02

「順調順調!」


 練習後のスタジオにあるミーティングルームで、満足げな笑顔を浮かべる冴に私は苦笑した。


「まさか最初の一回目でここまで進むとはなぁ」


「まだサビできてないじゃん」


「サビまで行くと思ってへんかったもん。適当にジャムって、あーだこーだいって、グダって終わりかなって」


「結局、歌入ってなかったけど、歌詞とかどうするの? 歌メロとか」


「追々考える」


 随分適当だ。こちらの視線に気づいたのか「だって!」と冴は頬を膨らませた。


「まだこのバンドがどんなんか、全然わからへんもん。昔はよく曲作っとったけど、最近は人が作ったフレーズに重ねて重ねて、注文に答えて答えてしてただけやし」


 別に責めるつもりは毛頭なかったから、その言い方が何だかおかしかった。

 子供みたいだな、なんて思って私は彼女の年齢を知らないことに気がついた。


「冴って歳いくつ?」

「え、二十歳やけど……」


 私とゆっこさんは二人同時に「若っ」と声を出す。

 いや、と言っても私たちも二十四と五なので、世間一般では十分若いのだろうが。


 それでも学生と同じ年齢ってだけで、十二分に若く見えてしまう。


「えっと、冴さん、は学生なの?」


 恐る恐るといった調子でゆっこさんが尋ねる。

 冴は首を振った。


「いんや。フリーター。ライブハウスでバイトしてんねん」


「あ、そっか……」


 どことなく冴の声には強張りを感じた。

 その様子に、ゆっこさんも聞いて良いのか分からなくなったようで、そそくさと退散するようにこの話題をしまう。


 別に何か特別な事情でフリーターをしている訳じゃないだろう。

 多分、冴からすれば、自分のやりたい事を考えて、それがバンドに関する仕事だったから、ライブハウスで働いているだけ。


 ただ、フリーターだからと周囲の人に何か言われたことがあるのかもしれない。

 フリーターを、あまり良く思わない人も多いだろう。

 だから話す声に緊張が混じったんじゃないだろうか。

 また何か言われるんじゃないかって。


 私の邪推は止まらない。


 一瞬、沈黙が漂って、微妙な空気になりそうになったが、冴が口を開いてそれを割った。


「それよりもこの曲、もうちょっとベースにうねりを出したいねんか」


「うねり?」


 ゆっこさんと首を傾げた。ベースの事はよく分からない。


「うねりっていうと語弊があるけど、何と言うか、渦みたいにしたい。聴いてるとのめりこまれるような、そんな深みに落とすベースにしたいねんな」


 どんなんだよ、とは突っ込まないでおく。

 多分冴には、独自の感性で私たちには見えていないものが見えているのだ。


「ただ、うちは当然難しいフレーズなんて弾きながら歌えへんし、もし歌を入れるんやったら、どうしようかなって考えててん。別にインストでも良いんやけど、どうせなら歌を入れたい。彩、歌う?」


「へぇあっ?」


 突然話を振られて声が裏返った。

 歌う? 私が?


「いやいやいや、無理だって」


 私は慌てて手を振って、冴が投げた提案を箒でくように否定する。

 ただ、実際問題、無理ではないと思う。

 遊びでドラムボーカルは何度かやったことがあるからだ。

 練習したらそれなりに演奏も出来るし、歌うことだって出来るだろう。


 でも、なんか違う気がする。

 そもそも、私はそんなに歌が上手くない。


「それならゆっこさんが適任でしょ……」


 言ってからハッとした。

 そっか。

 ゆっこさんはサポートなんだっけ。

 サポートに歌ってもらうバンドなんて聞いたことがない。


 ゆっこさんは仕事で追われているんだ。

 ギターフレーズも、歌も、作って欲しい。

 そんな都合のいいことを言って、無理させるわけにはいかない。


「やるのは別にかまわないよ。歌うのは好きだし、歌詞作るのも好きだから」


 しかし意外にも、ゆっこさんの返事は肯定的だった。

 ただ、何かを問うような、探るような目で、冴を見ている。


「冴さんはそれでいいの? 自分の曲なんでしょ」


「せや。やからあんたがええねん。歌のこと、ちゃんと考えてくれそうやなって思ったから」


「えぇ? 最初『彩どうや?』って言ったじゃん!」


「アホっ! あれはブラフや! いきなり木村さんに話振るのもどうかと思ったから」


「木村さんて」


 私とゆっこさんは笑った。

 冴は顔を真っ赤にしている。


「出会ってすぐに呼び捨てなんもどうかと思っただけや!」


「私は呼び捨てだったのに……」


 酷い扱いの差だ。


「そうだよ。せっかくだし、私も同じように呼んでよ。裕子って」


「じゃあ……裕ちゃん」


 顔を赤くしてそう呟く冴は妙に可愛くて、何だか私たちはニヤニヤしてしまった。

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