30話・オタクは続くよどこまでも
1989年、板橋に本社のあった児童書専門印刷会社を辞めた私は、都内に引っ越した。
辞める決意をした頃は正直どうしようと途方に暮れていた。
東上線沿いからは出たい。でも都内でやっていく自信もない。前職で使っていた機械や製版のスキルが他社で使い物になる気がしない。
そして、他業種に転職するにしても不安だらけだ。
バブルなので求人はたくさんあった。求人誌もぶ厚かった。
でも私はすっかり凹んでいた。
何度か旦那の家に相談に行った。
東京で一番身近で頼りになる人は彼の一家だったし、無性に人に接していたかった。一人のアパートに帰りたくなかったし、とにかく前職と接点のない人と時間を過ごしたかったのだ。
そして一番は、それでも自然に、当たり前に優しく接してくれる旦那にしみじみ愛情を感じていたからだと思う。
愛情と、確信をもって言えるようになったのが婚約後だというから情けないが、「本能」が「文章」に代わった、とでも言えばいいだろうか。
旦那は私を多摩川の土手に連れて行った。
徒歩数分もかからないところに、「シン・ゴジラ」でタバ作戦の舞台となり、10式戦車や74式がずらりと並んでいた土手、指揮所が設けられた多摩川浅間神社がある。
野草が繁る土手に腰を下ろし、目の前を悠然と流れる多摩川、釣り人、洗濯をする対岸のブルーシートハウスとアーバンジプシー、河川敷の公園で遊ぶ子供達を見ていると、気分は故郷山形の、最上川のほとりに飛んだ。
東京都23区内とは思えないのんびりとして人々の暮らし、バーベキューをする人々のごみの始末を、昔から土手に住んでいるというきちんとした身なりの浮浪者が笑顔で手伝い、かわりにお肉やビールを貰い、共存している風景。子供の声と親の声。
「こんなところあるんだ、いいなあ」
そうつぶやく私に、並んで土手に座った旦那は
「結婚したら毎日この世界だよ。だから早めに越してきちゃいなよ」
とても安心できる声だった。
この人となら結婚したら豹変したり、嘘つかれたりすることなく、今と変わらないでいてくれる。
そんな気がして、プロポーズされたとき直感だけで即OKをした自分をほめた。
調べてみると家賃もそう高くないことが分かり、私は都内南部に引っ越した。
旦那の家から3駅ほど離れたアパートに一人で住み、自転車で行き来していた。
彼の両親とおばあさま「おのり様」から可愛がられ、仕事も順調で、学生時代のように旦那の部屋で、二人で並んでテレビを見る事もしばしばだった。
当時はフジテレビの独り勝ちで、報道、バラエティ、ドラマ、あらゆる部門で視聴率と利益を独走していたような気がする。
そして同業他社に転職した。
一部上場のそこは、単行本、小説、料理本、マンガ、出版印刷に強い会社であり、今も健在である。
たまたま中途採用に応募した私は前職同様製版部に潜りこむことができ、そこで息子君の出産まで働くことになる。
バブルはまだまだ続いていた。
当時、会社にもよるだろうが残業手当、深夜や休日の諸手当はきちんと全額支給されていた。
ただ、お金は入ってきたが使う暇がなかった。
一方広告代理店勤務なのに有給もきちんと取得できる超ホワイト企業に就職していた旦那は、義兄や家族とダイビングに、観光にとハワイやグアムを飛び回っていた。
ちなみに私はパスポートを持っていなかったので、最初の海外旅行は「東独、ハンガリー、チェコ・旧東欧の旅」という大層マニアックな新婚旅行になった。
順当に式場を決め、日取りを決め、しばらく疎遠になっていたサークルの後輩や同級生と逢い、スピーチをお願いする日々は学生に戻ったようで楽しかった。
「まさか南先輩が〇〇先輩と」
「いいんですか、土手でゴミ袋被ってホイホイ言って戦闘シーンして喜んでる男ですよ。今ならまだ間に合いますよ」
「お前らなあ…」
旦那は怒ってみせたが、久々に大学の仲間に逢っておしゃべりするうちに、彼らもまた社会の中で揉まれ、苦労しながらもオタクであることを辞めない同士だという事をしっかり認識した。
昭和から平成と変ったが、オタクを取り巻く状況が一変したのは、かの「埼玉連続幼女殺人事件」の犯人が逮捕されてからだと覚えている。
あの「М」の人物像の報道のされ方で、我々オタクを取り巻く空気は変わった。
だが、社会に溶け込み、偏った知識を味方につけ、孤高の特撮ヒーローや『闇に紛れて生きる』早く人間になりたい者達や、人々の間に紛れて地上征服をたくらむマゼラン星人のマヤのように、私たちはしぶとく社会に認知されようとしていた。
結婚式は1991年の春。今は亡き渋谷の東急文化会館で行った。何件も回った中では一番特典が付き、値引きもしてくれ、駅直結という、故郷から東京見物がてら上京してくる年寄りたちに親切だったのだ。
だかプラネタリウムのドームが印象的なそこも今はなく、ヒカリエとしてオシャンティーなビルになっている。
式のビデオを依頼した旦那の親友は、式前夜、ハンディビデオを持って旦那宅を訪れた。
彼は「みなおか」の現場でバイトをしていた、国公立大学を出て公務員になったオタクである。
ドアを開けて驚く旦那に
「さあ行こう」
「(旦那ビビり)ど、どこへ?」
「結婚式のない国にだ」
「(旦那、逡巡し、親友のカメラに抱き着き)…連れて逃げてっ」
「言ったな。収録されてるからな。言っとくがこれ向こうの親戚にも配るものだからな」
「やめてー。今のオフレコでいってー。編集してー」
と絶叫する旦那で、オフィシャルな結婚ビデオのファーストシーンは始まっている。
旦那の願い虚しく、そのビデオは未編集で両家の親戚に配られ、旦那と両親は頭を抱えていた。
もっと苦労したのがスピーチを頼んだ特撮研の先輩、後輩たち、そしてつねさんである。(オタクエッセイ学生編に登場する、私を振った男ですね。旦那は知らなかったらしいが)
私たちは事前の打ち合わせで
「アニメや特撮は、田舎の年寄りたちに理解できないと思うから」という理由で
『二人が出会ったのは一般教養科目の教室での、試験前ノートの貸し借り』
『旦那だけがサークルに入っており、それも真面目な(タルコフスキーやらを研究する)映画同好会』
『学祭向け作品の撮影も、まして旦那がゴミ袋被って奇声を上げて怪人を演じていた事実は封印』
このたび本エッセイでめでたく暴露となったわけだが、もう時効だろう。
ごめんね、山形の親戚の婆ちゃん爺ちゃん。
旦那が三々九度の杯を一気に飲み干したり、誓詞(神道の式にて、で親戚たちの前で結婚の宣言を読み上げるという罰ゲーム的伝統)の最後に
「新婦・〇〇」と自分を嫁にしたり、仕方なく私が
「新郎・伽耶子」と読んだり、色々あったがまあいい。
全部記録に残っているので未来への語り草になっている。
オタクが古式ゆかしい事をしようとしても、オタクの神とショッカーと真・仮面ライダー様が許さないというのは身をもって知った。
結婚式と披露宴後、全ての清算を済ませて義兄の車で旦那実家に帰ったら、そこはもう大宴会状態だった。
さっきまでの披露宴と挙式、そして主に旦那のやらかしの数々を肴に、旦那親戚たちが爆笑のうちにビールでぶちあがっている。
「おお、主賓おかえりー」
「新婦が来たぞー、みんな出迎えだ」
「お前なんだよー、肝心なところでことごとくやらかしてたじゃないかよー」
疲れと後悔でメンタルがサンドバックになっていた旦那を救ったのは、親戚中で一番偉い、おのり様の一言だった。
「〇〇ちゃん、お疲れ。横浜のグランドホテルにお部屋とってあるから今日はそこに泊まりなさい。ディナーとやらも予約してあるよ。
伽耶子ちゃん、こんな馬鹿なすっとこどっこいの孫だけど、いい子だからこれからも頼みますね。お兄ちゃん、二人を横浜まで送りなさい」
おのり様、漢前過ぎる…留袖を着崩さず、椅子に座ったまま私に札束を渡した。
グランドホテルの宿泊代とディナー代と、結婚祝い諸々だそうだ。有無を言わせず着替えの入ったバックにねじ込み、
「さあお父さん、チェックインが遅れるってホテルに電話しなさい。お兄ちゃん、夜道だから気を付けて二人を送ってね。じゃあすぐに行きなさい」
誰も一言も口をはさむすきがない。さすが激動の長岡藩を生き抜いた藩士の娘である。
こうして私と旦那は一緒に人生を歩き始めた。
生まれてきた息子には、退院その日に「ムトゥ・踊るマハラジャ」を見せ、ベビーベッドの脇で「萌えろ! ロボコン」や 「救急戦隊ゴーゴーファイブ」を見せた結果、アンパンマンよりグーチョコランタンより、井上敏樹と小林靖子脚本、石田秀範演出が好きな立派なオタク幼児と成長していったが、またそれは別の話にて。
オタクは続くよどこまでも あなたが好きでいる限り 他の誰かの好きを折りとらない限り
結婚するとき
「50過ぎてもまだ『きゃあああウルトラマンが』とか『うぉぉぉライダーかっこいい』とかやってるかもしれないね」
と笑っていた25歳の私と旦那、50過ぎてもやってます。予想以上にえらい事になってます。
当時よりさらにオタク活動吹っ切ってますから安心してください。
誰も何とも言いません。好きになったもの勝ちです。やったもん勝ちです。
多分、老境になって人生をおさらばするまで、ボケても「変身」していると思います。
還暦に赤いちゃんちゃんこ代わりに赤いマフラーなびかせて、は確実にやると思う。
だから皆さん、開き直って土台を保って、よきオタクライフを!
割れオタに閉じオタ 南 伽耶子 @toronamasan
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日日在片/南 伽耶子
★12 エッセイ・ノンフィクション 連載中 4話
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