第9話 雨は夜更け過ぎない

「伽耶ちゃんそれってそれって、クリスマスデートの誘いだどれー!」

(クリスマスの誘いじゃないですか、やだー)

 古い女子寮のただっ広い台所に村山弁が響く。


 そこは本郷六丁目、東大正門から本郷通りの横断歩道を渡り歩いてすぐの、古い住宅地の古民家である。

「はいからさんが通る」に出てきそうな日本家屋に、とって付けたようなアパート上の長屋を増築したそれが、私の住む女子学生寮だった。

 県の外郭団体が経営し、格安で都心部に住むことが出来るのはいいのだが、何しろ関東大震災直後に建てられた日本家屋、防音設備もなく、後付けの新棟以外は隣の部屋との仕切りが障子にふすま。

 女子三人が布団を敷いて寝泊まりするので深夜の個人の勉強もできないという建物である。

 そこに私は4年間住んでいた。朝ごはんと夜ご飯は寮母さんが作ってくれるが日曜日は食事がないので、朽ちた物干し台にブチトマトや小葱を植え、押し入れでもやしとカイワレ大根を育てながらの狭い生活だ。


 歓声を上げたのは大学は違うが同じ3年生の「さとちゃん」

 私とひときわ狭い(故に二人しか入れない) 、もとは賄い婦用の部屋だったという四畳半に二段ベッドで過ごした相方だ。共にもやしを育て、週末に料理を作り合う戦友でもある。

 ちなみにサトちゃんは同じ高田馬場大学生の彼氏持ちだ。県都山形市の出身なので『村山弁』話者である。広く、山々で細かく区切られた山形県は地方ごとに同じ県かと疑う程に方言が違う。


「んだなよー。これってデートだよな。いわゆる世間のデートでいいんだよなあ」


 私も米沢弁で答える。旧最上家と上杉家の対峙である。


「立派なデートだ。すげえな伽耶ちゃん、ポテチ食ってる場合でないどれー、お肌のお手入れすろずー」

(ポテチ食ってる場合じゃないでしょ、お肌の手入れしろってばー)


 最もデートと縁遠いオタク女が、女子寮の食堂で電話番をしながら「北斗の拳」を観ながらデートの話を振ってきたのだ。同じく男なし女子大生たちは色めき立った。

 まさに「ユーアーショック!」である。

 写真見せろ見せろと言うので、ニコタマの土手で撮影記念の集合写真を見せた。


「ほい」

「で、どの人やーそのつねちゃんって」

「このひとが?」


 残念、それは仮面をとった戦闘員の後輩だ。旦那と一緒にひょーっほほほと踊って土手を転がっていた男だ。


「んじゃこの人だべ」

「ちがーう」


 それは主人公の仮面ライタースーパーカブ役の後輩君だ。後輩といっても5歳年上だが。

「わかったこの人だ」

「あたりー」

「この中で一番まともだどれー」


 ひどい。だがその通りだ。戦闘員スーツや女装ピンクドレスの中で、つねちゃんだけは普通の上着とジーパン姿だ。

 ちなみに中華街のお面をつけて全身電飾スーツの旦那はかすりもされなかった。


 それから二度ほど電話で話し、約束のクリスマスの日、私は日比谷のシャンテ前広場に立っていた。

 白いニットのワンピースにブーツ、臙脂のダッフルコートと紅白の目出度い格好は、上野のABABで格安に買ったものだ。髪も念入りにブロウして、常日頃しないメイクもした。貧乏女子大生にとっては精一杯お洒落だった。

 プレゼントも買った。

 軍ものが好きな(この辺は旦那と共通だ)つねちゃんが気にいるであろう、上野の有名ミリタリーショップで、野戦用のポーチに入った金属製のマグカップ。

 素っ気ない、殺風景この上ない真鍮色の佇まいが、日頃から冷静で、ルックスは違うが戦隊もののブルーか二号ライダーのように感情をあまり表に出さないつねさんにぴったりだと思ったのだ。

 プレゼントを選んでいる間はワクワクしていた。酔っていた。つねさんの事を思ってと言うよりも、

「合コンではなく一対一の、男の子へのプレゼントを選んでいる自分」

 しかも

「そこらのバラエティーショップやメンズショップのいかにもプレゼント、ではないものを選んでいる、物の分かった女」

 の自分に酔っていたのだ。

 恥ずかしい。穴があったら入りたい。なければ穴を掘ってでも入りたい。まずは君が落ち着け、と全力でペットボトルの水を頭から浴びせてやりたい。でも、少しは思う。

 健気だったね、若かったね自分。


 世は女子大生ブームとやらで、オールナイトフジや夕焼けにゃんにゃんが人気で、とんねるずとほいちょいプロダクションが跋扈していた時代である。

 バブルというのだろうか。学生や新人社員もユンケルを飲みながらバリバリと労働し、その労働が給料に反映し、海外旅行に、スキーに海にと日本中がせわしなくエネルギッシュに動いていた、そんな時代だった。


「おこんばんは」


 日比谷周辺に沢山ある地下鉄の出口の、どこから上がってきたのだろうか。

 日比谷シャンテ広場で立ちん坊で待つ私の前に、小走りにつねちゃんが現われた。

 いつものようにベルギー陸軍のカーキ色の外套に、デイパック、ウエストポーチ。

 完全に大学に来るのと同じ格好だ。

 これで、映画の後に改まった所に食べに行くという選択肢はないのだと分かった。


「こんばんは」

「今日は改まってるね」

「都心部に出るんだからね」


 そんなもんなの、というつねさんの返事には、今日がクリスマスだという認識が意図的に消されていた。

 だから私も


「だってせっかくのクリスマスの夜に逢ってるんじゃないの」


 とは言わなかった。この時点で気付け、31年前の私よ。


「で、映画は何見るの?」

「火の鳥鳳凰編」

「お、おう…」

「時空の旅人との二本立てだよ」


 実に、実にマニアックだ。そして聖夜感の微塵もない。

 業を背負い人を殺してしまった仏師我王と、彼にけがを負わされながらも権力の庇護を得て、真摯な若者から堕落した仏師になっていく茜丸を描いた、手塚治虫の名作のアニメ化。

 併映は眉村卓のジュブナイルSFの名作。


 しかし、12月24日にこれを選ぶか?


 だがK大特撮研にふさわしいラインナップと納得した私たちは、カップルが絶対に向かわない上映フロアに入って行った。


 あれ、そのころ旦那は何やってたのかな?


(超絶嫌な予感満載で続くっ)

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