Stage03 抜けさせません!

01

「遅れてごめんっ」


 頓挫は最初のスタジオから現れた。

 ゆっこさんの遅刻である。

 もちろん寝坊などではない。ゆっこさんの仕事が長引いたのだ。


 接客業であるゆっこさんの仕事は、来客の応対やら店舗の混雑具合やらで、予定されていたシフトより超過する事も珍しくない。

 例えば十八時までと定められていたとしても、接客が長引いて夜二十三時まで残業する事もあるのだという。


 初回と言う事で練習時間は二時間。

 その一時間半後に、ゆっこさんは姿を現した。


 スマホを見ると二十分前にゆっこさんからメールが届いている。

 仕事中は携帯電話を持つことが許されず、遅れる旨の連絡もろくに出来ないらしい。


「難儀な職場やなぁ」


「でもお店の人がスマホいじってるのって確かにあんまり見ないかも」


「まぁ、店員でそれはないな」


「うう……、本当にごめん」


 しかられた子犬の様にシュンとうなだれるゆっこさんに、私は慌てて声を出す。


「ゆっこさんは何も悪くないじゃないですか。謝らないでくださいよ」


「せや。それでもええって言ったんはうちらやしな」


「……ありがとう」


 気を取り直して練習を再開する。

 冴の作ったベースラインにフレーズを形作って、曲の原型を完成させる作業。

 冴の作るベースに、私が細かい手数でフレーズを当てはめていく。

 通常のリズムはあまりよしとしないらしく、中々注文が多くて答えるのが大変だった。


「タメ気味後乗りのエイトビートで」


 などの具体的なのはまだ良かった。

 が、ジャンルで注文をつけられるとぱっと想像するのが大変だ。

「レゲエっぽいリズムとかどうやろ」とか「ジャズで」とか。


 冴は頭を捻りながらうんうん唸っている。

 どうもまだ曲の完成像が浮かんでいないらしく、既存のフレーズを色々いじっては試行錯誤してる状態だ。


「AメロとBメロは出来たな。後はサビか」


「これって歌はないの?」


「どうしようか迷ってんねん。歌をはめるにしても結構転調が多いからな。歌詞が入れにくいかも」


 ギターのセッティングをしているゆっこさんを横目に、冴は頭を悩ませる。

 私たちがさっきから作ってるのは楽器フレーズばかりで、そこに歌のメロディは入り込んでいない。


「歌なしでやるなら、ポストロックってやつになるのかな」


 ゆっこさんの質問に、冴は首を傾げた。


「どっちかと言うとマスロック寄りかな。手数多くて変拍子もあるし」


 ポス? マス?

 一体二人は何を話しているのだ。

 全然わからない。


 それとも、楽器をやっていてそれすら知らない自分に問題があるのか。

 でも、そう言う音楽のジャンル分けと言うか、線引きは正直よく分からない。

 マスやらポストやら、少なくとも私はそれが何なのかをあまり理解していない。

 二人の会話は私にとってちんぷんかんぷんだ。


 その時、ゆっこさんがギターのボリュームを上げた。

 狭いスタジオの一室に、残響音を深めにかけた音が、緩やかに響きわたる。


「マスロックもポストロックも昔よくコピーした記憶があるよ。さっきの曲、Aメロから合わせてみてもいいかな」


 じゃあ、と私がスティックでカウントを取り、全員同時に曲へ入る。

 ゆっこさんは静かに目を瞑って、ギターのフレーズを入れてきた。


 あ、何これ。ヤバイ。


 瞬間、自分の気持ちが浮遊するのを感じた。

 高揚、と言いかえたほうが正しいかも。


 ゆっこさんがギターを弾いた。

 憧れだった、大好きなゆっこさんがギターを。


 彼女は少しばかり心地よいコードを、投げるようにして放っただけだ。

 でもその一音が、彩りが、確かに私たちのやっているものを音楽にした。

 パズルのピースがぱちりとはまったみたい。


 今まで見ていた世界を、ガラリ変えてしまう、その一音。


 ゆっこさんがどんどん曲にギターで切れこみを入れてくる。

 シャッシャッと、見えなかった道が次々と切り開いていく気がする。


 冴の表情も明らかにさきほどまでとは変わっていた。

 何というか、目がキラキラしてる。

 行けるって顔。


 新しい道を見つけた子供みたいに、ワクワクがその表情からにじみ出ていた。


 曲が、どんどんになっていく。


 ある程度弾いたところでゆっこさんが手を上げた。


「ここまでかな」


「ゆっこさん、しゅごい……」


 一度しか聴いていないとは思えないような内容だった。


「自分、めっちゃ飲み込みはやいな」


「そんな事ないよ。でも、今のは適当だったから、ちゃんとフレーズを決めたいかな。最初のコードってEmだよね?」


「せやで。イントロのコード回しが──」


 話しているゆっこさんは、今までにないくらい活き活きして見えた。


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