22話・初デートは縁切り寺
鎌倉行き当日。
私は早起きをして電車を乗り継ぎ朝の九時に品川に着いた。自分的には早起きとは言え、長距離通勤をしている方々にとっては全く大したことない移動だろう。
はじめ九時に待ち合わせと決めていたが、前日に旦那から電話で、九時で大丈夫と言われ変更したのである。
久しぶりの、池袋界隈以外の都内。しかも品川というビジネス街。故に日曜日は空いているだろうとたかをくくっていたのだが、その甘い考えは完全に裏切られた。
山手線から降りた駅のホームも、コンコースも、指定された高輪口への改札付近も、どこもかしこも平日のビジネスマンの波と変わらない、観光客の大群。しかも誰もが大きな荷物を抱えたり、巨大トランクをガラガラと押している。
品川の駅前と言えば巨大ホテル群が林立する、古くからの観光の拠点だ。品川、高輪、新高輪とプリンスホテルが3つもそびえ、パンパシフィックホテルやビジネスホテルなどが駅前の広大な一画にひしめいているが、そこに向かう人並みは手前の国道15号、第一京浜の横断歩道にまず阻まれる。
地下道も立体歩道もない道路は、手前のタクシープールが既に大混雑で、みないらいらしながら押し合いへし合いしている。私は人波に運ばれるようにして横断歩道を渡った。
甘かった。都心部恐るべし。
「南さん、こっちこっち」
旦那の高い声が聞こえた。私を見つけ、待ち合わせ場所のツバメグリルの前で腕を引っ張ってくれた。心底ほっとした。この時ほど旦那が頼もしく見えたことはない。
さすが品川。汽笛一声新橋をの昔から基幹駅であっただけの事はある。志木や和光市とは違う…
「人の中でボーっと泣きそうに突っ立っていたから、むしろわかりやすかった」と後日言われたが。
駅に戻って出発するのかと思いきや、彼は反対方向にずんずん歩き出した。
「あれ、今日は鎌倉じゃないの?」
「電車でなんか行かないよ。どうせずっと立ってる事になるだろうし。どうせ混んでるんだったら車で座ってた方がいいでしょ」
駅前の国道15号からホテル群の横の細い道に入り、商業施設の死角になる側道に、大きなプジョー505が停めてあった。
一方通行だらけで入り組んだ港区の道路に苦労しながら車を国道に戻した旦那は、アニソンをかけながら北鎌倉までドライブを始めた。
私たちの通るルートは、年始の箱根駅伝の開催される道でもある。平日に比べたら空き空きだと、ご機嫌に「闘将ダイモス」を歌いながら旦那はいったが、それでも私にとっては大混雑に感じた。
東京を抜け、神奈川県に入ると、車線の減った道路は更に混んでいた。
旦那が具体的にどういうルートを通ったのかは私はいまだにわからない。
何故なら次からは、懲りた私たちは素直に電車で行ったからだ。
道の右手は住宅街や丘、左手は海。のはずが国道134号は防風林に遮られていて、穏やかなはずの海はほとんど見えなかった。
横浜も、横須賀も、大半は建物と延々続く壁、そしてちらりと見える水平線。
大幅に時間を超過して、私たちは鎌倉市内に入った。
旦那は途中から諦めて、うねうねと山道を走らせ、車を北鎌倉の駅付近の駐車場に入れた。鎌倉の町中は侵入制限がされており、車では移動しにくいので、そこに車を置いたのだ。
市内の移動は大半バスを使った。
たまたま駐車場に近かった、あじさい寺として有名な明月院はじっくり見てまわり、苔むした庭と様々な色に咲くあじさいの花を堪能した。
バス道路から一本道を外れたうどん屋さんで、ようやく座ることができ、お昼ご飯に美味しい冷やしうどんと冷たいお茶を頂くことが出来た。
しかし鎌倉というところは皆さんよく歩くのだなあと感心した。
決して広いわけではない道路を、観光客も市民も並んで歩いている。
短距離の移動でもすぐに車に乗ってしまう実家の山形県とは大違いである。
循環バスで鶴岡八幡宮に行き、中学の修学旅行ぶりである『大仏』を拝む。
雨ざらしで鎮座ましましている仏さまに驚愕したのを思い出した。
山形だったら石仏でなければ雪ですぐ傷んでしまうと思うのだが。
そして大学の神道学科のОBが大勢活動している社務所をのぞき、大銀杏の影で公暁と実朝ごっこという、NHK大河「草燃える」ファンでないと分かり難い事をしてみた。
意外なことに私たち以外にもやっている人は居て、さても1980年代は頭が幸せな人が多かったのだと、恥ずかしさをこらえながら書いている。
「参道を海岸まで歩いてみようか」
旦那が不意に言い出した。八幡宮から海までは緩やかな下り坂で、近く見えたのだろうか。だが実際は決してそんなことはない。
八幡宮から由比ガ浜までは1,8キロある。
「うんいいよ。でも遠いよ」
「じゃ辞めよう」
「早いなー」
自分の言ったことに固執しないのが旦那のいいところだとは、私も思う。
仕上げに北鎌倉に戻り、東慶寺に水月堂と花菖蒲を見た。
出発地点に近いのだから最初に観て行けばよかったのに、そのへんは二人とも気が付かない。
思い付きで回っているのである。
花菖蒲の群れはたいそうあでやかで、新緑からやや濃くなりつつある周囲の緑に映え、綺麗だねえ、と感嘆しつつ回る私たちだったが、周りの女性達は少々奇異な目で見ていた。
後で知ったが、東慶寺というのは著名な縁切り寺だった。道理で拝観のお客さんが女性ばかりなわけだ。
男女二人で楽し気に回っていたのは旦那と私くらいなものだった。
渋谷の国文学が売りな大学を出ておきながら、「東慶寺」と「縁切り寺」という語句が結びついていなかったのである。
本当に申し訳ない、教授。中世文学苦手でした。
せっかく来たのだからと、よせばいいのに小坪トンネルをわざわざくぐり、会談で私をビビらせて、プジョー505は帰途についた。
旦那は家族と住んでいるからいいだろうが、こちとらサイタマサイタマーで一人暮らしなのである。今となってはその辺考えていただきたかったが、こちらもワクテカで聴いていたのだからやむなしである。
東京までのルートは、今度は有料道路を使い、内陸部を行くようだった。
第三京浜とか、首都高神奈川線とか、未だによく分からないルートを通ったと覚えている。ちなみに当時カーナビは今ほど一般的ではなく、CD-RОМの地図情報を読み取らせる方式だった。
GPS搭載のカーナビが販売されるのは、2年後の事だ。
ともあれ有料道路沿い、背の高い防音壁の向こうに様々な形の屋根やカラフルな看板が見えた。
「あ、ラブホ。堂々とあるんだねー」
「うん。そうだよ。降りて寄ってく?」
「……」
何を言い出すんだこの人は。多分ノリで、脊髄反射で行ってしまったのだろうが、車内はみるみる急速冷凍していく。
旦那は永遠に近い沈黙の後、ベタなホームドラマのように笑顔を作った。
「ジョークジョーク。ライトジョーク」
気まずい沈黙の中を『コンドールマン』のEDが流れ、濃紺のプジョー505は東京に向かって走った。
旦那はこの失態を後々まで覚えていたが、あいにく私も覚えている。
今もそれをネタにからかうと彼は悶絶している。性格悪いな私。
次の月曜日。
出勤すると、鎌倉デートはどうだったとT口君とS藤君から早速聞かれた。
「歩いた。疲れたけど綺麗だった。行った先が縁切り寺だった」
「なんだそれ」
「彼氏、面白い人だな」
「彼氏ってことになるの?」
「一対一で出かけたらそれ彼氏じゃないの?」
「でもだったらT口君とこの前二人で帰ったよ。そういう見方はおかしくない?」
「じゃ南さんはどうなりたいわけ?その人と」
「え、わからん。だって一回縁切り寺に行っただけだよ」
「そう縁切り主張するんじゃなくて、せめて鎌倉って言おうよ」
風呂ギライで冬でもすえた汗の臭いを漂わせる不潔ボーイS藤君だが、優しいやつだった。
帰ると母から電話があった。9時には寝てしまう人なのに深夜に珍しい。
「実は見合いの話があってね。寺の息子」
「私は正座と幽霊嫌いなんだけど」
「覚えてるでしょ、4年から6年までの同級生の、美佐江ちゃんのお兄ちゃん。次期住職」
「ああもう聞いてないでしょおかーさん。そうそうこっちもね、〇〇君と鎌倉にドライブ行って来た」
「うんそれで?」
「縁切り寺に行った」
「いきなりか。でも一回だけでしょ。それ以上何もないでしょ。もうその人とお付き合いするの?」
私はイラッと来た。そんなの分かんないじゃん。
「おかーさん、なんでそんなに結論を急ぐの?」
「そっちがそっちで出来ちゃってたのなら、この縁談断わるからさ」
「お墓もお寺も苦手だから、出来ちゃったとか鎌倉関係なく、ごめんなさいして」
もう、なんでどいつもこいつも急ぐんだよ。私はウルトラ不機嫌になった。
実際何度かこういう電話のやり取りはあったが、一人で暮らして、一人で仕事を頑張っていると酔っていた自分は、おのれも周囲も何も見えていなかった。
ユーミンではないが「あの頃の私に戻って お前をどつきたい」である。
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