17話「一緒にアジトを見に行こう」
就職活動もひと段落し、卒論も提出してしまうと、卒業の季節はあっという間に近づく。
そのころになると大学にも滅多に顔を出さないし、アニメ・特撮研の部室に行くことも減る。
来年度の新入生獲得のために新作アニメやイラスト集、冊子を作る後輩たちは忙しいし、送り出されるこちらも引っ越しの準備や卒業式の衣装の手配、果ては就職先までの交通の便がいい街への引っ越しなど、いろいろと気ぜわしくなるし、来るべき大出費に備えてアルバイトに余念がない。
部員達の中でも引っ越す必要がないのは自宅から通っていた旦那他少数で、他は地元企業に就職組や公務員組も含め、卒業と共にお引越しなのである。
私は大学の四年間を女子寮で過ごしたので、やはり卒業とともに退寮、一人暮らしの必要があった。
私が4年間お世話になった所は、県の外郭団体経営の「山形県育英会女子寮」と言う。
県の育英会自体は今も健在で、都内二か所に男女の寮を運営し、上京組にとって大変安心して暮らせる環境を整えて下さっている。
古い歴史のある県人寮で、元々は明治17年、篤志家が運営を始めた上京子弟のための「荘内同郷会」を礎としている。
私たちの居たころは、同じ文京区の小石川に男子寮、本郷に女子寮があった。
だから東大のある風景と言うのは私にとって大層郷愁を誘うものである。
ついでに言うと、△の特撮関係を仕切る白倉取締役は同い年なので、同じ本郷キャンパスの風景を見ていたことになる。
東大正門前の横断歩道を渡り、フルーツパーラー万定の脇に伸びる路地と言うより太い道を歩くと、突き当りは右に古びた木造の建物の八百屋。野菜や果物はざるに入れて一山いくらで売っている。
ここのおじちゃんにはよくおまけしてもらった。
ミカンやリンゴを一山買うと、「どうせ余るから」ともう一山、どさどさっと袋に入れてくれたりもした。
思えば結構豪快な、悪く言えばガバガバな商いをされていた。
左はカヤシマと言うベーカリー。こちらも昔ながらの対面販売の「パン屋」だ。
こじゃれたペストリーやケーキのような手の混んだ菓子パンとは程遠い、シンプルな角型の大きな食パン、上面がこんもり山になったイギリス食パン、長いフランスパン、コッペ型のぶどうパン、ピーナツパン、自家製カスタードのクリームパンにアンパン。総菜パンはメンチにコロッケ、焼きそばにウインナー。
その並んだ二軒を左に見ながら、二股に分かれた道を右に行くと、八百屋の後ろの路地に面して、関東大震災を生き残った石塀と古い日本家屋が現われる。
それが山形県育英会女子寮だ。
世の男性諸氏の「女子寮」に抱く幻想には申し訳ないが、4畳半か6畳の部屋で、パン屋で買ったあんパンと牛乳をむさぼるか、八百屋でおまけしてもらった蜜柑を口に放り入れるかの集団である。
そうしたグデーっとした生活態度の、膝の抜けたよれよれのジャージや首の広がったTシャツ、不摂生で荒れた肌のすっぴん、寒くなれば綿入れのどてら。
そんな姿の娘達が、最大27人も入居していた。
石造りの門は真正面に大きな両開きの門扉があり、内側から古びた大きな閂で閉められており、私が在寮中は一度も開いた姿を見たことがなかった。
脇門は朝6時から夜の門限である10時まで鍵が開いており、寮生や関係者、宅配業者はこちらから出入りしていたが、魚屋や肉屋、八百屋は、寮母の買い付けたもののお届けの際、寮生の使わない小さな勝手口に通じる木戸を開けて搬入していた。
一日二食付き、大風呂で集団入浴、門限や夕飯の時間帯のテレビ番組もあらかじめ決められ、何より狭いしプライバシーなどほとんどない。
そんな寮生活だったが案外楽しく、門限破りの常習犯の少女のために寮母と茶飲みしながら引き止めたり、その間に石塀に張り巡らされた鉄条網に毛布を掛けて、塀を乗り越えて帰る寮生の援護をしたり、ダミーの靴とスリッパを並べて、寮に居るようにカモフラージュしたり。
そんなバカみたいな事をしながら、ノントラブルとは言わないまでも、それなりに楽しく大学&寮生活を送っていた私たち。
だが大学卒業となるとそこを出て一人暮らしを始めなくてはならない。
不動産屋を巡っての交渉・契約を想像するだに私の心は萎えた。
当時、整備新幹線と在来線で3時間以上かかる山形から、両親を呼び出しお付き合いしてもらうわけにはいかない。
最終的な不動産契約時は流石につきあってもらいたいので、それまでの勤務先のある路線、沿線の物件探しや不動屋産周りには一人で行かなくてはならない。
私は四年制だったので卒寮する頃には友人がたくさんできたが、やはりアパート探しの際は第三者の冷静な目がほしい。
しかもできれば異性の目が(ストーキングという単語が生まれるずっと前だったが、不審者や変態侵入によるトラブルは本郷でも多発していたので、異性の、悪い言い方だが『加害者になる可能性の高い』男性の目で物件チェックをしてもらいたかった。
大学の同級生にも異性の友人はいたが、皆引っ越し準備や色んな手続き、就業前セミナーなどで忙しい。
誰か暇そうな人間は……と思いめぐらせるうちに、ふと、脳裏に旦那の顔が浮かんだ。
ああ、あの人がいたよ。彼は暇そうだしフットワークも軽そうだし、家の事とかちゃんとそれなりにしていそうだから適任じゃないか。
しかも、たぶん、私に悪感情は抱いていないし、お願いしたことで変な誤解をする心配もなさそうだ。
私は寮生27人に対して一台の、貴重な100円電話に向かった。
幸い電話の順番待ちの寮生はいない。
思い立ったら吉日とばかりに、すぐに旦那に電話をした。
3回目のコールで、初老の上品なご婦人が電話をとられた。多分彼のお母様だ。
「夜分恐れ入ります。南と申しますが、〇〇さんは御在宅でしょうか」
「はい。部屋に居ります。少々お待ち遊ばして」
上京四年、遊ばせ言葉を使う奥様という人種を初めて知った。
そして電話を替わった旦那は
「いーよー。お手伝いするよ。何日にどこに行けばいいの?」
と、いともお気軽に引き受けてくれた。
一方、不動産屋巡りの約束をしてご機嫌で電話を切った旦那に、母親は何の用事だったのか尋ねたという。
「アパート探しのお手伝いだって。第三者の目が必用だし、俺みたいな男が付いてた方が、舐められないで済むからだろうね」
と答えたらしい。
夕飯中の食卓でも、女っ気のないオタク街道驀進中の息子に女の子から電話がかかって来たと、大変盛り上がっていたという。
ただ一人、旦那の祖母の、一家の女主人・おのり様以外は。
おのり様はごちそうさまと食卓を離れ、定位置であるテレビの前の火箱の傍に座ってキセルをポーンと打ちながら言い放った。
「余程あんたが暇そうに思われたんだよ。すっとこどっこいにテレビ見てるし、ご機嫌さんだし。安全な人畜無害男だと思われてるだけさね」
図星である。100点満点の洞察力だ。電話の会話だけで悟られてしまった。おのり様恐るべしである。
ただし、こう言われていたと知ったのは、結婚して余程経った後だった。
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