14話 仏蘭西車と御婆様
バスが商店街の端に着くと、我々は降りた。
自然食屋と、惣菜屋と、金物屋と履物屋がそれぞれ店を構える四つ角。
そこが旦那の家の最寄りバス停らしい。
「なんか…駅前と全然違わない?」
つねさんに継ぐクールキャラのなっつんが呟いた。
地方のバイパスのような太い幹線道路に面し、商店街とのバス低迷にしてはしょぼい、うらぶれた間口の小さな店がポツリポツリとある…そんな、あの駅前はなんだったんだよと言いたい、町の変貌である。
後で知ったのだが、元々は旦那の住む、その時私たちが立っていた地の方がずっと歴史が古いのだ。
江戸時代よりずっと前からの街道が伸び、宿場町でもあったし、遺跡も発掘される地域だが、その時はあまりに違う街並みに唖然とするばかりで、そんなことも知らなかった。
おーい、と聞きなれた甲高い声がした。
交差点近くの高層マンションの前で、無精ひげに膝の抜けたジーパン姿の旦那が、ブンブンと両手を振っていた。
こぼれるような笑顔である。(無精ひげ付き)
実に爽やかだ。青春映画なら青空のもと、高校のグランドの片隅か土手を歩くヒロインに向かって、野球部の好青年がするような、そんなベタ過ぎる仕草である。
だがここは片道3車線の広い道路、排気ガスを巻きながらひっきりなしに車が行き交う都内である。
「おお〇〇」
「信号代わったらこっち来てくれー」
車の音に負けない大声で、旦那は叫ぶ。満面の笑みと共に。
大声に行き交う近所の人が振り返るが、まるで気にしていない。
きっとご近所からそういう子として認められ、気兼ねすることなく育ってきたのだろう。
「いいよなあ、あの何の悩みもない感じ」
合流した私たちは、旦那の家はきっと、彼が玄関の前に立つ高層マンションだろうと思っていた。いかにも家賃の高そうな造りだったから。
だが旦那はこっちだよー、と言いながらずんずん脇の小道に入って行った。
マンションの後ろは庭付き一戸建てゾーンである。やはり、やはりこの人はおボンボンなのかっ
刈り込まれた芝生や庭木の家が並ぶ中、鬱蒼とした大正時代の家屋のような家があった。
竹を組ませた生け垣に、乳白色の日本ジャスミンが房になって咲き乱れ、蜜蜂やハナアブがブンブン飛び交っている。
小さ目な二階建ての家で、昔ながらの物干し台が二階の屋根に設置され、洗濯物がはためいていた。
門から玄関先までは玉砂利と飛び石が敷かれ、ガレージの屋根の下にはでっかい外車。
暴力団の組長が乗っているような、黒の縦に長い車は、プジョー505と言う古い車だよと旦那が教えてくれた。
「これ、お前の車?」
「いや、家族の車。親父と兄貴と、三人で等分に金出して買ったから、維持費も税金も三等分。ガソリンは乗った分をメモ帳に書いておいて後で清算」
友達来たよ、二階に通すねー、と玄関を開けつつご家族に説明してくれた(後の)旦那は、思ったよりシビアな車生活のようだ。
てっきり全部親頼みかと思っていた私には意外だった。
玄関は小さくて、左側は中庭に面した茶室に直結しているようだった。
上がりまちに、明治や時代設定のドラマで見るような、枯れ草色の壁と月と兎の色ガラスの間仕切りがあった。
「お邪魔します」と靴をそろえて上がると、玄関の間仕切りのすぐ後ろは四畳半の暖かい部屋で、紬の着物を着た大層なお婆さんが、煙草盆の前にちょこんと座っていらした。
「おばあちゃん、お友達来たから部屋でテレビ見て遊んでるね」
とっても素直な、小学生のような口調で旦那は説明して、さあこっちこっちと私達を誘導した。
軽く会釈をしながらお部屋脇の縁側を通る私達を、おばあちゃんはつらつらと眺めていた。
「あら〇〇ちゃんのお友達かい、いらっしゃい」
小柄で細い尖った顔のおばあちゃんは、想像通りのしわがれ声で、でもちゃきちゃきとはっきり声をかけてくれた。
私と目が合うと、少し目が和らいでくれたようだった。
知らなかったが、ずっと後で聞いた話では、おばあちゃんはその時私の事をしっかり認識してくれたらしい。
皆が帰った後
「あの子が〇〇のお嫁さんになる子だね」
と旦那の母(おばあちゃんにとっては娘) に言っていた。だが私がそれを知るのはずっと後の話だ。
縁側にゆったりとした籐椅子がおいてある家。
勝手口の裏庭に手押しポンプの井戸がある家。
庭には小さいながらも鹿威しがある家。
旦那の家はその辺りでも一・二を争う旧家だった。
明治の終わりには先祖が住み始め、戦争中代々木の練兵場横に一時住んでいた時は、爺と婆が留守居役をしていたという。
黒いゴミ袋をまとい、怪人のお面を被って嬉々として土手を転がり、奇声を上げる旦那の姿からは想像できないが、間違いなく「育ちは良い」人なのだ。
そうか。このくらいのステイタスなら、縁故もバシバシあるだろうし、色んな所と繋がっていそうだよな。
私は狭い急な階段を皆の後について上がりながら、都会民と田舎民とのスペックの差に愕然となった。
(続くっ)
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