19話・卒業・就職・いずれもイライラ

「青ちゃん、あんた漫画家やってるんだって?」

「はい。どマイナーな特殊性癖雑誌ですけど」

「こいつもう連載もってるんですよ」


 何度か目の『追いコン』という名の飲み会の席で、私は特撮研始まって以来のディープ勢と言われる後輩に近づいた。

 小さく小太り坊っちゃん刈りの眼鏡、腹がパンパンなチェックのシャツにだぼだぼの激安ジーパンというある種制服のようないでたちで群れる二つ下の後輩男子たち。

 彼らは揃って、SМ、幼女といった、今だったら捕まるようなグロテスクで過激な漫画を描き、書籍化していた。

 アニメ・特撮研と言えどもそっち方面のメンバーは彼らが初めてだったので、入部当初の自己紹介でのインパクトが強く、よく覚えていた。

 ただし、一人一人はとても温厚で常識ある若者達だった。


「んじゃ資料にちょうどいいじゃん。これ全部あげるわ」


 私は居酒屋個室(隔離スペースともいう)の後ろに置いたバッグから、デパートの紙バッグをとり出した。


「なんすかそれ。少女マンガかファッション誌ですか?」


 男性にとって女性のファッションを書くのは超苦手らしい。そしてその資料である女性誌を購入するのも高いハードルだ。


「違います。もっと希少な物」


 紙バッグから空いた座布団の上に取り出したものは、エログロ写真雑誌だった。

 エログロとはあんまりな言い方か。

「夜想」というアングラ・お耽美系雑誌である。

 主に海外のアングラ演劇、お耽美美術、幻想文学やミステリーなどを紹介する、ペヨトル工房という出版社から出ていた雑誌だが、私は卒論(『寺山修司の演劇幻想と死生観』の資料として、その中でも「畸形」「屍体」「少女」の特集三冊を、耽美専門古書店の、神保町中野商店で買っていた。

 それらは寺山作品のみならず、彼の美的先達や同輩である澁澤龍彦、種村季弘、中井英夫と言った面々の研究にも役立った。

 だが卒論の資料として使い終えると、それは一人暮らしのアパートに持っていくには大層おっかない「地雷」と化してしまった。

 頭がザクロのように割れた紛争地域の爆殺遺体、映画「フリークス」も顔負けの、19世紀から20世紀初頭にかけての畸形の人たち、そしてカメラの向こうから不本意そうに睨みつけてくる大人に装飾されたいたいけな少女たちの姿。

 そうした刺激的なグラビアの数々は、寄贈して行こうとした女子寮の図書ゾーンの担当学生から激しく拒否された。


「呪われそうだから、南先輩絶対に置いていかないでくださいって偉い剣幕で怒られちゃって」

「当たり前ですよ、こんなの…うわきっつい。ヘビーすぎますって」


 ページをめくりながら思わず顔をそむける後輩たちに、私は猛プッシュした。


「だからあんたらが書いてるグロマンガの資料にあげるって。なかなか希少だよ」

「そりゃ分かってますけど…うお、グロすぎますっ。俺らのはソフトグロなんですから」

「そんな風には絶対見えない。血まみれ人体切り刻みマンガじゃん」


 一番が力があって連載を持っている「あおちゃん」は、嫌な予感に震えている。


「青ちゃん、あんたまとめて持ってって」

「勘弁してくださいよ。呪われたらどうするんですか」

「あんた神道学科なんだから自分で御祓いすればいいし」


 いいぞ私。いい感じの先輩風だ。もう少しのプッシュで押し付けられる。


「そうだよ青木。せっかく南先輩が希少なものをくれるっていうんだぞ」

「そんなに言うならお前がもらえよ!」

「俺ジャンルが違うもん」


 グロマンガ集団も仲間割れし、私の『夜想』軍団は無時青ちゃんちにもらわれていくことになった。

 セーラー服の美少女が血まみれで吊るされいたぶられているマンガが得意だった、優しい青ちゃんは、今はどうしているだろうか。


「そういえば〇〇先輩、南先輩と一緒にアパート選びしたんですって?」


 地雷を仲間に全部引き取ってもらえて(ナイス押しつけできて)安心したのか、後輩のガッキーが旦那に話を振った。


「何で知ってるの!?」

「はい。あたしです。後輩女子と電話しましたー」

「そうなんだ、ならいいか。ああ行ったよ。南さんが不動産回るの初めてで、チェックポイントも何もわからないから一緒に来てって、頼むからさあ」


 途端に後輩男子・女子から一斉にブーブーきた。


「何て事したんですか南先輩っ」

「初めての1人暮らしなんでしょ。〇〇先輩に住所や間取りまで知られちゃってるってことですよっ」

「今すぐ別の物件に」

「お前ら人を何だと思っているのかね?」


 旦那は怒った真似をしている。本気ではない。からかわれても笑って茶化すことが出来る人なのだ。

 偉いなあ、と私は思った。

 退寮の日付が迫り、新居の契約も始っている春の日、両親が上京してきた。

 父は東京見物&買い物。母はプラス娘の引っ越しを手伝うためである。

 ビジネスホテルに泊まっていた父がさんざん遊んで帰ると、母は埼玉に電車で移動し、引っ越し業者が寮から運んだ私の荷物を受け取り、あらかじめ紙に書いて渡してあった場所に置いてもらった。

 こういう時、父は腰が悪いので無理はさせられない。その代わり、母はこの頃は無尽蔵の体力の持ち主だった。

 荷物と言っても寮の狭い部屋での生活だったので、押入れケースが二個と、ハンガーを書けるビニールロッカー。主な物はそれだけだ。

 本を詰め込んだ段ボールは部屋の隅に重ねておいてもらった。

 そして私は荷物を送りだすと、急ぎ電車で上福岡に行き、母と合流した。


「本当にお前、本しか持ってねえな」


 母は呆れていた。何しろ狭い部屋に二人暮らしだったため、季節外れの衣類は実家にその都度送り返してはいたが、それにしても衣類が少ないと、若い娘の引っ越しとは思えないと呆れられた。


「まあ伽耶子らしいっていったらそうだけど。お前昔から本ばかり買ってたから」


 実は直前になって、旦那から電話を貰っていた。

 特撮研の後輩経由で、基礎の日が私の引っ越しだと知ったらしく、手伝おうかと申し出てきたのだ。

 だが私は断った。

 事前情報なしで母とご対面、になることは避けたかったのだが、旦那の純粋な親切心を断るということには、心痛んだ。

 だがお断りしてよかったと、上福岡の新居で母と合流して思った。

 疲れているはずなのに引っ越し灰になった私と母の二人は、合流して一息つくと、ご近所探索がてら近くの大型スーパーに生活用品を買いに行った。

 家電も安売りしていたので、わざわざ池袋まで出なくても、とここであらかた買い、配送の手続をしてイートインのソフトクリームで一息ついた時。


「そういえば、不動産めぐりを手伝ってくれた子から電話があったよ」

「ああ、大学の同級の、面白い男の子だっけ?」


 私は特撮・アニメ研の事は両親には言わないでいたが、娘の嗜好は小さいころから知っている親は、お察しだったと思う。


「うん。部屋の間取りやスイッチや電源の位置まで丁寧に見てくれた。変ってるけどいい人」

「おまえ、そんがなのんびりとしたこと言っていいなか?」

「は?」

「家さ寄せて、何もかも室内の事知られったって、それものすごくおっかない事でないなか」

「え、全然。そんな怖い人じゃないし」

「いいけど、お前はずっと寮さ居て男っ気ないからしゃねべげんど、一人でいた時、絶対に男の人どご部屋さ上げんなよ。お前はゴリラなみだべげんど、男の人の力には絶対敵わないがら」

「はあ…」



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