03
順調に行ったように見えた初スタジオだったけれど、実際問題、核心的な部分は何も解決されていない。
三人そろってスタジオになかなか入れないのだ。
都合がつく時間にどうにか練習を重ねても、冴が途中からバイトだったり、ゆっこさんが急な仕事だったりで。
細かい事情が重なると、歯車は狂い出す。
すぐに完成しそうだった私たちの第一曲目は、最初のスタジオ以降、ちっとも進んでいなかった。
「裕ちゃん、また遅れそうやな」
物言いは丸くとも、冴の声は尖っていた。
トゲトゲだった。
まるでサボテンだ。
仕事中のゆっこさんは連絡がつかない。
それが余計に苛立ちを増幅させているらしい。
「三人で練習できればええんやけどなぁ、三十分そこいらじゃ、固まるもんも固まらんわ」
「仕方ないじゃん」
「裕ちゃん、次休みいつって言ってたっけ」
「今は木金が多いって言ってたかな。冴は?」
「火、水固定。全然かぶらん」
冴は近所のライブハウスでアルバイトをしている。
普段はドリンクや料理の提供をしているらしい。
時々ライブのブッキング(バンドに声をかけ、ライブイベントを行うこと)もやるそうだ。
以前のバンドでは結構精力的に活動していたらしく、顔もきくという話だった。
社会人にとって、練習時間のスケジュールをあわせるのは課題だ。
きっとゆっこさんは、今まで何度もこんな経験をしてきたに違いない。
だからバンドはしないと、したいけど出来ないのだと、彼女は自分に言い聞かせていた。
そうじゃないと諦めがつかなかったから。
でも、私は知っている。
ゆっこさんはそんなことで音楽を諦められる人じゃない。
だって、ゆっこさんは、とっても音楽が――バンドが好きなのだ。
ライブの栄光と楽しみと熱量。
遥か高みから見下ろすステージの景色。
高鳴る心臓と、最大まで上がったアドレナリン。
その中で楽器をかき鳴らすあの楽しさと自由。
バンドは、どこまでも私たちに生きていることを実感させてくれる。
あの一瞬を知ってしまったら、音楽を捨てられるはずなんてない。
「やっぱ、仕事どうにかならんか上司に掛け合ったほうがええと思うねんな。裕ちゃんは大人しすぎんのや。それにすぐ諦める。ああいうのは、もっとガァンと強く言ったったらええねん」
「冴の方はどうなの? 休みずらしてもらったりとか」
「分からん」
自分勝手な意見だ。
まぁ、男であれ、女であれ、こう言う人は珍しくない。
見下すつもりはないけれど、冴の考えを聞くと、やっぱり子供だなって思ってしまう。
わたしだって紛いなりにも社会人を二年こなした。
責任だって、立場だって、アルバイトの頃とはぐっと変わってしまうと知った。
少なくとも、ミスをして飄々としていられるほど甘くはなかった。
適当な事をしたら、責任を取らされるのは自分じゃない。
舐めた事を言っても罰されるのは自分じゃない。
家庭を持った上司だったり、先輩だったりする。
責任すら取らせてもらえないのだ。
自分が罰されるのは良いけれど。
他の人たちが異動させられたり、減給にあったりするのは心が痛い。
それに社内の色んな人に迷惑もかける。
自分だけに留まらない。
全然自分に関係ないことでも、自分に一箇所でも油断があれば、それは自分が悪い。
誰かを当てにして、いざとなったら助けてくれるなんて甘っちょろい事は言っていられない。
だって誰もが自分自身で手一杯なのだから。
わがままなんて許されない。
そんなもの言おうものなら、一瞬で叩き潰されてしまう。
って言うのはちょっと言い過ぎか。
でもそんな感じ。
社内の空気とか、それぞれあるんだろうけど。
やっぱり何か息が詰まって、常にもがいている。
私にとって社会人って、そんな生き物だ。
私は以前見たゆっこさんの姿を思い出した。
多分レジで会計しただけのゆっこさんは、悪くもないのに商品不良で頭を必死に下げていた。
客の方はそんな事知ってか知らずか、ガンガン言いたい放題。
それが全部ではないけれど、きっとそれもゆっこさんの仕事。
悪くなくたって頭を下げなければならない。
言い返したいけれどそれも出来ない。
ゆっこさんが就いているのは、そんな仕事なんだ。
あの姿を見た私だって、仕事を変えれば良いのにと思ってしまった。
もっとゆっこさんに向いていて、楽な仕事だってきっとあるはず。
でも、ゆっこさんはそれをしない。
何故か。
「ゆっこさんは、きっと向き合ってるんだろうな」
「向き合ってる?」
「だからね――」
「ごめん! 遅くなった!」
そこに慌てた様子でゆっこさんが入ってきた。
「ごめん、遅れて。冴さん、後何分くらい行ける?」
すると冴は立ち上がって首を振った
「もうあんまり時間ない。とりあえずトイレ行く」
ぴしゃりと扉を閉めるような、きつい物言い。
時間が取れない事に対する苛立ちを、ゆっこさんにぶつけている。
仕方がないことなのに、八つ当たりに近い。
冴がまだ大人になりきれていない事を、そこで実感する。
「冴さん……」
「裕ちゃん、この際やから言うとくけどな、裕ちゃんが何と向き合おうと別に構わへん。でもな、せやったらバンドとも、もっと向き合ってほしいんや」
「えっ? 向き合う?」
「あ、ゆっこさん、それは……」
私が説明する前に冴はさっさとスタジオを出て行ってしまった。
気まずい沈黙だけが残る。
「……怒らせちゃったかな」
「ゆっこさんが悪いんじゃないんですよ。何もしてないんだし」
「でもやっぱり、バンドの足を引っ張っちゃってるよ」
「ゆっこさん」
私は少し大きめの声で彼女の言葉を制した。
「それは言わない約束でしょ」
「ごめん。……そう言えば、向き合ってるとかってなんの話?」
「仕事、自分、人生」
「うん?」
「ゆっこさんが向き合ってるもんですよ。だから厳しいって分かってても今の仕事を続けていて、バンド中心で動く学生時代とは違うって話で」
「……そうかな。そんな
「私からすれば、大仰なもんです」
多分誰だって、どこかで仕事をやめたいって思ってる。
全員が全員じゃないにしても、私の知っている人は大体そうだ。
学生から一転して社会人にチェンジ。
その時に生じるギャップは、私の中ではかなり大きかった。
この仕事だったら向いてるかな、なんて適当に決めた会社だったけれど。
実際やってみるとイメージとは違ってばかりで。
規定残業や年間休日もあくまで社内カレンダーが描く『理想の形』で。
実際はサービス残業やら休日出勤やら、提示されていた条件とは全然違う。
上司からセクハラまがいの行為をされて、半ば勢いで辞めてきた会社だったけれど。
仕事から逃げた部分がないわけじゃない。
だから私はゆっこさんがまぶしく見える。
社会にまみれてくすんだように見えたけど、この人の行動には芯が通っている。
そんな気がしてならなかった。
冴がトイレから戻ってきてからも、スタジオ内には終始重苦しい空気が流れていた。
結局その日も三十分くらい練習して、冴はバイトへ行ってしまった。
このままじゃジリ貧だし、状況が悪くなる事は見て取れた。
「どうするかなぁ」
何となく考えながら、家に帰って煙草吸ってビール飲んで、またバイト探し。
そう言えば近所の花屋がバイトを募集してたっけ。時給も悪くなかった。
何となく惹かれたので履歴書を書いていると、冴からメールが来た。
内容を確認する。
「え……?」
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