21話・kamakuraよ なぜ
六月、入社二カ月の私の元に本部営業の三年目社員がやってきて、唐突に付き合ってほしいと言われた。
何の気配もなかったし、私の仕事の方向とは違う担当の営業だったからぽかんとして、誰? となった。
私はあちらの顔も知らなかった。ただ大手の児童書出版社担当の、〇課長の部下、という情報しかないし、個人的な情報も、ましてや感情も何もない。
T口君とS藤君は面白がって、付き合っちゃえと笑っていたが、当時2週に一度くらいの割合で旦那に電話(主に愚痴)をしていた私は、何の考えもなくそのことも言った。
「あのね、かわった営業さんがいたわ」
「どんな? ハーモニカ吹いて流しで歩いている風な?」
「こっちは名前と部署と担当先しか知らないのに、いきなり作業場に来て、付き合ってくれって言われた」
「……」
次の週、旦那から急に電話がかかってきた。
週末暇だったら、初夏のアジサイを見に鎌倉に行こう
そんな話をされたので、私はぽかんとなってしまった。
アキバじゃないの? 池袋じゃないの? どうしたんだ、変特撮や特撮聖地巡りではないのか。
何故ショッカーのアジトがあった猿島ではなく、がちがちの由緒正しき観光地・鎌倉なのか。
私は面食らって「いいよ」と答えた。
「次の土曜日は?」
「出勤です」
「え、週休二日じゃないの?」
「隔週土曜出勤なの。だから次の次が休みかな」
六月の蒸し暑い夜。旦那と私は埼玉と東京の間で電話をしていた。
鎌倉にアジサイを見に行こうと誘われた時から、どうしたのと思ってはいたが、これはもしかしたら本格的な「デートのお誘い」というものだろうか。
そのまま三浦海岸や伊豆高原に行って、ショッカーや怪人たちが戦った岩場に行く、とかそういう事だろうか。
だってあの旦那だよ。ニコタマの土手で黒い東京都のごみ袋(当時)被って奇声を発して、お面被って戦ってた男だよ。
就職したからと言って、二カ月で一般人に擬態が完了したとは思えない。だって家に帰ったらオタグッズとコミックスとビデオに囲まれてヒャッハーとなっているんだろうし。
私の中では、旦那と私に「鎌倉」は縁遠い地に思われた。
神奈川県と言ったら海。当時秦野中井や大和市、丹沢などを知らなかった私には、神奈川県は太平洋に沿って細長く伸びている、海と密着した土地というイメージしかなかった。
海、ミカンの樹、東海道新幹線。海岸線。そしてサザンである。
学生時代はサザンオールスターズ(とユーミン)の全盛期だったから、もう鎌倉と言ったら原ぼうことサザンの桑田さんの奥さん、原由子の歌う「kamakura」のイメージしかない。
鎌倉幕府と、鶴岡八幡宮と、実朝暗殺とサザン。これが私の脳内鎌倉。ついでに言えば横浜駅の隣が鎌倉駅だと思っていた。
だから電話で
「午前中に行って色々お寺を回ってランチするから、朝は早いよ」
と言われた時はたまげた。
なんで?
横浜っていったら川崎の次で、その次が鎌倉なんでしょう?
だったら旦那のうちからすぐじゃん。
私の頭の中にはいろいろな駅がすっ飛ばされているのだが、この時は東京南部から神奈川にかけての地理は何も知らなかった。
「だから、前日うちに泊まりなよ」
「んぐあ?」
おおっとー。いきなりの爆弾発言だ。どうしたのだ旦那。私はびっくりして変な声が出た。
「日曜日は家で休みたいでしょ。だから金曜日用事があるって定時で帰って、家でテレビとか見て泊まって、早めに出よう。出ないと上福岡からじゃ、よほど早く出ないと着くのが午後になっちゃうし」
いや、でもでも、一応女ですよ、人類メス科ですよ、わたくし。
お泊りってさ、それなりに情緒とためらいとか、そういうのがあるもんじゃないの?
で、旦那の部屋って実質三畳間だし、隣におにーさんの部屋だよね。
「南さんは一階の十畳の茶室でおふくろと一緒に寝ればいいよ。隣はおのり様の部屋だし、わかるよね、前に遊びに来たから」
あ…いや…それってどうなの?
まだ「つきあってる感」も乏しく、ちゃんとしたデートもしていないのに、いきなり旦那の実母と祖母と一緒に寝るんですか!?
くつろげねー。緊張するに決まってんじゃん。なにその考え。
「いいでしょ、俺って天才でしょ。我ながらいいアイデアだと思ったんだー」
旦那は電話の向こうで無邪気に喜ぶ。そうしよう。それに決めよう。別に南さんも異議なしでしょう?
そう「褒めて褒めて」のオーラを漂わせつつ、ワンコのように尻尾ブンブン振り切って、どやぁという顔をしているであろう電話の向こうの姿、容易に想像できる。
「前夜祭はどうしようか。ウルトラファイト一挙上映か、レッドマンでもいいなあ」
いや、その、了解しました。金曜日なるべく定時で、そちらに直行いたします。
用事が出来たので、金曜日は定時で帰らせてください。週明け、私は上司にそうお願いした。
残業代を稼ぐためいつも、仕事がある限りぎりぎりまで粘る私にしては珍しい御願いだったようで、上司はすぐにyesと言った。
「どうした、T口君とデートでも?」
「……両親の親戚の家に、一人で行くんです」
「なんだてっきり」
上司は大げさに肩をすくめて、仕事の原稿をポンと机に置いて行った。
その日の帰り、私はT口君と一緒だった。
刷版の彼はフロアが同じという事もあり、こちらの仕事の状況もよく把握しているようで、夜中までかかる校正刷りのS藤君より帰りが一緒になる頻度は高かった。
他の社員さん達にお疲れさんと追い越され、挨拶をしつつ大山の商店街を抜けていく、私たちが帰宅する時間には、個人商店は閉まり呑み屋さんしか開いていない。
「あのさ、彼氏の家に泊まるってホント?」
「彼氏じゃないよ。引っ越しの時に不動産屋回りとか、新居のチェックとか、色々親身になって手伝ってもらった人。ほら、大学の特撮研の同期で、黒のゴミ袋被って怪獣になって戦ってた人だよ」
「それって、向こうは自分が彼氏だと思ってるんじゃないの?」
「ないない。だって引っ越し以来あってないし。今度が初めてだし。でもおかしいよね。急に鎌倉に行こうなんて」
「その人サザンファン? 」
「ううん、アニソンと特ソン」
駅前のたこ焼き屋台がいい匂いをさせている。私と余りの空腹にT口君と私は1パックずつ買った。私の分のお代も支払おうとした彼に慌てた。
「駄目だよ。自分の分は自分で。高いんだからさ」
「こんなの380円じゃん。おごらせてよ」
「他人からおごってもらうのは駄目だって。おかーさんが」
「あんたさ、そういうところ男にかっこつけさせてやってよ。それでいい気分になれるんだから、ありがとうって言われるだけで」
彼氏に対してもそうだよ、次からそうしな。
「彼氏じゃないし」
「どうでもいいけど」
改札の前で立ち食いするのも何なので、私とT口君はホームのベンチに腰掛けて、たこ焼きをぱくついた。
何人ものおじちゃん、おばちゃん社員さんが、あらお疲れ。美味しそうねえと笑顔を向けてくる。
「明日絶対に、俺ら出来てるって噂になってるぜ」
「変なの。堂々としてりゃいいじゃない。友達なんだから」
まったくなあ、T口君はそう言って、パクパクとたこ焼きを平らげた。
私はというと、歩調を合わせて食べたいが、猫舌なのでどうしてものろのろになる。ちょっとかじってはフーフー冷まさないと食べられないのだ。
「やっぱり、泊まりに行くのは辞めた方がいいよ」
「でも〇〇君と一緒じゃないよ。おかーさんとおばーちゃんと一緒だっていうよ」
「そりゃ実家住まいだったらそうすると思うけど、でも変な期待もたせちゃうことになるよ。あんた激早起きして、支度して、九時くらいに現地着って感じにしたらいいじゃん」
「ええー、五時くらいに起きないと」
「仕事でそれくらいに起きてるやつ、いくらでもいるじゃん」
「それはそうだけど」
「その方がいいと思うよ、俺は」
歯に青のりがついたT口君はものすごく真剣な顔になっていた。
いつのまにかたくさんいた社員さんもいなくなり、急行の止まらない大山駅のホームは閑散としてきた。
「そだね。付き合ってないのに泊まるなんて変かもね」
「そうだって。ちゃんと付き合ってから幾らでも泊まればいいじゃん」
T口君は明るく行って、各駅停車に乗る前にサイダー缶を買ってくれた。
でも私は炭酸が飲めないので、ポケットに入れたまま持って帰った。
「やっぱり泊まるのは辞めるわ。幾らなんでも厚かましいし。ご家族にも失礼だよ」
風呂から出て、旦那の家に電話をした。
「こっちは全然かまわないし、むしろ歓迎なんだけど。婆ちゃんも楽しみにしていたし」
「いや、こっちが気にするわ。実家の母に行っても多分とめると思う」
「ごめん、もしかして怒った?」
「いや別に。でも定時申請はしたから、頑張って早く寝て、超早起きしてそっちに行くね」
品川に8時。
そう約束して電話を切った。そういえば冷蔵庫に、T口君からもらったサイダーがあったっけ。
私は髪の毛をごしごし拭きながら、サイダーの缶を開けて一口飲んだ。
ビールでもないのに何だか苦い味がした。
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