25話・朝シャンと朝マック
その日、私は珍しく朝シャンをした。別に前日風呂に入らなかったわけではない。
テレビは年明けの冬からずっと、お病気に臥せる天皇陛下の症状をテロップで流し続けている。
バラエティでもドラマでも。要所要所にご容体の報告が入るのだ。
昭和の、天皇の容体はどうやらとても悪いらしく、国民は「下血」という当時聞きなれない言葉を覚えてしまった。
昭和63年。1988年。実質的に昭和最後の年なのだが、世の中はなんとなくそうなる気配に支配されつつ、記録映像でもめったに見られない大正以来の天皇交代の予感に、なんとなく特別な年という感慨を抱いていた。
まだまだ暑い夏の終わり。世界ではソウルオリンピックが始まっていた。
カール・ルイス、フローレス・ジョイナー、そしてベン・ジョンソンらがその美しい豹のような肉体をテレビ画面いっぱいに躍動させ、記録を次々と塗り替えていた。
朝シャンが終わると、タオルを頭に巻いたままちょっと気合を入れて掃除機をかけた。テレビ周りの埃も、玄関先の隅っこにたまった砂埃も、台所のガス台も。そして風呂場も髪の毛一本残さないように念入りに。
そして、電話が鳴った。
「もしもし、いま上福岡の駅に着いた」
「わかった。迎えに行く」
声の主は旦那だった。
その日、1988年9月24日。上福岡駅の改札前に、がちがちに緊張した顔の旦那が立っていた。
迎えに行った私は髪がまだ生乾きで、いかにも起き抜けのように見えたろう。
「あ、お疲れさまです」
「いえいえ、お迎えご苦労様です」
頓珍漢な会話をしつつ、二人で駅前の公団住宅の中にある東武ストアに寄った。
その日の夕飯を買うためである。
旦那は、この日私のアパートに泊まりに来たのだ。
キスもまだなのにいきなりプロポーズした彼は、急に不安になったのか何度目かの電話で、泊まりに行きたいと言い出した。
キスが上手かどうかも確かめていないのにプロポーズOKした私は、いいよ、と言って、電話を切った後お互いに慌てた。
「言ってみるだけ」「断られたら冗談だよって笑えばいいよね」と2人とも思っていたのに、意見が一致してしまったので、思いがけない結果にあたふたしてしまったのだ。
情けない23歳である。
お総菜とお弁当と飲み物を買って、暑いねえと呟きながら、私のアパートに向かった。何か作ることは考えていなかった。食器が一人分しかなかったからである。
「今日はなんて言って来たの?」
「後輩んちでアニメの上映会をすから、そこに泊まるって言って、出て来た」
絶対にばれてるよ、そんな嘘は。私は並んでテレビの前に座り、電源を入れながら思った。
男子陸上の予選が終わり、決勝が間もなく始まる。
私の予想通り、旦那の家族にはバレバレだった。
「あの、うちに遊びに来る女の子の家に泊まりに行ったんだよ、絶対に」
旦那の祖母のおのり様が、キセルをポーンと煙草盆に打ち付け、宣言したらしい。
あいつ、上手くいくのか。多分初めてだぞ。風俗にも行ってないし、中高大と、一人も彼女いなかったよねえ。
果たして次男坊が首尾よくいくのか。しょんぼり撤退しては来ないか。旦那家族はワクテカしていた……らしい。
九月の下旬の午前とは言え日差しは強い。
エアコン、入れようかとリモコンをとり、スイッチを入れると、窓を閉めた。
鍵を閉めるのと、旦那に後ろから抱き締められるのは同時だった。
逆さになった視界の端で、ぐらぐら揺れる天井と、私と旦那の声を打ち消す競技場の歓声、テレビのオリンピックの100メートル決勝が見えた。
アナウンサーの興奮したナレーションが耳に入って来るが、こちらはそれどころではない。言葉が意味を持って頭に入って来ない。
今、旦那彼と私は一番近いんだなあ、ととりとめ無く思っていた。
私の中に彼がいるのだから、これ以上近い事はないよなあ。
結局、買ってきた弁当もお総菜も、ろくに食べなかった。そんな暇はなかった。
ベン・ジョンソンが勝ったこと、カナダの首相に生電話して祝福されたこと、そしてカール・ルイスの悔しそうな顔。
畳の上で、エアコンをつけているのに汗だくで交わりながら、それらの映像を切れ切れに見ていた。
翌朝、実家に帰省する予定の私は盛大に畳の跡が着いた顔でボストンバッグを抱え、旦那と部屋を出た。彼はものすごく眠そうな顔をしていた。私もそうだったと思う。
駅ビルのマックに入り、無言のままモーニングのホットケーキセットを食べた。
目が合いそうになると、どちらかがそらす。
なんかその……上手くいかなかったのかな、よくなかったのかな、失望されたのかな。そんなお互いの同じ感情が、埼玉の片隅で行き交っていた。
大宮まで行ってそのまま新幹線に乗る私を、旦那は新幹線ホームまで送ってくれた。
「腰、痛くない?」
「大丈夫」
「寝過ごさないようにね」
「うん。ありがとう。3時間以上あるから寝て行く」
乗り込む前にぎゅっと抱きしめてくれた旦那の胸元からは、私のシャンプーの匂いがした。
夏のお盆休みに帰れなかったからと、その代わりに秋に休暇を貰った私は、山形の実家に帰省した。
母には言ってあったが、旦那との交際を父に言うためである。
「結婚しようって言われたから、いいよって言った」
そのころになってようやく腹が減った私はもりもり夕飯を食べながら、あっさり言った。私の希望は何でも聞いてくれる父だ。戸惑いながらもいいよと言ってくれるに違いない。
そう考えていた私は甘かった。
父はたちまち不機嫌な顔になり、夕飯途中で立ち上がった。
「それは駄目だな。まず、結婚を前提としてお付き合いをさせて下さいと、こっちに来て俺に頼むのが筋だろう」
「ええ、そんな戦前じゃあるまいし」
「甘やかしすぎたって、お父さんは後悔してるよ」
父は面白くない、といった顔をして夕飯をそのままに茶の間を出て、足音も粗く二階の自室に行ってしまった。
「伽耶子。お父さんの気持ちも分かってやれ。何年かしたら戻ってきて、地元で結婚すると思っていたんだよ。市内の近所に住まわせて、会いたい時に赤ちゃんの顔を見て、お世話しに行く生活をお父さんは夢見ていたんだ。勝手だと思うかもしれないけど」
ああ、勝手だ。第一こっちで仕事がないから暮らせないじゃん。
「花嫁修業、家事手伝いで十分だ。その方が縁談も来る」
それは両親の想定した、従順な娘の人生。
私の人生は違う。
悔しくてご飯を味噌汁でかきこみながら、私は怒っていた。両親の気も知らず。
数日後、埼玉のアパートに帰った私は、旦那に電話をして、両親の言葉を伝えた。
彼は少しひるんだようだったが
「いいよ。行くよ。ご両親と南さんの都合のいい時を言ってくれたら休み取るから」
と気軽に言ってくれた。
私は部屋の畳に座って電話をしながら、数日前は、あそこに旦那の背中があったんだな、この辺にシャツとジーパンと下着が脱ぎ散らかしてあったんだなあと、思い出していた。
独りの空間に、もう独りが入ってくる。それは嫌な事でも怖い事でもなかった。
有給明けて、川越工場への通勤電車まで刷版のT口君、校正刷りのS藤君と一緒になった。そのままの流れで、工場までのマイクロバスでもいつも一緒の3連席に座った。
「鎌倉に行った子とね、付き合う事になった」
朝のガタガタ揺れるマイクロバス。
周りの社員さんが転寝している間に、私は二人だけに聞こえるよう囁いた。
「おお、いいじゃん」
「彼氏ゲットだ、おめでとう」
二人、特に刷版のT口君は、交際相手がいると言っても変わらず仲良くしてくれた。
「もしもし伽耶子?」
埼玉に戻ってしばらくして、母から頻繁に電話がかかるようになった。
「お見合いの話が来て、お父さんが伽耶子に戻ってきて先方と逢えって言ってるんだけど」
「お母さん、断わって」
「でもお父さんの気持ちを考えて、会うだけあってみたら?」
お父さん…言ってること矛盾だらけだよ。彼に、挨拶に来いって言ってみたり、お見合い勝手に持ってきたり。
私は勝手に、両親に対して怒っていた。
一番怒らなければならないのは自分自身に対してなのに。
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