割れオタに閉じオタ

南 伽耶子

アバンタイトル・1 ライフルもって逢いましょう

 まだ11月だというのに商業的にはクリスマス商戦に突入したらしく、ネットの広告ページには白と緑と赤、そしてケーキとサンタとトナカイやら、おもちゃの広告が踊っている。

 本来クリスマスは「キリストのミサ」

 2000年以上前、ユダヤの地で大工のヨゼフ(のちにダビデ王の末裔という伝説が付与された)と婚約者マリア(後にご両親まで処女・童貞のままこの娘を生んだという伝説が)、彼女さん処女のままご懐妊し、移動中の馬小屋で清らかにご出産、馬さんや山羊さん、羊さんに羊飼いフレンズに囲まれながら飼い葉桶にスヤアされたという記念日だ。

 私のようなキリスト教徒にとっては復活祭と共に一年で一番忙しい日なのだが、それはここでは割愛する。


 クリスマスと言えば聖書の教え

「産めよ増やせよ地に満てよ」

を、無宗教を標榜しながら日本国の若者たちが実践する日、と言われたのはバブルの頃。

 当時

「彼氏から欲しいプレゼントは車・マンション」

などと戦闘意欲満々だった花子さんも、今ではかなり大人しい。

 本当にそんなこと言ってた時代があったんですよ。

 東京湾上をヘリで旋回しながら聖夜のプロポーズを決めてほしいとか。

 なんだそれ。夢女子のいい年こいた版かよ。

 世の男性たちは国債(クレカ)を発行し、残業や休日出勤で「キラキラしたゾーンでの」デート、ディナー、プレゼント、そしてホテルと(ラブホじゃないよ、シティホテルだったんだぜ) 軍資金を稼いでいたのさ。

 私と旦那が付き合い結婚する前は、崩壊し始めたバブルにまだ庶民が気付いていない、日本中が「働けばその分人件費が入って来る」という肉食系がつがつ夢と欲望を追っていた時期だった。


 私が当時勤めていた会社は港区の高輪で、慶応大学の近くにあった。

 まだ婚約者だった旦那の会社は淺草橋の近くにあり、二人が待ち合わせるところは新橋が多かった。

 新橋と言えば親父の街、サラリーマンの街。当時汐留やお台場の開発もまだまだだったので、よけい硬派な街であった。

 残業、ビール、焼き鳥、会社の接待費として経費で落ちるスナック。これも経費扱いでいくらでも乗れる駅前のタクシーの渦。

 そういうわけで、大学を出て最初に勤めた児童書専門の印刷会社が社長の道楽で傾き、大手の商業印刷会社に転職した私と、中規模広告代理店の営業様だった旦那はクリスマスの夜にデートしようなどと考えた。

 しかも定番中の定番、銀座の夜デートにしようと決めた。

 1990年である。浮かれていたんだねえ。


 当時は「ぴあ」「Hanako」「グルメぴあ」など、情報の主流は紙の雑誌で仕入れ、予約の手段はひたすら電話である。これがまた繋がらねえんだ。

 そして店も強気である。ディナーは全てクリスマスメニューのみ。

 料金はお高いし、シャンパンとか付いてくる。わしらは下戸だから関係ねえんだが。

 そんな激しい競争を勝ち抜いて、我々はソニービル上階のイタリアンの夕飯、そしてその前に喫茶店で待ち合わせて映画という、すきの無い鉄壁の計画を組んだ。

 cafeという言葉はまだ普及していない。

 あ、代官山とか聞くも恐ろしいマガジンハウス御用達のエリアに「カフェ・ラ・ボエーム」という店はあった。

 その他思い出すとこっぱずかしい広告を雑誌に載せている「カフェバー」なるものはあった。


 かくして我々は仕事の後で(定時で抜けるために、同僚に後々の残業肩代わりを条件に譲ってもらった。酷いなおまえ)多少おめかしして有楽町の銀座口に集結という冒険に乗り出したのである。

 それまでクリスマスはどこで過ごしていたかというと、仕事だよ。毎年仕事だったよ。

 学生時代からつきあってたけど、私は大学が休みになるとすっ飛んで帰省していたから、実質これが「絵にかいたような都会クリスマス」の初めてさんなのである。


 12月24日(前後) の18時。私は有楽町の駅に降り立った。

 当時まだ南北線もゆりかもめもなく、イトシアも無印も、丸の内も商業開発されていなかった有楽町は、銀座口の前は雑多なアメ横のような古い商店が立ち並び、そこを抜けないとメインの「キラキラタウン・絵に描いた銀座ゾーン」ではなかった。

 特にガード下の古い飲み屋街は今よりずっと店舗が多かった。

 マリオンまでの道の入口は、交通会館と謎の果物屋。それは変らないのかな。

 「レモンラーメン」が名物の中華料理屋とゲーセンの間に、一階は何だったか忘れたが、狭い階段を上って行くと二階が喫茶店、という店があって、我々はいつもそこで待ち合わせた。

 近くにアイスクリームの美味しいダッキーダック(当時は独立店舗) があったが、そこではなく人目に付きにくい小さな二階の喫茶店に入るのは、駅から出てくる人波がよく見えるからだ。そして必ず座れた。

 さていつものように幅の狭い階段を上がり、小さなケーキとコーヒーを注文して(今思うとベローチェのような店だった) 私は旦那(当時は婚約者)を待った。


 嫌な予感しかしないでしょ? うん。良い勘だ。

 続きはまた後でな。

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