サンライズより
坂
サンライズより
Stage01 会社!やめます!
01
先輩がいた。
彼女はギタリストだった。
バンドマンっぽく髪を長くして、ギターを弾くと顔が隠れて見えなくなる人だった。
「バンド演奏で一番の失敗はなんだと思う?」
確か学内のスタジオで練習して、休憩中に近くの喫煙所で煙草を吸っていた時だ。
その先輩は、私にそう言ったのだ。
煙草を吸っていたのはもっぱら私で、先輩はその様子を見ながら静かにそう口を開いたのだ。
一瞬「何言ってんだこの人」なんて思ったけど、何か格好良くて。
格好良かったら何やっても許すみたいな思想が私の中に発達していたのを感じたのだ。
「そりゃあ、本番で上手く演奏できなかったり、機材トラブルが起きたり、全然盛り上がらなかったり、そんなんじゃないんすか?」
「違う」
彼女は、静かに首を振る。
その姿が様になっていて、私は少し見惚れた。
「バンドで一番の失敗は、熱量のこもってない演奏をすることだよ」
熱量のこもってない演奏。
彼女のその言葉は、今も私の中に色あせる事なく、鮮明に残っている。
それは、熱量のこもってない人生を生きているのと同じ。
そう言われているような気さえした。
あれから、もう数年になる。
「熱量のこもった演奏、ねぇ……」
駅前にある広場だった。ベンチに座って見上げた空は曇っている。
風は薄ら寒く、吐いた煙草の息は真っ白だ。
卒業してから就職したのは、大学時代に住んでいた場所から通える、小さな食品メーカー。
実家から通うにはちょっと不便で、私は実家に戻る事なく、一人暮らしを継続している。
私はそこで事務員として就職した。
女帝と呼ばれる三十代のお
同期が数人、社内恋愛を楽しんでいるが、私はどこ吹く風。
昼休みにこうして煙草を吸うのだけが楽しみだ。
息を吐くとキャスター特有の、甘い香りが広がる。
「こんなところにいたんだ」
ボーっと考えていると、同僚の薫が声をかけてきた。
「買ってきたよ、黎明堂のパン」
「わーい、あんがと。結構並んでた?」
「割とね。やっぱ人気なだけあるわ」
私はベンチ横にある灰皿に煙草を投げ入れ、彼女から紙袋を受け取った。
中にはタマゴサンドとカツサンド、それにサンライス。
「乙女がカツサンドはないよねぇ」
「もう乙女って言う様な歳じゃないよ」
私は今年で二十四歳になる。
二十代の折り返しも間近の、社会人二年目の十一月だった。
○
今でも、何でドラムなんか選んだのだろうと疑問に思う。
元々はギターを始めるつもりだった。
その理由は、やっぱり先輩が原因。
先輩は、皆からゆっこさんと呼ばれていた。
私もそう呼んでいた。
楽器の腕も、演奏のスタイルも本当に格好よい人だった。
大学に入学してどの部活に入ろうかとぷらぷらしてた私にとって、彼女の存在は一つの転機だった。
初めてゆっこさんを目にしたのは、説明会ライブと称した部活のライブに行った時。
楽器を弾かずとも、一際オーラを放っていた。
ジップパーカーに手を突っ込み、髪形はセミロング。
ちょっと長い前髪で顔が隠れて、ジーンズにスニーカーといういたってラフな格好。
それが妙に板についていて。
こんな格好いい女子がいるものかと、私は度肝を抜かれたのだ。
そしてひそやかに、あんな格好いい女になってやろうと、そう思ったわけなのだ。
ライブが始まっても彼女は格好よかった。
ギターを掲げて、小さな体を最大限まで活かして、身体を逸らせて掻き鳴らすのだ。
彼女は天を仰ぎ、そして吠える。
マジかよ。
私は言った。
マジかよ。
それは間違いなく、私がギターを始めようと決意した瞬間だった。
しかし現実は残酷な物で。
私の入学年は近年まれに見るほどギター志望が多い年だった。
さらに調べてみれば、ギターと言うのはえらくべらぼうな資金が掛かる楽器らしい。
それなりに機材をそろえるのにもかなりお金がかかるし、弦の交換代も馬鹿にならない。
なら、と私はお金のかからない楽器を選ぶことにした。
安上がりな楽器、それがドラム。
ほぼ全てのスタジオに常設されている。
必要なのは二本のスティックだけ。
スティックは安けりゃ五百円。
高くても二千円するのはほぼない。
だから私はドラムにしたんだ。
始めるとドラムは単純で奥の深い楽器だった。
私は、すぐにその魅力にのめりこむことになる。
あれだけ練習したドラムも、叩くのは今では月に一回。
個人練習でスタジオに行く程度に留まっている。
私はまだ楽器を続けているだけマシだ。
大学時代の友達はもう辞めたって言っていた。
ただ、私の場合、続けていると言うよりはやめられないというほうが正しい。
仕事行って、また仕事行って、またまた仕事に行って。
たまの休みは家でごろごろしたり、スタジオ入ってドラム叩いたり。
それが、今の私のライフスタイル。
生きてんのかなぁ、私。
家に帰ってベッドに横になっていると、毎日そんな疑問が浮かんでは消える。
社会に飲まれて、懐柔されて、つまらん人間になったな、と思う。
そう言えば先輩は、ゆっこさんはどこに就職したんだっけ。
あ、そうだ。電気屋さんだ。
地元で就職すると、たしかそう言っていた。
音楽で食ってく人だと思ってたから、正直意外だった。
あの人はまだ格好良いのだろうか。
格好良い社会人をしてるのだろうか。
不意に携帯が鳴ったのは、そんな風にゆっこさんを思い出していた仕事終わりの事。
予期しない着信音に引き寄せられ、私は横になったまま枕元に手を伸ばす。
なかなか手に触れない。
仕方が無いので体を起こした。
あった。
携帯を手にする。
誰だこんな時間に電話なぞ。
画面を見て私は止まった。
かけてきたのは間違いなく伝説の先輩――ゆっこさんだった。
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