05
増えた仕事に伴い、新チーフと一緒に時間を過ごすことが多くなった。
事務業と商談を同時に進行させるので、思うように業務に手がつかない。一応他の社員にある程度は割り振ってはくれているみたいだが、それも徐々に余裕がなくなり、いつもより多めに残業を行い、休日出勤もするハメになった。
土曜に来る会社は人の気配がまるでしない。
それでも我が企画営業部には人がいるようだ。誰だろうと思い顔を覗かせる。
「おはよう」
チーフかよ。私はため息が出るのをなんとか堪えた。
「豊崎さんが休日出勤するって聞いてね。なんか僕のせいな気がして、申し訳なくて来たんだよ」
気がして、ではなくまさしくあなたのせいですが。
そうは言わずに「どうも」とだけ返し、そのまま席につく。
広い営業部でチーフと雑務をこなすのは何と言うか居心地が悪かった。一人の方がマシだ。他の人の気配もしないし、何より沈黙が痛い。独り言を言いながら仕事したほうが幾分かマシなレベルだった。そもそも、チーフがいなければ音楽でも聴きながら仕事をするつもりだったのだ、私は。
黙々と仕事をこなしつづけて、やがて昼食時になる。
進捗は七割くらい。このまま続ければあと数時間で帰れるだろう。
チーフが立ち上がり、わざとらしい伸びをして、こちらに近付いてくる。
「そろそろ昼だな。豊崎さん、どう? 一緒に飯でも」
「持ってきてるんでお構いなく」
私は黎明堂の袋を取り出すとデスクに置いた。チーフは苦笑する。
「豊崎さん、ひょっとして僕の事嫌ってる?」
「さっさと仕事終わらせて帰りたいだけです」
「つれないな。僕はもうちょっと豊崎さんと仲良くなりたいと思ってるんだけど。パートナーなんだから」
パートナー、の言い方が何だか鼻につく。
「お気持ちだけで十分ですので」
「気持ちだけじゃないさ」
不意に肩をぐいとつかまれ、座っていた椅子が回転する。何事かと顔を向けたら、目の前にチーフの顔があった。
「初めて見たときから、気になっていた」
直感的に分かった。
やばいこいつ。キスする気だ。
なるものか。
気づいたら私の右手はチーフの頬をえぐっていた。
グーだった。
一秒前まで整っていた顔が、突如としてひょっとこみたいな顔に変形する。
そのまま振りぬくと、チーフは横のデスクに吹っ飛んで動かなくなった。
鈍い痛みとしびれが手を襲った。クリーンヒットというやつだろうか。
「チーフ? あの、大丈夫ですか?」
鼻から血を流している。
これは、事案か、事案になってしまったのか。
机に置かれていたシャーペンを鼻の穴に刺し込んでみる。シャーペンは血まみれになったが、後輩の高崎君のだから大丈夫だ。
シャーペンをチーフの鼻に出し入れしていると、フゴフゴと空気の漏れる音がした。どうやら生きてはいるらしい。
救急車を呼ぶべきか迷っていると、チーフが急に呻き声を上げたので私は飛び上がった。
よし。
無かったことにしよう。
私は自分の鞄を手に取ると、その場から素早く退散した。
カツカツと、足早に歩く音が廊下に鳴り響く。
何だかアドレナリンと焦りが同時に出ていて、考えがまとまらない。
どうしてこうなった私。
今日はいつもより少しだけ面倒くさい休日出勤で、帰ったら音楽聴きながら毒づいて、仕事は完璧に仕上げておいて、最高のつまみでグビグビとビール飲むんじゃなかったのか。
大丈夫だろうか。これから、どんな顔で会社に行けばいいのだ。
私は首を振って、不安を跳ね除けた。いや、きっと大丈夫。私の平穏な日常はこれからも続いていくに違いない。死んだ目で仕事して、お昼にサンライズ食べて、家で酒飲む自堕落な生活が。
よくよく考えなくても、無かったことになど出来るはずが無かった。
何故なら、次に出社した時、私の机はまっ更になっていたから。
作っていた書類、支給されたパソコン、引き継いだ仕事関係の物。
全部無くなっていた。
私の二年間は、たった一日で消えていた。
視線を感じ、恐る恐る辺りを見る。
探るようにこちらを見ていた部署の皆が、いっせいに顔を逸らした。
助けを求めて薫に話かける。彼女は強張った顔をしていた。
「薫、これは一体……?」
「し、知らないわよ。今日来たらチーフがあんたの机を片せって。仕方ないから、部署の皆で片付けたの。後でメール送ろうと思ってたんだけど」
マジかよ。私はチーフの方を見た。意地悪い笑みを浮かべている。頬にシップが貼られていた。
「どう言う事ですか、チーフ」
「どうもこうも、君はやるべき仕事をほったらかしたままだった。そんないい加減な人間に、仕事は任せられないと思ってね」
「はぁ?」
何言ってんだこいつは。
殴られた腹いせか? 腹いせなのか?
「当分はあそこのまっさらな机で座っていてもらうよ」
「それって、辞めろってことですか?」
「君がそうしたいならそうすればいい」
何だそれ。
出来る男だと聞いていたけど、女に振られて腹いせするくらい、みみっちくてちっちゃい奴じゃないか。
こんなんか。
こんなんに私の抑圧されてきた二年間が終わらされるのか。
「いや、転機かな、これが」
ポソリと呟いた私に眉をひそめるチーフ。
私は彼ににっこり笑いかけた。
辞めよう。
バンド、しよう。
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