アバンタイトル・3 ライフルと亀戦隊と
「ミュータント・タートルズ」は『忍者亀』。
映画の後はディナーだというのにコーラとポップコーンを買ってきた旦那は、パンフを開いて機嫌よく説明しながら、盛んと腕をさすっていた。
筋肉がほとんどない彼には、雑踏の中99式を抱えて、人をよけながら歩くのは大変だったようだ。だがそんなことでは、銃と背嚢を担いで道なき道やジャングルを行軍したご先祖様達に嗤われるぞ。
映画の内容は…うん。特撮でした。三匹の亀が悪を倒すためにマスターに弟子入りしカンフーと忍法を身に着け、なぜか等身大の人化。スーツアクターさんが頑張りまくるという、アクマイザースリーかサンバルカンかよという、絵に描いたよううな3人組の戦隊である。ただし撮影は練馬区東大泉でも、岩船山でもない。ハリウッド映画なのだ。(後年アニメ化もされた)
正直テンポが…30分番組1本か、60分の夏映画にして丁度良かったんじゃないのか? 私は正直退屈していた。特オタだからと言っても、特撮やヒーローもの全てが好きで楽しめるというわけではない。しかも今日は、勝手に期待値と敷居をMaxまで上げさせてもらったクリスマスイブである。
だが旦那(この時は婚約者)はノリノリで、コーラをこぼしそうな程に手を打って大笑いし、修行シーンでは握りこぶしを固め、100点満点の観客リアクションである。
そして映画が終わるまで、隣の婚約者がうすらつまらなさそうにしていたのに気づかないほど、没入していた。
「あー面白かったね、すっごいまともなヒーローものだったじゃん」
満面の笑顔で旦那は階段を下りている。映画が終わり満席の劇場から吐き出された観客でエレベーターホールは一杯。私と旦那は非常階段を歩いて降りる事になった。もちろん言い出しっぺは旦那だ。
「なんかベストキッドに似てない?」
「シッ それ言っちゃだめっ」
日頃作業靴生活なので、慣れないヒールの靴に悪戦苦闘しながら階段を下りる私に、旦那は気付かない。悪意や意地悪ではない。本当に、そういう状況があるのを知らないのだ。
今度は流石にビジネスバッグを自分で持ち、99式小銃の箱も抱えながらも旦那はホイホイと降りていく。足元がおぼつかないヒールの私はどんどん離されていく。
「あれ、どうしたの。面白くなかったの? 機嫌悪いの?」
それもある。だが今はそれじゃない。
「足が…かかとの高い靴履きなれていないから、痛いだけっ」
「あ、ごめんごめん。早く行き過ぎた。靴脱いで歩く?」
ストッキングが伝線するという事も旦那は知らない。
「そういうんじゃないけど、一緒にゆっくり歩こうよ」
「うん。ごめんね、なんか」
素直だし、一度教えれば、その後は忘れずにずっと実行してくれる。優しさに躊躇しないのが旦那のいいところだと思う。
9階か11階から階段を下り、再び銀座の喧騒に戻った私たちは、ソニービルに向かった。ツリーは眩しく輝き、ビルの夜景は美しく、その街並みの奥の、銀座のキャバレー・クラブ・バーのひしめくゾーンは送迎の車と手持無沙汰の運転手を飲み込み、表通りよりも一層怪しく輝いていた。
銀座のソニービル。地上では店の前に大きなツリーが立ち、クリスマスの銀座の民がパシャパシャ写真を撮っていた。スマホでも携帯でもない。「写ルンです」である。もしくはまだサイズが大きかったデジカメだ。
三越、三愛、和光の時計台。きらめくような輝かしい、消費の夜景煌めく絵にかいたような銀座。テレビで映る、あの銀座である。
白やピンクやパステルカラーのハーフコートを羽織った若い女性、帰り際に頑張って職場の化粧室で髪を巻き、念入りにメイクをして、飛んできた態だ。その彼女たちに連れられた男性陣は、かなり疲れた表情を笑顔の裏に潜ませている。
「銀座って綺麗なんだねえ」
私は思わずつぶやいた。いつも地下道を移動しているので、銀座の街自体はそれほど味わっていないのだ。
「そうだねえ。さすがゴジラに破壊された街だねえ」
旦那はどうしてもそこから抜けられないらしい。
ソニービル7階にこれでもかと華美な、ロココ調の調度の店。帝国ホテルの今は亡きメインダイニングよりキラキラしている。サバティーニ・ディ・フィレンツェというイタリア料理のお店だ。
常の日よりせかせかと忙しそうなギャルソンたちと、いつもより強気な態度のソムリエが若いカップルの間を闊歩している。ワインリストを持っては来るが、下戸の私達が断ると
「あ、そう、ふーん」
という態度で離れていく。ごめんなさいね、利益率の悪い客で。
当時ソニービルは地下にフランス料理のマキシム、七階にイタリアンのサバティーニと強気洋食ツートップを、主にマガジンハウス系のシャレオツ雑誌で宣伝していた。さすがご近所。(出版社のマガジンハウスは東銀座にあった)
それに赤坂プリンスのトゥール・ジャルダン(カモのローストを頼むのがお約束の店) が、ディナーでキメたい時の御用達だった記憶がある。
レストランでの食事はつつがなく終えた。クロークの紳士は旦那のライフルも顔色一つ変えず預かってくれたし、「魚介の紙包み焼きパスタ」の紙をナイフで切り裂く時に、旦那が汁を飛ばし、ワイシャツを汚したくらいだ。
そして、窓から見える銀座ミキモトで買ったのではない、商店街の時計屋さんで買った、一粒真珠のペンダントをくれた。旦那にしては一般的だ。後にでかいアザラシのぬいぐるみや、アナザーアギトの大きなフィギュアに代わって行くことを思えば、結婚前は大人しい志向だったのだなあ。
「ありがとっ 私も絶対に気にいるはずの物を買ってあるんだ」
「なになに」
「はいこれ」
デザートの皿を片付けてもらい、コーヒーを楽しんでいるテーブルに、私は大きめの包みを置いた。こういう時は許されるだろう。
池袋西武で買った「ミスタースポックの焼き物の酒瓶」をあげた。
それはどういう物かというと、「宇宙大作戦」(スタートレック)に登場するレナード・ニモイ扮する副長・ミスタースポックの陶製の胸像で、中に液体を詰められるよう瓶になっている。おそらく酒でも入れて、書斎の棚の上に飾る用途なのだろう。
素晴らしくリアルタイプのミスター・スポックなのだが。
旦那の歓声は店に響いた。漏れなく他のテーブルからは「何を雰囲気ぶち壊してるねん」という視線が向けられ、ギャルソン氏は何事かと寄ってきた。
「ありがとう。ありがとう最高だよっ 本当にありがとう」
「そんなに喜ばれるとは」
「伽耶子ちゃん、結婚しよう。絶対に俺の相方って君しかいないよ。こんな俺のツボにぴったりの物くれるなんて、君を逃したらもういないと思う」
旦那は目が潤んでいた。こんなに喜んでいる人を、私は見たことがない。だが、私は言わなくてはならない。聖夜に言わなくてはならない。
「あの…嬉しいけど、私たちもう婚約してるんですけど」
「あ、はい」
ディナーが終わり、ライフルを肩に担いだ旦那はさっそうとタクシーを止めた。
「うち、来る?」
かくして、私のアパートからチャリンコ10分の旦那の家(祖母、両親、兄と同居) で、フジテレビ深夜番組「カノッサの屈辱」の録画を見たのだった。
親の部屋と兄の部屋に挟まれた、恐らく両側から耳ダンボの家族が聞き耳を立てている四畳半で、ひたすら録画を見て笑っていたのである。
この時は、まさか彼が次男なのにこの家族と同居することになるとは思っていなかった。
(この話終わり)
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