18話・アジトはさいたまさいたまー
新卒の私の就職先は板橋区の大山という街を最寄り駅とする、古い印刷会社である。
駅を出ると東武東上線と交差するように商店街が続き、それが切れる頃に大きな病院がある。
そこに行きあたる直前にうねうねとした坂を曲がりながら降りると、古い印刷工場と製版所のくっついた建物。それが主に児童書を印刷する就職先の会社だった。
私は上京以来4年間ずっと文京区本郷の県人寮に居たから、不動産など見たこともなかった。
だが寮生の中には、2年生まで他の離れた地域のキャンバスで基礎課程を学び、3・4年で改めて東京の本校舎で学ぶという、二重に生活費のかかる大学の学生もいて、その子たちに少しノウハウを教えてもらった。
そして、旦那と待ち合わせて池袋のアパート・マンション紹介所へ向かった。
個人のインターネット生活などなかった時代だから、学生は学生課に貼り出された情報をチェックするが、そこに貼られているのは大抵学生向けの物件である。
となると、窓口になるのは不動産屋しかない。
今もそうかもしれないが、当時大きなターミナル駅の近くには大抵不動産情報を集めたアンテナショップがあり、インターネットの業務用端末がおかれ、希望の沿線、駅、地域、予算や間取り、環境などの条件を入力して結果をプリントアウトし、自分で情報提供した沿線の不動産屋を回るのだ。
私と旦那は東上線沿線の条件を入力し、結果を見て行った。
当時東上線沿線は、西武線沿線に比べて地価も安く、お値ごろな物件は多かったが、池袋に近い地域はやはり高いし、安いところは風俗街やラブホテル街に近かったり、暴力事件が頻発したりと治安に問題があった。
当時はバブルの最中で、日本に出稼ぎ目当てに不法入国し、そのまま居ついて風俗業に従事する外国人も多かった。
彼らが全員自分の意思で来たわけではなく、工場勤務や専門校への入学斡旋等、現地での業者の口車に乗せられ来日し、仕方なく風俗業で苦しみながら生活する人たちも多かったと思う。
外国人同士、日本人の暴力団絡みの殺傷が絡む事件も多かった。
そういう事件の少ない、昔ながらの住宅街が広がる駅もあったが、会社から遠くなるか、急行が止まらない。
私たちは条件を入力して、画面に表示されるアパート情報を見ては、ああでもないこうでもないと面を突き合わせて悩んでいた。
生まれてこの方ずっと実家暮らしの旦那だったが、この辺の治安はどうこう、この駅の南口方面は痴漢が多発していると聞いたよ、だから安いんだよ、等と言う、何処かで聴いた噂レベルではあったが、色々助言してくれた。
その手の情報にとんと疎い私には、それは大層有り難く、頼もしく見えた。
特撮ドラマでいうなら、ストップモーションになって髪の毛が風になびき、爽やかな笑みとBGMが流れる、あれである。
だが旦那はあくまでもゴミ袋を被った怪人キャラであり、怪傑のーてんきシンパである。
「じゃ気になったの観て行こうか」
プリントアウトした地図付き間取り図を片手に、我々は物件の現地見学に向かった。
最初に連絡先として書いてある不動産屋に電話をし、訪問する。
物件まで車で案内してくれるところもあれば、かぎを渡されて自分達で行って見学してきてくれ、の店もある。
それは様々だったが、初めに目星をつけた豊島区、板橋区の物件にピンとくるものはなかった。
お値段が安いものは日当たりが悪く、玄関の位置も悪く、ポストも郵便物が外から抜かれやすい造りだったり、外部から侵入されやすい所に窓があったり、施錠が完全でなかったり。
駅から人通りのない裏道を延々歩いていくところだったり。
「正直、若い新卒のお嬢さんの1人暮らし向けではないですよ」
「私の娘だったら、あと1万円上積みしても、もっといいところ探させますよ」
そう言われるような立地の所ばかりだった。
次の駅はもう埼玉県、という成増まできて、疲れた私たちはファーストフードで腹ごしらえをした。
「もう埼玉に突入しちゃおうか」
「それもいいかもね。埼玉に入ると多分ぐっと安くなるよ。それに急行が止まる駅なら通勤時間にあまり関係ないかもしれないし」
大山は急行が止まらない小さな駅だったが、成増で各駅停車に乗り換えるなら、あまり変わらないか。
私たちは慌ただしくロッテリアのエビカツバーガーをサイダーで流し込むと、お隣の和光市駅(埼玉県和光市)のアパマンショップに向かった。
この辺でいい加減ぐったり疲れていたが、旦那は実に根気良く、愚痴ひとつ言わず一緒に回ってくれた。
交通費を払って、わざわざ疲れにきてくれるのもたいがいだが、親身になって間取りや駅までの経路をチェックし、つぶさに検討してメモしてくれる。
大変優秀な調査員だった。
次の和光市のショップで、ようやくこれはと言う物件に出会った。
上福岡の駅から6分ほど。スーパーマーケットやコンビニのある静かな住宅街の真ん中の、まだ新しい明るいアパートの二階。
日当りも、経路の安全性も問題ない。鍵も扉と全部の窓が二重鍵でしっかりしているし、大家さんの家(大きな昔からの電気屋さんだった) も近い。
駅前と住宅街に二か所も夜遅くまでやっているスーパー、商店街、銀行に郵便局と固まっているし、駅前にたむろする不審な人間たちもいない。
赤ちゃん連れの若い夫婦の姿も目立つし、小学生も多い。
部屋の中を見せてもらうと、ベランダは侵入しにくいように作られているし、物干しもしっかりついている。
隣の部屋との壁も、床も厚く、防音もしっかりしている。
ガス台も新しいものだし、換気扇や水回りも問題ない。
旦那が部屋中のコンセントの位置を確認して回ったが、実に使いやすい位置に配置してあった。
「いいじゃない?」
「いんじゃない?ここ」
大家さんのお宅を訪ねて色々お話を聴いたが、とても親切なシッカリした老夫婦で、山形から来て初めての1人暮らしだと言うと、反対に大いに励まされ、庭でとれたという柿をたくさんくれた。
「彼氏が一緒に探してくれたの?」
「いえ、従兄です」
打ち合わせ通り、笑顔でぴしっと反論する旦那は、そろそろ疲労もピークだ。
はいお疲れさまでしたー。
大家さんに、両親と相談の上契約しますと、とりあえず仮押さえをしてもらい、不動産屋に報告をして、二人は東京都内に帰った。
「ありがとう。おかげで助かった。疲れたでしょ」
「うん。めっちゃ疲れた。俺は自宅でよかったわ。一人暮らしの人たちってみんなこんなに大変な事して部屋を確保するんだなあ」
結婚後も私のアパートに一緒に来る形で一緒に住むことになる旦那は、しみじみと呟いた。
「家電買ったり、引っ越ししたりするとき、もしこれに懲りなかったらまた手伝ってくれる? 」
私も相当に厚かましいたまである。
なにせ、この時点で旦那に対する想いも何もなかったのだ。あるのは特撮オタクの同士感情だけである。
だが、その仲間意識が下手な恋愛よりずっと強く、信じられる場合もあるのだ。
「うん。いいよ。都合がつくようだったら手伝うからいつでも言って」
疲れているのに笑顔で返す旦那も、この時は恋愛感情ナッシング。頼られたから答えるだけ、という善意100%だったらしい。
そう結婚後に聞いた。
ともあれ、これ以降私は旦那に気軽に電話するようになった。
それは卒寮し、埼玉に一人暮らしを始めても変わらなかった。
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