13話 内定ゲットだぜ

 長く暑い夏が過ぎ、大学の後期日程が始まるころには、多くの学生が企業の内定を得ていた。

 当時は基本的に売り手市場という事もあって、中には両手に余るほどの内定を手に入れ、勝利者の余裕をもって選択する者もいた。

 概して、先輩後輩の上下関係を叩き込まれ、声も大きく身体頑健な体育会系の学生たちが、先に就職先を決めていた。

 やはり強靭な肉体と縦の繋がりと、仕込まれた礼儀は有利なのだ。

 企業戦士とはよくいったもので、彼らは兵士として優秀だったのである。

 そしてそれらと程遠い、特撮研究会の面子の状況はと言うと、まあそれなりでしたよ。


 自治体職員、業界誌編集者、病院職員、教師、外食チェーン店、大手スーパー…

 そして、いましたよ。就職活動すらしないでひたすら漫画を描いている人が。

 彼は全く大学にもサークルにも顔を出さなくなったので、その後の消息は分からない。

 連絡先には繋がらないし、そもそも当時は携帯が普及していなかった。

 怨念のこもった緻密な恐怖グロマンガを書いていた彼は、今どうしているだろうか。


 私はというと、志望する企業を印刷業界にシフトした。広告分野ではなく書籍印刷の方にである。

 そしてたまたまのタイミングで最初の内定をもらった。

社長面接で

『音大志望だったが、卒業までにかかった経費の元をとれるかわからないので高2の夏に辞めて一般大学に志望替えした』

 と言う話で盛り上がったのが良かったのか、意気投合し、笑顔で即内定と言われた。狐につままれたような面接時間だった。

 音楽用語の辞典と、外国のクラシック曲の楽譜専門印刷会社。それが私の頂いた最初の内定だった。

 この会社には今でも感謝している。そうすると肩の力が抜けたのか、他社の面接も上手くいくようになり、最終的に数社からほぼ同時に内定を頂いた。


 私はこれらの会社の中から、子供時代によく読んでいた児童書専門の印刷会社に行くことを決めた。

 大学の先輩が現場にいて、お互いにカバーし合う現場バリバリの社風が気に入ったのと、お昼に出前で食べられる、会社近くの拉麺が激しく美味しいという事も決め手だった。

 お年寄りのいわゆる職人さんが多く、しかも子供のころ読んだ本の挿絵を扱えるというのも魅力だった。

 少子化は当時もうとっくに懸案になっていたし、それが児童書界を直撃しているという事も知っていたが、とにかく好きなことを仕事にしたい一心だった。

 私は本が好きで、書けないけれども挿絵も好きで、翻訳物の児童書なんか、もうたまらんほどに好きだ。

 今思えば内定を頂いた中でもぶっちぎりの薄給だった。

 短大卒で銀行や証券に行った子たちに「えっ」と驚かれるような額だった。

 それでも少しでも好きなことに近づきたい、意義のある仕事をしたい一心で、そこに決めた。

 

 内定をもらった各社には辞退の電話を入れた。

 そういう学生側の事事情含めての内定なので、各社あっさりと「あ、そう」という感じの対応だったが、最初に決まった所だけは違った。

 本気で心配してくれた。印刷会社には酷い所も多いから、と気遣ってくれた。

 その恩は忘れない。

 十年後に近くを通ったら会社を移転・拡大し、第二ビルまで建てていた。

 社長の人徳もあったのだろうと、今でも思う。

 

 就職関係も卒論も一安心、あとは残りの大学生活を楽しむぞ、というタイミングで、4年生としての最後の学園祭の季節がやって来た。

 そのタイミングで、私たち四年生はなんとなく集まるようになっていた。

 もう自主映画の制作もない。多摩川の土手で青空ステージで踊り狂ったり、斜面をゴミ袋をまとって転がり落ちる事もないだろう。

 卒業後アニメ業界入りした(そして今もスタッフロールで度々お見かけする)先輩たちに、下手糞と叱られながらも、トレーシングペーパーをタップ台にセットして、一枚一枚動画を書いて色鉛筆で塗った、ささやかな自主制作アニメを作ることもない。

 そう思うと、学祭で後輩たちの作った映画「俺は浜だ」(当時放映していたアメリカのテレビドラマ『俺はハマーだ』のパロディ)を観ながら、何となく、誰かの家に集まろうという事を取り決めていた。

 その『誰か』というのが都内23区に実家住まいで、しかもノリのいい旦那であった。

 案の定、彼は「いいよー、おいでよ」と笑顔で10人近くの訪問を引き受けた。


「奴はいいとこの坊ちゃんなんだぜ」


 秋の東京南部。

 私鉄に揺られ、ゆくゆく旦那になる男の家に向かいながら、私たちは10人ほどの大学生は、車窓の立派な住宅街をぼんやりと眺めていた。

 随分と庭付き一戸建てが多いなあ。しかもよく手入れされているし、ガレージに置いてある車も大きくて高級そうだ。 

 マンションにしても、ゆったりとした間取りがうかがえる広々とした窓とベランダだ。


「ふん、とってもそうは見えないけどなあ」

「だってあいつ、時々外車で大学来てるじゃん」

「マジかよ、バイクじゃねーのかよ」

「バイクの時もあれば、何やらでかくて燃費悪そうなヨーロッパ車に乗って来る時もあるよ」

「知ってる。フランスの中古車だって」

「なんだよ、危ない替え歌歌って怪人やってるふりして、実はおボンボンだってか?」

「そっか、だから広告代理店なんかに就職できたんだ」


 ブッ


 私と、隣の就浪決定の男はのど飴を吹きそうになった。広告業。それは当時一番調子に乗って、いやきらめいていた職種だった。

 テレビ、紙媒体、あらゆる消費文化を盛り上げ、煽り、購買意欲をかき立たせるためのキャンペーンを張り、お金をつぎ込む。

 企業も惜しげなく広告費をぶっこんでいた時代。そしてその費用に見合っただけの消費が行われていた時代だったのである。

 その先兵たる広告業界は、よほど優秀かコネのあるひとつまみの子女しか入れない、超難関であった。

 着る物も構わず、オタク御用達のチェックのシャツにぶかぶかのジーンズ、でかい紙バッグ。浪人無しストレートの大学四年なのに40代に見られるルックスの旦那は、どう見ても華やかな銀座や新橋の世界には合わない気がした。

 それは外観とはしゃいだ無邪気な態度から判断した浅い観方に過ぎないし、そう思う自分達の方が余程不遜なのだが、世間知らずな大学生は『能天気なふつーの四年生のくせにコネで華やかな業界に行った』と嫉妬していたのだ。


 教えられた駅で降りた私たちは目を疑った。

 テレビで見た、駅の前の薔薇の花壇と噴水、瀟洒なロータリーから伸びる、放射状の道。そのどれもが、黄色に色づいた光の束のような、背の高い銀杏並木で彩られている。

 これは、いわゆる超有名なおハイソ高級住宅地とやらでは…


「もしかして奴がぼんぼんって本当かもな…」

「南さん、玉の輿のチャンスかも」

「なんだそれ」


 ゴミ一つ落ちていない、赤いファザードに白い壁の、ロッジのような駅から電話をすると、駅前のロータリーから路線バスに乗ってくれとの事らしい。


「外車でお迎えには来てくれないのかよ」

「あほ言うなよ。人数多すぎだろ」


 駅前のロータリーから乗った私鉄系のバスはゆったりとしていて、乗客の身なりもいいし、どことなく皆さん上品だし、ささやかれる会話の言葉遣いも丁寧だ。

「ごめんあそばせ」と言い交わしつつバスを降りるご婦人、というものを私はこの時始めて見た。

 ほんとに居るんだ、「あそばせ」マダムは。

 あせる我々大学生をよそに、バスはどんどん坂を下り、家並みも100円ショップやコンビニ、新聞販売店、魚屋、マッサージ屋と庶民的な、私たちがよく知る「人が生活している街並み」に入って行った。


(続く) 

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