20話・挿し絵と製版と社員さん


 母は明らかに旦那の存在を警戒していた。

 偶々東京の私大に出したけど、就職先がないから東京での就職も目をつぶったが、本当は手元に置きたかった両親である。

 二人とも、何年か東京で働いて、気が住んだ娘を田舎に呼び寄せて、自転車で通える、いつでも立ち寄れる町中にお嫁に行かせるつもりだった。

 だから手元から離れた娘の身辺には、より一層敏感で、警戒していたのだと思う。

 だが、娘の私は


「おかーさんは刑事ドラマやサスペンスドラマの観過ぎ」


 と笑い飛ばしていた。

 実に残念な娘である。男女の機微はおろか、親の心までも推し量れない。とんだ鈍感野郎であった。 


1988年(昭和63年)4月。

 私はがちがちに緊張したまま、板橋の児童書印刷会社の新入社員になった。

 会議室での入社式、全部署を回っての挨拶、オリエンテーションなどがあった初日はスーツだったが、希望通り製版現場に配属された次の日からすぐ、会社での姿は作業服になった。

 規律は緩かったしロッカールームなどなかったので、おじちゃんおばちゃんの社員さん達はみな自宅から作業着で通勤していた。

 私も私服の下に作業ズボン、会社に着いたらジャケットを脱いで作業上着に着替えるというペースになった。

 それに加えて作業用手袋とエプロンが支給された全て。作業中の靴は滑り難いゴム底のスニーカーなら何でもよかったし、髪の毛は縛る。それくらいだ。

 化粧にも服飾にも興味のない私には、全く天国のようだった。


 割り当てられた仕事は一色製販。簡単に言えば挿し絵のセッティングである。

 当時書籍の印刷では文字が主体の本文の大半、白黒のページと、カバーや表紙など色者の印刷と製版は別の会社だった。

 三大手と言われる大日本、凸版、共同や準大手は別だが、私の就職した会社に回って来るのは白黒の本文の製版と印刷だ。

 まず指定の体裁で、写植(電算写植と言った)の文章を打たれた版下というものを作る。

 それを製版カメラで面付けという作業をし、ページのセッティングをしながら大きなフィルムを作る。

四面付け、八面付け、16面付け、色んな面付けがあったが児童書は変型の製本サイズが多かったので、四六判、菊判、その他特殊な大きさ・形もあった。

 その大きな一枚のフィルムから二つ折り、四つ折りと織り本を作り、ページをカットして「一折、二折…」と閉じていくのが製本である。

 試しに一枚の紙を半分に折り、それをまた半分、さらに半分と合計3回折って、長い辺の折山を右側にして、ページの端をめくりながら1、2とページ数を振ってほしい。

これをノンブルという。

最後の数は16。そこまでいったら広げると、1から始まる8ページの面と、2から始まる同様の面が出来ている。

これが「1折表」「1折裏」となる。

実際の面付け指定もこうして作り、それぞれのページ情報を書き込まれて、詳しい指定書と共に現場に回っていたと思う。


 話は脱線してしまったが、その面付けまでは自動製版カメラで出来る。だが問題は挿し絵である。

 文字主体の児童書であっても、子供が飽きないように、それぞれの月齢の集中が続く限度に応じて、大小の挿絵が入っている。

 時には見開きページがドーンとまるまる画だったりする。子供が集中力を持続できる時間は短い。いかに注意力を引きつけながら、物語世界に居続けさせるかのテクニックだ。

 私と大卒女子の先輩社員が担当したのはその挿し絵の撮影とセッティング。

 従来は暗室作業で一枚一枚撮影する製版カメラが使われていたし、当時もまだまだ現役だったが、新型のドイツ製の機械を入れたからそれを私に使わせよう、と社長が力押しした無茶な人員配置だったらしい。

 当時の社長(二代目)が新しいもの好きで、おまけに「これは日本唯一の」「日本で最初の」「テストケースとして使って頂けたら割引きで」という言葉に大層弱い人物だった。

 「あほなトップ」の愚痴は、食堂でお昼を食べている最中、超ベテランの社員さん達に何度も聞かされた。


「だから新型スキャナーに大卒の女の子を入れたんだよ。対外的に見栄えがいいじゃん、わが社は従来のむさくるしい男のものとされてきた現場にも女性の活躍を応援していますって」


 いきなりおのれの立場に戸惑う発言をテーブルのあちこちから聞かされたが、それらは私と先輩女性社員を苦々しく思っての事ではなかった。

 社長の気まぐれで印刷・製版の教育もそこそこに配置された私たちを、ベテラン社員さん達は同情的な目で見ていた。


 受け持たされたモノクロ製版のフラットベッドスキャナーという、ドイツのメーカー製の機械は場所をとり、原稿の下準備の手間も時間もかかり、メンテも大変な代物だった。

 その割合に品質的には不安定で、これくらいなら従来の製版カメラでも十分と言った画質でしかなかった。

 よく故障したし、電力も暗室も現像機も必要で、維持費、人件費を考えたら導入のメリットなどないのだ。

 将来システム化が進んだら全部オンラインでつなぐ構想があるから、と上司は言っていたが、ついにそんな日は来なかった。

 あまりに使えないのでメーカーが引き揚げてしまったからだ。だがその時点で私はそうなる事を知らない。

 体が弱く、他部署の社員との不倫疑惑もあった先輩女性は私が仕事に慣れる前に辞めてしまい、私は分厚いあまり役に立たないマニュアル一冊と共に残されてしまった。

 英語とドイツ語で書かれたそれは、日本語は申し訳程度。まるで役に立たなかった。

 あとは自分の勘と、原稿準備や出来たフィルムにかける手間を惜しまないまめさだけで生き残っていかなくてはならない。

 幸い定年をとっくに過ぎているようなおじいちゃん、おばあちゃんの社員さんは可愛がってくれ、鼻で笑われそうな超基本的な問題が生じた時も、相談すればきちんと根気よく教えてくれたし、会社内で上手に歩いていけるように色々世話を焼いてくれた。

 現社長に邪魔扱いされ時代遅れ呼ばわりされても、肩をすくめて呆れる素振りだけ。

 地道に真面目に技術を支えている彼らは、先代の社長以来の社員だった。

 集団就職で会社にお世話になり、活版印刷の植字工から会社を興した前社長の優しさと面倒見の良さに、そのまま長く務めている人達だ。

 たまに著者の要望で活版印刷指定の文字原稿が入ってくることがあったが、おじちゃんとおばちゃん達は工場の隅に追いやられた活字を驚くべき速さで拾い、セッティングしながらページを組み立てていく。

 あんた一人暮らしなんでしょ、とお昼におかずをくれたり、原稿の触れ方、しまい方を一から教えてくれたり、ともかく色んな仕事のイロハを教えてくれた。

 私は彼らご年配の社員さん達が大好きで、状況が厳しくても、無骨にフォローしてくれるその方々のおかげで仕事が好きになった。

 反対に苦手なのは、最初から敵意をむき出しにしてきた、もと暴走族と称する、関連部署の2年目社員だった。

 最初に挨拶に行ったときから顔をしかめられ、関係する仕事の話をしに行ったら無視して結局失敗して上司に怒られる、いじめっ子の小学生男子のような幼稚な男性だった。

 社内の様子を観察すると、彼は私以外の高卒や短卒の新入社員には優しく自分から声をかけ、彼のグループを作っていた。残念なことにその中に私は含まれなかった。既に辞めた先輩大卒女子社員も悪し様に貶されていたから、その人となりではなく、最終学歴自体に過剰に反応していたのかもしれない。


 私は徐々に仕事も覚え、小学校の図書館で何度も借りた愛読書の再販に接して喜んだり、子供のころ観て胸を躍らせた挿し絵の、古い生原稿に触れて感動したり、それなりになじんできた。

 営業さんから顔を憶えられ、たまに見本本をもらったり、薄給なのでいつも節約していたが、たまに近所の弁当屋から割引きでお昼をとって、いからいいからと爺ちゃんたちにおごってもらったり。

 他にも二人、ガンダムや漫画の話で意気投合した刷版と校正の若い社員さんが私の見方になってくれ、爺ちゃん婆ちゃん社員と彼らのおかげで私は仕事中も昼休みも孤立せずにすんでいた。

 T口君とS藤君という彼ら2人とは、帰りが同じ時間になった時など本屋やアニメショップに寄ったりした。

 お昼を一緒に食べるのも一緒だったし、仮面ライダーやジョジョの話で盛り上がり、いつも三人でつるんでいた。

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