のヒーロー。


 今日、ここに立っている私たちは、多分無敵だ。


 やがて、曲が終わり、私たちの演奏が終息する。

 シンバルをかき鳴らし、タムを鳴らし、冴のベースがうねり、ゆっこさんがギターをかき鳴らす。


 ああ……。

 終わる。

 終わっちゃう。


 曲が。


 終わる。




 全部終わった後、私は呆然としてた。

 耳がキーンと鳴っていて、何も聞こえない。

 照らされたライトが眩しくて、一瞬、私は目を細める。


 最初に目に入ったのは、私を見るゆっこさんと冴。

 それから、手を掲げて拍手する、大勢の人の姿。


 聴力が徐々に回復して来て、徐々に世界に音が戻ってくる。

 鳴り止まない拍手が、私の耳を埋める。


 私は前に出て、ゆっこさんと冴と並んで、お客さん達に一礼した。

 その光景は、何だか感動的で。


「彩ちゃん、冴さん」


 ゆっこさんが、私たちに声をかけてくる。

 汗だくの顔で、世界一良い笑顔を浮かべて。


「誘ってくれて、ありがとう」

「当たり前やろ」

 二人の姿に、私は笑った。


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