28話・考えてない証拠だぞ
「南さん、遅くなったし、ご飯食べて行かない?」
年の瀬も押し迫ったいつも通りの残業の後、私は路線バスを降りた川越駅で声をかけられた。T口君だった。
「いいよ。お腹もすいたし」
「おごるか?」
「いらない」
私たちは上福岡のジョナサンに行きたくさん食べ、ドリンクバーで何杯も飲みながら、いろんな話をした。
鈴木雅之や、ビーボ・ブライソンが好きな事、高校時代バスケとバンドをやっていて、大学は勉強が嫌いで行かなかったけれど、専門学校では本格的に歌手になろうとアングラ活動をしていたこと、ちゃんとしろと半ば家族に強制的に就職先を決められてしまったこと。
そして、私と旦那の知り合ったきっかけの特撮研や、アニメのオタ活動、学祭作品を撮るためにロケハンをして、警察に尋問されたことなど、笑いながらもっともっとと聴きたがった。
「南さん、学生の頃から今と変わらない事してるじゃん」
「そだね、野郎にばっかり囲まれてるし、だから同性の人間関係苦手なのかも」
「なんで?」
「女の人って恐くない? 私は高校も男子の方がずっと多かったし、大学もそうだし、女子寮はみんな同郷の仲間だったけど、女の人って何考えてるかわからない。怖いんだ」
「ああ…うちの工場の若い奴なんて余計そうかもな。俺もそうかな。女の人ってなに考えてるかわからんから怖いよ」
「じゃあたしは女外ってことですね」
「だって南さんはそういうの感じさせないじゃん。でもまるっきり女捨ててるって感じでもないし、その辺が彼氏さんも心赦すところなんじゃないのかな」
ずずずー、とメロンソーダをストローで吸いながら、そんなもんなのかなと私はひとりごちていた。
じゃまた明日ね、と店を出ると、T口君はもじもじし始めた。
「あのさ、家に少し寄ってかない?」
「?」
「せっかくお喋りできたんだから、ビーボ・ブライソンの新しいアルバムも聞かせてあげたいし、特撮やアニメのビデオも、たぶん彼氏に負けないくらい一杯あるよ。結構レアなのもあると思うから、見るだけでも見てってほしいんだ」
T口君の商店街のおっちゃん店員のような口調と裏腹に、目は笑っていなかった。
「いや、せっかくだけど今日は帰るね」
「え、家族はみんな寝てるから、気を使わなくていいんだよ。ちゃんとそのあと家まで送るし」
「さすがにそれはだめだよ。ごめん。このまま美味しかった、お休みなさいで」
「じゃ、南さんの安全の為、近くまで送らせて。アパートに無事入ったの見届けて、帰るから」
帰宅して、なんとなく旦那に電話した。
なぜそんなことをしたのか、今となっては思い出せない。本当に、なぜそんな。
旦那は不機嫌だった。年末進行で疲れがたまっているというのもあっただろう。
珍しく棘のある声で、私のだらだらとした話を遮り、
「あのさ、その話を聞いて僕はどうしたらいいの? どういう返事したらいいと思うの?」
「別に、そういうの期待してないけど、話だけ聴いてほしくて」
ほんっっっっっとうに馬鹿だなお前は。23歳の自分よ。
「僕がどういう気持ちになるか、考えたことないでしょ。いちいち会社の男と逢ってた話しを電話してくるって、こっちがどう思うかとか考えてない証拠だぞ」
私は本当に傲慢だった。
自分の前のごく狭い世界しか見えていなかったし、その世界の外にもたくさんの人がいて、お互い違う考えを持ったまま、それでも心の棘を収めつつ生きているのだという事もわからなかった。
次の週末、旦那が漫画やビデオをどっさり持って泊まりに来た。
私たちはどこにも出かけず一緒に過ごし、日曜日の夕方、駅まで彼を送った際にベテラン社員さん達に出くわした。
おや、という目を向け、どう声をかけたらいいか明らかに迷っている社員さん達に、私は
「婚約者です」
と旦那を紹介した。
週明けの月曜日、私が婚約者とデートしていたという噂はもう会社内に知れ渡っていた。
間違ってはいない。本当だし、私自身が言ったことだ。
でも、T口君の態度は先週と変わってよそよそしくなった。
昼の弁当も今まで通り三人で群れて、ではなく一人でちょっと離れて食べている。
食事後の土手散歩にも付き合ってくれない。
「なんでT口君、急に変な態度になっちゃったのかな。今度話すとき、今まで通り一緒につるんでよって言ってくれない?」
だが校正刷りのS藤君は首を横に振った。
「そりゃ南さん、残酷過ぎるよ。奴だって色々考えて、考えた結果があの態度なんだよ」
そっか…嫌われたのかな…
私は大層心寂しくなった。旦那と逢えない等とはまた違う寂しさだった。
冬が過ぎ、春の彼岸の時期。私と旦那は有休をとって、一緒に山形に帰省した。
まだまだ雪がたくさん残っていて寒かったが、ご両親とちゃんとお顔を見て話がしたいと、旦那が望んだのだ。
父は機嫌は悪くなさそうだったが、旦那が『実は……』と切り出そうとすると、何度も話の腰を折って話題を変え、話をそらそうとした。
だが、三杯目のお茶を飲み干して、とうとう
「伽耶子さんと結婚を前提にお付き合いさせてください。早々お待たせしないうちに、結婚して、幸せにします」
急すぎるっ 一文の中でもろもろすっ飛ばしてる!
「結婚っていうのはまた別で、じっくりお付き合いして、二人でこれでいいかと何度も考えて判断しなくちゃいけないもんなんじゃないの?
〇〇さんはそんなに簡単に幸せにしますとか言ってしまえる男なのかい?」
父は随分意地悪だ。
勇気を振り絞ってくれたのに、旦那に対してあまりに厳しいのでは?
「でも……気持ちは分かりました。伽耶子は一人っ子で育った僕にとっては初めての女の子で、素直に嘘をつかない子にって育てたんだ。だから時々突拍子もないことを言ったり、したりするけど、基本的には悪い奴じゃないから、いい子だから……」
父も冷めたお茶を飲み干して言う言葉だが、娘のフォローになっていない感。
「伽耶子は絶対に幸せにしなさい」
お父さん、命令形だよ……
母と二人で茶器を洗いながら『全く男って人の話聞かないよね』
と2人でぼやいていた。
有給明け、出勤してまず、やったことがある。
課長にお配り用のお土産・サクランボクッキーを配る事でも、農協の100パーセントリンゴジュースを差し上げる事でもない。
「私は婚約しました」
と、私会社に報告することだった。
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