アバンタイトル・2  ライフルでマリオン


 1990年の12月24日

 バブルのほころびがまだ庶民に及んでいないクリスマス・イブの夜。きらきらゾーン手前の有楽町

 この日早く帰るために、男性上司や同僚の冷やかしにも笑顔で耐え、女性同僚に頭を下げ、私は情報誌で銀座四丁目の夜景の綺麗なお店を予約したのである。

 旦那には任せなかった。どんなお店を予約するか、いまいち信用していなかったのである。

 珍しく着ていった明るい色のセーターにケーキのクリームやコーヒーをこぼさないよう、細心の注意はした。

 しかしメイクを直して彼氏を待つなどという気遣いは最初から持ち合わせていなかった。残念だ。

 今に至っても持ち合わせていない。誠に残念至極だ。多分クリームで口紅はハゲハゲだ。


 10分ほど待つと、旦那が階段を上がって店に入ってきた。いつものチャコールグレーのスーツに赤とグレーのストライプのネクタイ。リーガルのシューズにバーバリーの中古のコート(フリーマーケットで買ったお気に入りだがコロンボにしか見えない) 。

 きょろきょろ私を探している、その手には、身体前面いっぱいに見える大きな荷物を抱えている。

 まさかあれがプレゼントじゃねえよな。困るぞ、エレキギターか何かか、あの大きさは。

 やっと見つけてにこにこと手を振る旦那は寒さで鼻をすすりあげている。欧米ではこの時点でアウトな気がするが、お互い様だ。


「ごめーん、待った?」

「ううん、今来てケーキ食べてたとこ」

「だったらよかった。電車ちょっと遅れちゃって」


 キモい。実にキモいテンプレ会話である。しかもこの場合、最初の『ごめーん待った?』が旦那であることが力関係というなんというか。

 でか荷物を縦にして、他のお客さんの邪魔にならないようこちらに来る旦那。

 窓の外は相変わらずクリスマスの喧騒の有楽町だ。ゲーセンとパチンコと、街の有線のクリスマスソングが合体して流れてくる。


「いいから何か注文してきなよ。映画の間におなか空いちゃうよ」

「じゃこれ持っててくれる? そっちの角に立てかけといてくれればいいから」


 と旦那から受け取った荷物は、結構ずしりと重い。

 持ち手が付いてはいるが、これを横にして持ち歩いたら、傘の横抱え以上に迷惑だ。

 電車の中、ずっと縦にして抱いてきたのだろう。


「結構重いね。なにこれ」

「ん?ライフルってか小銃」


 店の中がシンと鎮まった。


「あ…ああ、うん、そうなんだ」

 まさかそれがプレゼントっていうわけじゃねえよなあ、 S&W M19ならいざ知らず(ちなみに私は次元ファンである)

「そうだよー。だから倒さないように気を付けて」

 旦那はにこにことモンブランとミルクティーを買ってきて、食べ始めた。


 有線でユーミンが流れる。

 恋人がサンタクロース。寒そうにサンタクロース。ライフルを抱えて。


 しょうがねえな、私は必殺仕事人の山田五十鈴さんになった気分で

『はよ食って映画に行こうぜこのタコ』

と思っていた。


「で、急になんでライフルなわけ? 銃所持の免許もってないじゃん」

「だから実際に撃てる銃じゃないよ。旧日本陸軍の小銃。中に鉛が流してあって、撃てないようになってるんだよ」


 満面の笑顔でケーキを頬張りながら話しかけてくる旦那は、まるで幼児の様に汚れない、澄んだ瞳をしている。

 あれだ。テレビ画面でアップになったキャラの瞳にハイライトが浮かんでいる絵面だ。ただしこちらは疲れの浮いた顔に朝剃ったひげもうっすら伸びて鼻をすするサラリーマンである。


「クリスマスのデートの前にそれ買ってきたのかあ」

「うん。いろいろ頑張ったから自分にご褒美。待ち合わせの時間より大分早く直帰できたから、アメ横のガンショップに立ち寄ったらさあ、丁度セール中で、安くなったから買っちゃった。どう、いいでしょ」


 こういうセリフはショップで可愛い服やバッグを衝動買いしたお姉ちゃんが言うものだが、私たちの間では主に旦那が口にする。


「ああ…うん。いいね。中身観てないけど」

「見る? 短小銃じゃないんだよ。離れた人間もかなりの精度で狙撃できる狙撃銃で、銃身も長いんだよ」


 箱を開けて、婚約者に銃の中身を見せようとする旦那。いいやめてくれ。店内の人が耳ダンボでこっちを見ているではないか。


「うん。あとで見せてもらうわ。ぼちぼち食べ終わったら映画館に行った方がいいと思うけど」

「あ、そだね。そうしよ」


 99式君を後生大事に抱えた旦那の荷物を持ってあげて、

「階段気をつけてよ、足元見えにくいからね」

と注意喚起しつつ、有楽町の駅前喫茶から降りた我々は「有楽町マリオン」に向かった。


 有楽町マリオンは、旧朝日新聞本社ビルが建て直され、中央通路を挟んで西武と阪急という二つのデパートが緩く合体しているという特異な建物だった。

 そして元有楽町日劇、丸の内ピカデリーという、ステージショーと映画という二つのエンタメフロアが巨大映画館に代わった。

 正面のからくり時計「マリオンクロック」は銀座地区の待ち合わせのメッカの一つで、クリスマスのこの日も、いやこの日はなおさら、おめかしした女性や大きな包みを抱えた男性がうろうろと待ち合わせをしていた。

 その中を「すみませーん」「とおしてくださーい」と、99式小銃を抱えてた旦那と、彼のビジネスバッグを下げた私は声をかけつつ通った。

『何かが違う。これはハナコめいたイブの過ごし方とは違う』とうすうす気づいてはいたが、この旦那と一緒にいるのだから商業誌のテンプレ通りに進むはずがないのだ。


「84ゴジラってここ破戒していったんだっけ?」

「そうそう。確かガメラもモスラも通ってったよね」


等と会話しつつ、私と旦那はエレベーターで映画館のフロアへ登って行った。


「で、今日は何見るの?」


 作品の選定は旦那に任せておいた。私が選ぶと『バルタザールどこへ行く』とか『ブハラ大公秘密の旅』とか、マイナーなヨーロッパ映画の名画座になってしまうからだ。

 とはいえ旦那の趣味も趣味なので、一般作かという期待はしていない。

 だがクリスマスバイアスがかかれば多少ポピュラーなものになるかとちょっとは思っていた。


「ミュータント・タートルズだよ」

「は?」

「人形アニメと特撮でね、等身大になった亀の戦隊が地球を襲う侵略者と戦うんだよ。いいでしょ」


 鼻の穴を膨らませてエレベーターから降りた旦那の後ろ姿を、私は見つめた。

彼はすたすたと映画館のクロークに行って荷物を預ける。


「取り扱い注意でお願いします。精密な物なので」

「承知致しました。安全の為お荷物の中身をお伺いしてもよろしいでしょうか」

「銃です」

「は?」


 クロークの係員はもう少しでセキュリティーを呼びそうに動いた。


「あ、モデルガンです。ただかなり精密で若干値が張るので、注意して頂ければ」


 旦那が慌ててフォローする。そして銃を預けて手ぶらになって私を振り返った。


「さ、映画見よっ」


ああ、亀戦隊の映画な。

私と旦那は上映館に入って行った。


(次の話に続くっ)

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